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Old Japanese Highway、日本の古道 vol.5 西伊豆古道

眼前に駿河湾、背後に天城山系の低山が控える西伊豆・松崎町。今回、globe walkerが歩くのは、半世紀以上も前に途絶えた古道を遊びの場として再生させた「YAMABUSHI TRAIL」だ。道が紡ぐ、アウトドアと歴史遺 […]

05/15/2018

眼前に駿河湾、背後に天城山系の低山が控える西伊豆・松崎町。今回、globe walkerが歩くのは、半世紀以上も前に途絶えた古道を遊びの場として再生させた「YAMABUSHI TRAIL」だ。道が紡ぐ、アウトドアと歴史遺産の新しいかたちとは。
起伏に富んだ海外線とどこまでも続く青い海、そして水平線に沈む夕日が格別の美しさを見せる西伊豆。フィルム・ディレクターのデヴィッド・アレンとともに訪れたのは、天城山系の低山に囲まれた静岡県松崎町だ。白と黒に塗り分けられたなまこ壁の街並みが旅情を誘う、小さな港町である。
この町の小さな山に、忘れ去られていた古道を整備したトレイルがある。江戸時代末期から明治期にかけて炭焼きが盛んに行われていたこの地域には、7本の街道と、街道と集落をつなぐ細かな生活道が張り巡らされていた。山に設けられた炭焼き窯で焼いた炭を里に下ろすのに使われていたのが、「YAMABUSHI TRAIL」と名づけられたこの道である。
「もともとは平安時代に拓かれた生活道。周辺には宝蔵院という、弘法大師が開いた霊場もあることから、山伏たちの修験の道としても使われていたそうです」
そう話すのは、この道を再生させた松本潤一郎さん。地元の老人から天城や修善寺にまで通じているという古道の存在を教えてもらい、おもしろ半分で裏山を探索してみたことがきっかけだった。
「ようやく見つけた古道は半世紀以上も使われておらず、倒木や落ち葉に埋れていて廃道になっていました。終戦後、炭焼きが廃れるとこの道の存在も忘れ去られてしまったようです。それでも道の原型は留めていた。江戸時代は炭を運ぶためのソリや馬が行き来できるよう、切り通しなどを使って大規模に整備した跡がありました」 
そもそも子どものときから道好き・旅好き・歩き好きだった松本さん。中学生のときには地元の横浜から紀伊半島へ、ヒッチハイクしながらのひとり旅を敢行。17歳で単身ネパールに渡り、アンナプルナ・サーキットを歩いたというつわものだ。その後もインド、中国、パキスタン、アフガニスタンを旅しては、ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈のトレイルを歩いて巡った。ダイナミックな海外のトレイルの魅力を十分に知る松本さんを突き動かしたのは、低山ながら刻々と移り変わる景色のおもしろさと、古道に眠る物語だった。
「初めはたったひとり、鍬とチェーンソーを担いで整備を始めたのですが、落ち葉や土砂、倒木を片づけると馬頭観音や石碑がいくつも出てくる。寛永通宝も掘り出しました。石碑を見ると江戸時代の年号が刻まれているんですね。200年以上も昔、この道がどんなふうに使われていたのかを想像すると、チベットやヒマラヤでも感じたことのないようなロマンを感じました」
そこで自治体や山主、道を所有する集落の首長に掛け合って「西伊豆古道再生プロジェクト」という里山の整備活動を本格的に立ち上げた。5年前のことである。現在までに発掘・整備した古道は、じつに7ルート、40kmにも及ぶ。松本さんはこの道を使ってマウンテンバイクのガイドツアーを行なう傍ら、林野庁の森林整備も請け負っている。
実際にルートのひとつを歩いてみる。まずは海岸からすぐにアクセスできる標高550mの富貴野山につけられたトレイルへ。低山の縦走ながら、眺望のいいポイントでは駿河湾の向こう側に日本平を望んだ。冬の晴天時には南アルプスまで眺めることができるというが、海と山が背中合わせになった伊豆ならではの眺望だ。途中、炭焼き窯の跡があり、整備の途中に掘り出したという馬頭観音や地蔵など、往来の激しかった往時を偲ばせるものがいくつも現れる。まるでハーフパイプのようにえぐれた造形の道は、ソリを使って薪を運んだ名残だろうか。
初めはただの「道好きの酔狂」だったかもしれないが、整備されたことで猟師は山に入りやすくなり、ここで椎茸の栽培を始める人も出てきた。トレイルの整備は山の保全にもつながるのだ。
「ガイドのない日は道の補修や森林整備の仕事を行っていて、伐採した木は薪として地元で販売します。薪ストーブ用の燃料になることもあれば、隣の田子町で伝統的に行われている伊豆田子節(カツオ節)を燻すための薪になることも」
かつて伊豆近海では良質のカツオが水揚げされ、また西伊豆の気候風土もカツオ節づくりにマッチしていたことから、カツオ節の一大産地として栄え、「西の土佐・薩摩、東の田子」と呼ばれた。特に、味わいをよくするため3度のカビつけを行う本枯れ節の製法が田子の職人によって確立すると、この伊豆節が天下の名産品として知れ渡るようになる。この伊豆節の生産に欠かせなかったのが、地元の山から切り出した雑木の薪。田子町に伝わる昔ながらの手火山式焙乾製法でカツオ節をつくる、カネサ鰹節商店の芹沢安久さん曰く、「カツオの漁場を守るためには海の生態系を守らなくてはいけない。海を守るためには土砂崩れや濁流を起こさないよう、山を整備しなくてはいけなかった」。
「もちろん、幹が太い広葉樹は燃やしたときに香りのよい、良質な煙を生むということもありますが、山を守るために木を切り出して薪にしなくてはいけないことを、当時の職人はよく知っていたのでしょう」
その他、地元に工房を構える木工作家に提供するし、建材としても利用する。松崎町の商店街にある古い店舗をリフォームした松本さんの事務所の内装は、整備で出たヤマザクラやマテバシイといった広葉樹の間伐材を板に挽いてあしらったものである。
「そうして得られた収益をトレイルの整備やそこに携わる人々に還元したら、この道は地域の貴重な財産であるという認識を町の人にももってもらえます。実際、廃道がトレイルに生まれ変わり、それを目当てに東京や近郊から人が訪れるようになると、たくさんのメディアが取材に訪れるようになった。そうすると地元の理解も進み、整備のボランティアにたくさんの人が集まるようになりました」  「歴史を刻んだ道や自然の山が好きだから、ありのままの古道の姿を紹介したい」との思いから、トレイル歩きのガイドツアーも新たにスタートさせる。マウンテンバイクのツアーももちろんいいけれど、トレイルから海に沈む夕日を眺めたり、山にいながらにして潮風を感じたり、西伊豆らしい気候や四季折々の風土をのんびり味わう。そんな遊び方がこのトレイルにはよく似合う。
道があるから交流が生まれ、人々の交流から文化が育まれる。一度は途絶えたものの、200年経った今再び、現代の暮らしにフィットした新しい文化が生まれつつある。
「歩いて歴史をたどり、その営みを体感するって、日本らしい旅のスタイルだよね。生活の要素を備えた街道と自然道、どちらもの要素を兼ね備えたトレイルって世界的にもめずらしいんじゃないかな」とデヴィッド。歴史を刻んだ道と、そこから生まれる物語が、旅人に感銘を与えてくれる。
※ OLD JAPANESE HIGHWAY 映像はこちら。
http://www3.jvckenwood.com/dvmain/enjoy/papersky/04.html