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由比で江戸のポップアートを学ぶ(蒲原〜興津)

原から吉原を経て、静岡市の蒲原へ。広重の『東海道五十三次』で蒲原は雪景色として描かれるが、この地の気候は温暖で、雪が降り積もることはほとんどないという。広重はじつは東海道を歩いていなかったという説もあるが、それは現実離れ […]

08/17/2011

原から吉原を経て、静岡市の蒲原へ。広重の『東海道五十三次』で蒲原は雪景色として描かれるが、この地の気候は温暖で、雪が降り積もることはほとんどないという。広重はじつは東海道を歩いていなかったという説もあるが、それは現実離れした蒲原の絵を理由にすることが多い。雪でも降らないかと思うほど暑い蒲原を抜けてひた歩くと、続く由比の宿場には広重の作品を扱う静岡市東海道広重美術館があった。「広重の作品は江戸の庶民に情報を伝える雑誌やチラシのような感覚で親しまれていました。数もたくさん刷られたので、陶器をフランスなどに輸出する際の包み紙にもされたんです。その包み紙を見た人があまりのきれいさにびっくりして、そこからジャポニスムが始まったといわれています」と学芸員の伏見智子さん。広重の大胆な遠近差で奥行きを出す画風は、ゴッホやマネらに影響を与えたといわれている。
1797年に武家の子として生まれ、15歳で歌川豊広に入門した広重は美人画などを経て風景版画に取り組むと、『東海道五拾三次之内』が大ヒット。その後も多くの東海道ものを制作した。「広重はポップアートの元祖みたいな人だね。絵に広告的な要素を入れたり、弥次喜多も描き入れている。そういう裏のストーリーを知ってから見るとよりおもしろい。ウォーホルもかっこいいけど、200年前にこれを描いた人が日本にいたというのがすごい」とルーカスも感心しきり。由比の宿場を町の名士の案内でめぐった一行は、教えてもらった「いちうろこ」の美味いかまぼこをかじりながら、広重が描いた薩埵峠へ。足下は海の断崖絶壁というこの峠は、駿河湾越しの富士の眺望がすばらしい。狭い崖下を道路と線路がせわしなく縫う現在も、広重が見た (?) 富士の姿だけはそのままだ。