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70歳で世界最高峰へ|三浦雄一郎 冒険スキーヤー

70歳でエベレストの頂上に立ってみたい。そんな夢を思い描いたのが65歳のとき。37歳で工ペレストの8千m地点からスキーで滑降したり、53歳で世界七大陸最高峰を制覇したりしてきた自分も、当時はもう生きるか死ぬかを繰り返すこ […]

11/12/2013

70歳でエベレストの頂上に立ってみたい。そんな夢を思い描いたのが65歳のとき。37歳で工ペレストの8千m地点からスキーで滑降したり、53歳で世界七大陸最高峰を制覇したりしてきた自分も、当時はもう生きるか死ぬかを繰り返すことはやめようと冒険家業を半分引退していた時期。でも、父親が99歳でモンブランを滑降するとか、息子がスキーでオリンピックに出場するなど頑張っていて、自分はといえばその親父と息子の間で定年退職した気分でボヤボヤしている。太ってアスリー卜とは程遠い姿になって、これで俺の人生は終わりかと考えると非常にさびしい想いがする。それで一念発起。とはいえ、気付けば高血圧だの心臓不整脈だのといった成人病をいろいろと抱えていて、まあ、言ってみればおじいさん。でもこれが登ったらまさに奇跡。それで5年間の長期計画を立ててトレーニングを始めた。最初は家の裏にあった藻岩山という531m の小さな山から登り、次は千、その次は3千と繰り返しながら。苦しいとかつらいとかはあるけど、結果としては登り続けて良かった。小さな達成感というのが夢の原動力になって最終的なゴール、エベレス卜の頂上にアタックできたから。だから、夢を持ったらあきらめない。一歩ずつ登っていく。ただ、それだけ。
どうしてそんな危険を冒してまで旅に出るのか? やっぱりどうせならわくわくしながら生きていたい。その頂点が僕にとっては冒険という世界。冒険がなくなったら人生はおしまい。大人になると変に縛られて自分で檻をつくってしまうが、自分は檻から出てみたいし、出たら危険がいっぱいだと知っていながらも檻の外の自由、不思議な世界を求めていたい。子供は誰でも冒険家、子供の頃は見るものすべてが
ワンダーランドだった。僕は子供の頃に感じた感動、驚異を大人になっても持ち続けていたい。きっと子供の頃に親に連れられて冬山をわくわくしながら歩いていたあの感覚が、今のエベレストという地球のてっぺんを登る感覚につながっているんだと思う。
次の夢は2008年にチョモランマの頂上に立つこと。その年の北京五輪で聖火ランナーがチョモランマの頂上にくるというので、同じ時期に立ってみたい。そう考えると、またわくわくしますよね(笑)。
※ このインタビューは、PAPERSKY no.11(2004年)に掲載されたものです。
Adventure Traveler 地球が誇る冒険者たち vol.2 三浦雄一郎 冒険スキーヤー
※三浦さんは、2013年5月、80歳にして3度目のエベレスト登頂に成功しました。
三浦雄一郎
1932年青森県生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加。時速172キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降、1970年エベレスト・サウスコル8千m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年エベレスト登頂、世界最高齢登頂記録(70歳)樹立。冒険スキーヤーとしてだけでなく行動する知性人として国際的に活躍中。