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PAPERSKY Interview | プラントハンター 西畠清順

プラントハンターとして世界中を旅する西畠清順さん。年に12〜15カ国をまわり、現地でなければ手に入らない植物を入手し、日本に運んでくる。これまでに訪れた国は、アジア、ヨーロッパ、アフリカとちょうど計30カ国。植物を求めて […]

08/26/2013

プラントハンターとして世界中を旅する西畠清順さん。年に12〜15カ国をまわり、現地でなければ手に入らない植物を入手し、日本に運んでくる。これまでに訪れた国は、アジア、ヨーロッパ、アフリカとちょうど計30カ国。植物を求めて世界を駆けめぐる、その原動力はなんなのか、清順さんに聞いた。
―ご実家は幕末から140年以上も続く植物の卸屋「花宇」でいらっしゃいますが、もともと植物に興味をもっていたのですか。 
まったくなかったですね。いまの業界に入るきっかけは、花宇に生まれたからであって、それ以上でもそれ以下でもなくて。家業でなければ植物はやってなかったと思います。小さなころからまわりは植物だらけだったけど、まったく興味はありませんでした(笑)。唯一、植物との接点といえば、年末の松の掃除ぐらい。12月になると、市場で「松市」っていうのがあって、僕たちみたいな植物の卸屋が、正月用のお飾りや生け花に使う松の花材を市場に並べるわけですよ。その松市への出荷に向けて、大だ王松とか五葉松とか、いろいろな種類の松を職人が切ってきて、それをみんなで掃除するという作業があるんです。その手伝いをしたくらいですね。
―そんな清順さんがその後、植物にのめりこんでいくわけですが、どんな転機があったのですか。
きっかけは東南アジアのボルネオ島に行ったことです。20歳ぐらいのときに、誰でもするようなバックパッカーのまねごとをしてたんです。ポリネシアの島々をまわって、東南アジアに出て、その後、ボルネオ島に足を伸ばしました。島に到着して、久々に親父に電話をしたら「ボルネオにいるならキナバル山に行って、世界一大きい食虫植物を見てきたらいい」って言われたんですよね。キナバル山が東南アジアにあるすごく高い山っていうところに魅かれて、いかにも秘境っていう感じがおもしろそうだなって。若いときって、誰も行ったことのない秘境って、無条件に見たくなるじゃないですか。そういう好奇心からキナバル山に登りました。登る前にはちゃんと、地元の本屋さんでその世界一大きい食虫植物のネペンテス・ラジャっていうのが、どういう植物なのか予習しましたよ。たしかにすごくデカくて、これは見てみたいなって思いました。
―ネペンテスは日本ではウツボカズラとも呼ばれていて、ツボみたいな捕虫器がぶら下がっている植物ですよね。捕虫器に虫を誘いこんで、消化液で溶かして栄養素を補給するという、植物とは思えない肉食系。
そう、そう。キナバル山は赤道直下にある、4,000 m 級の高い山やから、ほかの登山者はすごい重装備なんだけど、自分はTシャツとコンバースっていう姿で登りました。もちろん現地のガイドにはついてきてもらいましたけど。頂上付近は当然寒いわけで、山中で一泊したんですが、夜は寒くて泣きそうになった。そんなわけで登っていくにつれて、まわりの環境が熱帯から温帯、温帯から寒帯へと劇的に変わっていく。ゆうたら地球上の環境がひとつの山に凝縮されている感じ。たった8時間で地球上のさまざまな生態系を体験するわけじゃないですか、そんなときに、ボーンッてネペンテス・ラジャに出合ったんです。雲の上っていう高い位置に、デカい食虫植物があることに素直に驚いたし、それなりにしんどい山登りをしてきたところで見たものだから衝撃的だった。シチュエーションがよかったこともあって、植物っておもしろいなって急激に魅かれていきました。それからすぐに帰国、うちの会社に弟子入りして、帰国から3日後には雪山で花材を探す仕事をしていました。うちは老舗の小売り業者とか華道の家元とか、植物の世界では一流の人が顧客に多いので、にわか知識は通用しない。買ってもらえなくなってしまうから、必死に仕事をしました。そうしているうちに、気づいたら植物にどっぷり漬かっていましたね。
―海外へプラントハントに出かけるようになったのはいつごろからですか? 
20代の前半から年に数回は行っていました。ただ、そのころは、親父が取引をしているタイの植物園に行ったりとか、フィリピンの農場に行ったりとか、インドネシアの自然林に行ったりとか、お使いみたいな感じ。親父に言われた植物の買いつけ的なことを少しずつ経験することで、植物を探しだしたり、入手したりできる人間関係やルートができていきました。僕はプロだから、お金が儲けられるっていう目算を立てて植物の仕入れに出かけます。たとえばおもしろいバナナの木を見つけて、これは売れるなと思ったら、それを持っている人を探して訪ねる。そういう明確な目的をもって現地に足を運びますが、一方で、予想もしていなかった別のおもしろい植物を持っている人との出会いもある。そういう出会いをくりかえしながら、人脈も植物の知識も広がっていきました。
