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  • Photography: Cameron Allan Mackean
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年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう|田畑好信|大宮盆栽 1

, 2011/12/05

1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である。

年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう|田畑好信

自然界の美を支配するのは難しい。それでも人間は挑戦しつづける。野生の動物を飼いならしたり、鳥の羽を切り落としその美しい姿を眺めたり、花や木や岩のような自然の景観を織りなすものを家や庭にもちこんだりすることを止めない。

日本と中国では、自然の景観を人間がコントロールする手法が様式美と呼ばれ、芸術になっている。盆栽の起源は中国の「盆景」。それが1185年から1333年の間に日本に伝わり、18世紀半ばには、現在の「盆栽」に近いものが生まれたという。盆栽は、小さな木を思うような形に育て、自然の景観を再現する技法である。

「盆栽を育てることは、ライオンを手なづけてペットにするのと同じくらい難しいことです」。田畑好信は、窓越しに並んだ盆栽を眺めながら言う。現在、37歳の彼は、大宮盆栽美術館に勤める盆栽技師。ここにある盆栽を手入れして、美しく保つのが仕事である。

美術館に展示された盆栽の間を歩きながら、彼はそのひとつひとつについて、まるで人間について話すように、名前を呼びながら説明してくれた。
「盆栽技師にとってもっとも重要なのは、自分が手入れしている盆栽のことをよく知っていることです。同じ品種の松の木が10本あったとしても、性格はそれぞれ違います。たくさん手をかけなければいけない木もあれば、あまり構わなくても問題ない木もある。木にはそれぞれ微妙な性格の違いがあります」。だが、盆栽を人間と同じように扱うことはできないと彼は強調する。「人間は長所と短所をバランスよくもっていなければなりませんが、盆栽の場合、短所と思われる部分は切り落としてしまいます」。

田畑は故郷の鹿児島の高校を卒業後、大宮にやってきた。盆栽愛好家だった父親に背中を押され、日本の盆栽の中心地である大宮に移り住み、盆栽園で働くようになった。盆栽村の成り立ちと盆栽園の数が減った理由はこの地で知ったという。東京の下町に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災。残った盆栽園が東京を離れ、大宮に移り住んだ。「大宮は水と土がよかったし、ほかの地域より少し涼しかったので」と田畑は言う。第二次世界大戦中の度重なる苦難によっても、盆栽園の数は徐々に減っていき、いまやここに10園ほどを残すだけになった。
「どれだけ完璧にコントロールしても、どこか必ずうまく行かないところが出てきます」。盆栽技師の誰もがそうであるように、田畑はいいかげんなところがなく、思慮深い雰囲気をもっている。彼はよく考えてから、こう締めくくった。「だからこそ、盆栽はおもしろいんですよ」。

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name
さいたま市大宮盆栽美術館
place
埼玉
address
さいたま市北区土呂町2-24-3
phone
048-780-2091
link
www.bonsai-art-museum.jp

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