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輪島塗 1|木から塗料を採取する 若岡一夫

日本海に面した能登半島の先に、輪島の町がある。ここでは漆の木の樹液に、「地の粉」と呼ばれる珪藻土の粉末を混ぜあわせ、ガラスのように硬く強い漆器がつくられている。日本を代表する伝統工芸品のひとつ、輪島塗の産地を訪ね、その魅 […]

01/09/2013

日本海に面した能登半島の先に、輪島の町がある。ここでは漆の木の樹液に、「地の粉」と呼ばれる珪藻土の粉末を混ぜあわせ、ガラスのように硬く強い漆器がつくられている。日本を代表する伝統工芸品のひとつ、輪島塗の産地を訪ね、その魅力にふれる。
輪島漆器は漆の木と、初夏から秋にかけて漆の木から樹液を集め漆掻き職人から始まる。この樹液(漆)は輪島漆器をつくるうえで欠かすことのできない材料だ。職人、若岡一夫は輪島市内にある自分の畑を歩きながら、漆の樹液を初めて採りにいったときのことを回想する。「当時、私は16歳で、戦後まもなくでした。あのころは漆の木を求めて父親と各地をめぐり、漆を採りながらひと夏を過ごしました。1日に70〜80本、だいたい400本くらいの木からかわるがわる漆掻きをしたものです」。若岡の父は狙いをつけた地域を自転車でまわり、双眼鏡でくまなく周囲を見まわして、質のよい漆の木の群落を探したという。お目当ては樹齢12〜15年くらいの、樹皮が健康な漆の木。そういう木を見つけたら、地主からその木を買い取っていく。「5日おきに幹に切りこみを入れ、染みでてくる樹液を集めました。木が枯れるまで樹液を採取するのですが、1本につき155ccくらいしか採れません」。
その後、日本は高度経済成長期を迎え、新しい時代が始まった。海外から新しい文化が流入し、他産地では安価なプラスチック製の椀がつくられるようになり、輪島の漆器産業は一変してしまう。若岡は、漆掻きの稼ぎだけでは生計が成り立たなくなり、名古屋に出て土木作業員として働かざるを得なくなった。現在、若岡は79歳。退職後、輪島に戻り、昔していた漆掻きの仕事に戻った。そして地元の職人たちのために漆の樹液を集めている。
輪島漆器の最大の特徴は、ウルシの樹液に小峰山周辺から採掘される地の粉と呼ばれる植物プランクトンの化石(珪藻土)を混ぜあわせることだ。珪藻土を加熱して乾燥させ、粉末にしたうえで漆と混ぜて木地(椀や盃など)の表面に塗ると、乾燥したときにガラスに近い硬さに仕上がる。輪島漆器と、日本のほかの産地やアジアでつくられる漆器とを分かつのはこの硬さである。伝説によると、輪島に漆塗りの技法を伝えたのは和歌山から来た僧で、彼らが飯碗や汁椀などの日用品に漆を塗る方法を教えたという。しかし、江戸時代には輪島は漆器製造の中心地となり、この地に暮らす職人が増え、そのネットワークは拡大していった。地の粉が発見されて以来、輪島塗の堅牢さが高い評判を得るようになり、全国にその名を知らしめたのである。輪島塗の椀の裏には、こんな歴史が隠れているのだ。
輪島漆器の本当の価値を味わい、精巧に削られた木地やその上に幾重にも塗り重ねられた漆、乾いて輝きを放つ塗料をつくるために樹液を抜かれ死んでいった漆の木たちの存在を知るためには、それなりの知識と経験が必要である。
若岡一夫(わかおか かずお)
漆掻き職人。1933年石川県輪島市生まれ
This story originally appeared in Papersky No.40.