―そのような経験を通じて、清順さんはこれまでに数百種類という日本になかった植物を仕入れていらっしゃったわけですが、その間には失敗などもあったのですか。
ありますよ。最近だと、去年、スペインからオリーブの巨木など100トンの植物を輸入しようとしていたんですが、日本に着見つかったんですよ。それがアフリカマイマイという指定害虫で、日本には絶対に入れてはいけない虫。結局、全部スペインに送り返すはめになって900万円も損害が出ました。ちなみに日本が輸入している園芸用の巨木のうち、約90%がうちの会社のものなんですよ。つまり、僕ひとり。僕が独占的にやっているわけだし、ルールはしっかり守らないといけないですよね。
―どの植物を輸入するか、植物を選ぶ基準がありますよね。たとえば、同じオリーブの木が並んでいたとしたら、姿のよさが優先ですか?
まずは、コンディションがいいかどうか。かっこええなと思うのは当たり前で、僕は美しいものしか興味がないから、美しくない植物は好きじゃない。なので、美しい個体を選ぶのは大前提としてあるけど、かつコンディションもいいことが絶対条件。お金を出して苦労して輸入しても駄目になってしまうようだったら、その植物に対しても、一緒に働いてるみんなにも失礼やし。あと、めずらしい植物を見つけてちょっとしたヒットは飛ばしたい、とつねに思っています。
― これまでにヒットした植物はありますか?
誰も目をつけなかった砂漠のバラですね。原産地のイエメンで現物を見て感動しました。品種名としてはアデニウムっていう多肉植物で、園芸業界ではすでに知られていたもの。でも、これはきれいやけど寒さに弱くて冬になったら枯れるやつやからっていわれてて、生産者がつくってこなかったんです。僕は、小さくてとにかくかわいいし、花も咲くしいいのにと思っていた。それで寒さに強くて、日本の冬だって全然へっちゃらという種類を見つけたんです。それから入手ルートを探して、とある国の生産者の知り合いがタネを持っていることがわかりました。さっそくタネを仕入れて、栽培セットにしてあるサイトで売ったら3,000セットが一瞬で売り切れました。植物では異例の売れかたです。
―砂漠のバラにしてもそうなのですが、現地と日本では気候が全然異なりますよね、それでも育つなんてびっくりです。
僕が手がけた庭に、東京・代々木の代々木ヴィレッジがあるのですが、すごく不自然な庭なんです。スペインのオリーブの巨木の隣に、アトラス山脈に自生する杉があったり、水が大好きな雲南省のハンカチの木の横に、世界一大きくなるサボテンの子どもが植わっていたりします。このサボテン、なんで生きられてるん?って感じでしょう。オーストラリアのティーツリーや、アルゼンチンのモンキーパズルもいてたりするんですよ。イメージは、植物図鑑。デザインされた調和の取れた庭じゃなくて、植物がひとつずつ際立っていて、これなに? これなに?って見てる人が思うような庭を目指しました。ほとんど手間のかからない植物ばっかり植えているので、じつは植物の管理費よりも芝生のメンテナンス代のほうが高いくらいです。
― 現在は都内の大型都市開発にも携わっているとか。活躍の場がどんどん広がっていますね。
代々木ヴィレッジもそうですが、変わった建物だったり、パブリックアートだったり、土地の個性やメッセージを発信するにはいろいろな手段があると思うけど、そのひとつに植物があってもいいと思うんですよね。たとえばでっかいボトルツリーが町のウリになったりするのって、これからの時代は絶対アリって思う。僕は植物の世界から天才って呼ばれる人が出てきてほしいって思っている。すごく頭がよくて、感性も知識も兼ね備えていて、そういうすごい人。そんな天才が現れるまでに、僕はその下準備として、植物をツールにいろいろなことをやっておきたい。さっきの都市開発もそのひとつ。そうして、やがて現れるだろう天才が、植物で世の中を変えていくようになったらいいなあって、思っています。
 
西畠清順(にしはた せいじゅん)Seijun Nishihata  
明治元年より150 年続く、花と植木の卸問屋「株式会社 花宇」の5 代目。日本全国・世界数十カ国を旅し、収集・生産している植物は数千種類。日々集める植物素材で、生け花・フラワーデザイン・室内緑化・ランドスケープなど国内はもとより海外からのプロジェクトも含め年間2,000件を超える案件に応えている。2012年1月、ひとの心に植物を植える活動である“そら植物園”をスタート。さまざまな個人・企業・団体と植物を使ったプロジェクトを多数進行中。
» PAPERSKY’s BARCELONA | SWIM Issue (no.42)