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  • Photography: Yasuyuki TakagiPhotography: Yasuyuki Takagi
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globe walkerと歩く、日本の古道 vol.1 鯖街道

, 2017/01/04

今すぐ旅に出たい、そんな気持ちを誘ってくれるセレクトショップglobe walkerとPAPERSKYがお届けする、新しい旅のスタイルが「古道歩き」だ。古きを訪ねて歩いたのは、若狭湾と京都を結ぶ「鯖街道」。3日間・78kmの道のりには、果たしてどんな出会い、景色が待っていたのか。

日本海に面し、美しい自然に囲まれた福井県、若狭湾。豊富な海の幸や食材に恵まれたこのエリアは、古くから「御食国」として時の都の食文化を支えてきた。今回の旅の舞台は、「御食国」に欠かせない、若狭湾と京都を結ぶ「鯖街道」。若狭と京都の間には、標高1,000m前後の山々が連なっており、その谷間を縫うように道や峠が張り巡らされている。これらを総称して「鯖街道」と呼ぶ。

「鯖街道」の歴史は古く、なんと古墳時代にさかのぼる。「御贄」や「御調塩」を納める若狭は、宮中の食膳を司る膳臣が治めた国であり、「わかさ道」と呼ばれた街道沿いには古墳群が築かれた。時代は流れて室町時代。街道の入り口にある小浜には多数の南蛮船が渡来、この街道を介して華やかな大陸文化が都にもたらされた。一方、織田信長が越前の朝倉氏を攻め込んだ際には同盟軍の徳川家康がこのルートで京都に戻るなど、戦国時代には軍用道路として重宝され、近世以降は北前船から小浜港に揚げられた大量の海産物や米、塩の物流の道として利用された。街道の起点には問屋街が、中継地点にはにぎやかな宿場町が形成され、活況を呈したという。つまり「鯖街道」は、単に鯖を運んだだけでなく、海産物・食材などの物資とともに人々の交流や文化も運んだ、生活と歴史の道でもあったのだ。

さて、今回のツアーではルーカスほかPAPERSKY一行に、旅のゲストとしてハンドメイドのスケートボードやウルトラライトのアウトドアギアを手がけるジェームズ・ギブソンを迎えた。トレラン、ハイキング、バックカントリースノーボーディングをこよなく愛する、大のアウトドア愛好家である。そんなジェームズ&ルーカスが辿るのは、「鯖街道最古の道」と謳われる、通称「針畑越え」。「鯖街道歴史研究会」代表で針畑越えを切り拓いた、杉谷長昭さんによれば、若狭国府が置かれた遠敷から針畑峠を越えて朽木を経由し、京都の鞍馬に至るこの道のりは、険しいながらも若狭・京都間の最短ルートとして盛んに利用されていたそうだ。

旅のスタートは、「鯖街道」の起点が置かれている小浜市のいづみ町商店街。街を出てしばらく歩けば、町屋が連なる遠敷の風情ある街並みが現れる。この遠敷には若狭地方最古の神社、若狭彦神社・若狭姫神社など、古代に創建された社寺が集まる。特に姫神社のご神木、千年杉はかのゲーリー・スナイダーの心を震わせたという名木だ。また、「お水送り」で有名な若狭神宮寺も古刹のひとつ。若狭と京都のつながりに焦点が当たりがちな「鯖街道」だが、「針畑越え」に関しては奈良とのゆかりも深い。毎春に東大寺二月堂で行われる「お水取り」がいい例だ。これは若狭神宮寺の僧侶が清めた水を遠敷川の鵜の瀬から流し(「お水送り」)、その水を東大寺で汲み上げる神事である。古来、若狭と奈良は地下洞穴でつながっていると信じられている。

