白だるまの気持ち
あんなに暑かった夏が嘘のように終わり、外はすっかり寒くなった。気がつけば今年も残りわずか。年始になにを祈願したかも忘れてしまっている。いや、そもそも祈願なんてしたかな。来年こそはきちんと目標をもって過ごさないと。
「祈願」で思い浮かんだのは「だるま」。日本人なら誰もが知っている縁起物の代表選手。選挙があると選挙事務所に鎮座した大きなだるまに墨を入れる映像が繰り返しテレビで流れるのは、日本ではおなじみの光景だ …»
文化庁「工芸技術記録映画」の特集|東京国立近代美術館 フィルムセンター
加賀蒔絵の松田権六を始め、日本の伝統工芸の優れたわざを記録した「伝統工芸記録映画」(文化庁)のこれまでの作品を、東京国立近代美術館 フィルムセンターにて見ることができます。「伝統工芸記録映画」は、重要無形文化財に指定された伝統工芸のわざを映像で記録することを目的とし、文化庁が1971年より製作に着手。以来、ほぼ1年に1本のペースで継続的に製作が行われ、これまでに42本の映画が発表されています …»
日本の出番
「英語で陶磁器は“china”、漆器は“japan”」と聞いたのは中学生のころ。なんだか嬉しかったことを憶えている。辞書を引くとたしかに“japan”は漆・漆器とある。でも悲しいかな、漆器を“japan”と言って海外で通用することはまずないそうだ。
日本の漆器産業を取り巻く環境は厳しい。ライフスタイルの変化にともなう漆器離れ、安価な海外生産品の流入。近年、漆器産業に従事する人の数はますます減少する一方だという。私自身も小さいころはあまり漆器が好きではなかった。艶やかに加飾された朱の器や、黒光りしたお椀を、怖いと感じていたこともある。漆器は現代の生活シーンになじまないものだという偏見もあった。いま思えば「いい漆器」というものに出会っていなかっただけなのかもしれない …»
光を写す唐紙の技|京都・かみ添
入り口から差し込む光が部屋の奥に届き、雲母によって摺られた唐紙に水玉文様を浮かび上がらせている。襖によって受け止められたやわらかな光は、日の傾きとともに時の流れを室内に映し込む。京都の西陣にある唐紙工房・かみ添は、唐紙職人の嘉戸浩が2年前に開いた店。唐紙とは和紙に絵柄を摺ったものであり、江戸時代より襖紙として広く使われていた。
「昔の人は電気のない時代、自然と入ってくる光の加減で、時間を感じていたんだろうと思うんです。朝の光、夕方の光、お月さんの出た夜の光。ふすまの表情がふんわり浮かんでくるような、そうした微妙な光の加減の中で話をしたり、お茶を飲んだりしてはったんやろうなぁと」
嘉戸はアメリカで デザインを学び、グラフィックデザイナーとしての仕事を経験した。「唐紙に興味を持ったのは、アメリカにいたときのことです …»
伝統は木から生まれる | 美濃和紙 3
伝統はこだまのようなもの。世代が変わるたびに聞こえかたが違ってくる。伝統とは、年長者から若者へと受け継がれる知識のパターンである。こうしたこだまが生き残るには、時代に適応するしかない。適応するか、滅びるか。あらゆる自然体系に共通する原理である。中国の紙漉きの技術が日本に初めて入ってきたのは610年のこと。高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が伝えたといわれる。それから現在まで受け継がれてきた和紙は、まさに適応に成功したこだまのひとつである。最初に伝わった紙漉きのやりかたでは弱い紙しかつくれず、日本での使用には向いていなかったため、強く、繊維に富んだ楮が紙の原料として使われるようになった。ひとつ適応が起きたのである。そして、若手の美濃和紙職人である保木成敏の工房を見て、和紙が現代社会に適応しはじめていると感じた …»
道具に組みこまれた知恵 | 美濃和紙 2
人間は道具がなくても多くのことができるが、道具があれば神のようになれる。手漉き和紙を魔法のようにつくりだす技を支えるのは、桁と簀(細い竹ひごを絹糸で編んでつくったスクリーン)というふたつの道具のみ。基本的に、桁は幅1m ほどの大きな長方形の枠で、下の部分には簀を支える銅線を固定する薄板が、上の部分には簀をしっかり固定する金属製の蝶番がついている。このふたつの道具がなければ、またこれらの道具をつくる職人がいなければ、手漉き和紙はできない。庄司和成は美濃にひとりしかいない桁づくりの職人だ。桁をつくっている人は、いまや全国でも3人しか残っていない …»
水のなかでつくる紙 | 美濃和紙 1
静かに差しこむ自然光が一枚の紙をとおして、やわらかな光となって満ちている。世代を超えて受け継がれてきた技で、紙漉き職人はそれぞれの人生をかけ、丹念に一枚の紙をつくり上げていく。ここは岐阜県美濃市。1300 年代から続く伝統的な和紙産業の町だ。この町を象徴する素朴で美しい美濃和紙は、日本が世界に誇る手仕事のひとつである。
美濃のすべての紙を、美濃の人々が力を合わせ、手づくりしていた時代があった。楮(こうぞ)の木の皮を剥き、大きな釜に入れてやわらかくなるまで煮てから、冷たい川の水でていねいに洗い、その繊維を松の木でつくった叩き棒で叩いてほぐす。こうした和紙づくりのすべての工程を、子ども、お母さん、おばあちゃんを含め、美濃中の人々が一家総出で木を和紙に変えていた …»






