遠敷の最奥、山の斜面に築かれた上根来集落からいよいよ登山道へ。つづら折れの、勾配のゆるやかな山道は、いかにも生活道といった趣である。雑木林に囲まれた山中には若狭彦の伝説が残る岩や苔むした地蔵など、古道らしい景観もあちこちに。「針畑越え」も含め、こうした古道歩きの楽しみは、集落と集落を結ぶ道のなかに人の営みや足取りを実感できることにあるのだろう。いかにも手づくり風の、魚を模った道標はジェームズの心に刺さったようで、盛んにシャッターを切っていた。

こんな山道を1時間も歩けば、標高830mの針畑峠だ。このまま峠を下りると滋賀県高島市の小入谷に至る。1泊目はここに宿を取る。

山間にある朽木小入谷は、茅葺き屋根の民家が点在する美しい集落だ。「日本の原風景」といえるような、清流に囲まれたのどかな里山の風景が広がっている。かつては廃村の危機を迎えたこともあったが、現在は新しいライフスタイルを求める芸術家肌の移住者も見受けられるようになった。

築100年の茅葺き屋根の古民家の「ダルマサンガ 朽木學道舎」は、在家者の摂心の場として2001年に飯高転石さんが開いた禅の道場。飯高さんは30年以上も前、ヤブに覆われてしまった「針畑越え」のルートの復元に尽力した人物である。飯高さんによれば、「針畑越え」の魅力とは「時間を超えるロマン」。曰く、「道とは文化、歴史、宗教をいちばん最初に運ぶもの。とすれば若狭湾にもたらされた大陸文化は、最短ルートのこの道で京都、奈良、そして熊野へ運ばれたはず」。とすれば、このルートは「日本のシルクロード」ということにもなりそうだ。

行程2日目は、朽木小入谷から京都府の久多へと至る舗道歩きとなった。いくつもの集落を越えるが、街道沿いには針畑川、久多川と名称を変え、つねに清流が流れている。「高島トレイルクラブ」の理事であり、プロガイドの村田浩道さんによれば、この一帯は日本海側と太平洋側を区切る中央分水嶺の中央部に位置する。小さなエリアに多彩な気候帯や植生が混在し、豊かな自然が育まれる。本州では標高1,000~1,500mの間に生育するブナが、標高500mあたりの朽木で見事な原生林となっているのは、中央分水嶺の影響が大きい。

「そうした環境に基づいた昔ながらの文化や営みが街道沿いの集落に今も息づいています。手間ひまかけてつくられるトチ餅、焼き鯖で出汁をとるサバそうめんなど郷土食も豊か。自然だけでなく、昔ながらの生活や文化をも辿れるのが『針畑越え』のおもしろさ。いろいろな楽しみ方ができるんです」

ロングハイキングを好むというジェームズにとっても、ただ歩くだけでなく、そこに残された逸話や歴史に耳を傾けながら歩く旅のスタイルは新鮮だったようだ。

最終日は村田さんのガイドのもと、久多から山道を歩く。山ヒルの多い湿地帯である八丁平を経て、尾越、大見といくつかの集落を抜けると、花背峠で国道にぶつかる。鞍馬寺の山門に到着すると、いよいよ京都に辿り着いたという実感がこみ上げてくる。あとは京都の市街地を、「鯖街道」の終点が置かれている出町柳までひたすら歩く。出町橋西詰の石碑にゴールしたら、鯖寿司の名店、「花折」で買い求めた鯖寿司をいただく。鯖に振られた「一汐」は、街道を往来するなかで先人が育んだ知恵でもある。その味わいに、「京は遠ても十八里」と急峻な峠を越えた、若狭人の矜持に思いを馳せる。

この旅を通じて「旅の新たな視点を得られた」とジェームズは言う。ひとつの道に潜む物語に触れたことで、見慣れてしまった景色のなかに、ワクワクするような好奇心の対象を見つけることができるようになった、とも。

「別の食べ物や歴史にフォーカスした日本の古道歩きにも、ぜひ挑戦してみたいね!」
 
globe walker
www.goldwin.co.jp/globewalker

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