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旅の絵から読む、江戸の文化史

旅という新しい娯楽が日本で生まれたのは、江戸時代のこと。それと連動するように、当時、美術の世界でも旅をモチーフにした絵が多く生まれた。歌川広重の『東海道五十三次』は、そうした絵を代表するシリーズだ。当時の旅の絵のなかには […]

08/04/2011

旅という新しい娯楽が日本で生まれたのは、江戸時代のこと。それと連動するように、当時、美術の世界でも旅をモチーフにした絵が多く生まれた。歌川広重の『東海道五十三次』は、そうした絵を代表するシリーズだ。当時の旅の絵のなかには旅人が描きこまれていることが多いが、「そこに当時の絵画と庶民との関係性をひもとく鍵がある」と『旅する江戸絵画』(ピエ・ブックス)の著者で府中市美術館学芸員の金子信久さんは言う。
「江戸時代の絵に旅人がたくさん描かれている理由は、絵のありかたが現代とは違って、見る人にとってもっと切実なものだったからだと思います。当時の人たちは頻繁に旅に出られたわけではなく、外の世界をあまり知らない。外の世界のイメージを唯一、伝えてくれる媒体は絵画だったんです。だからここはこんな場所なのかとか、行ってみたいとか、そういう強い気持ちをもって絵を見ていたはずで、絵に描かれた旅人というのは、そうやって絵を見る人をその場所へ連れていってくれる仲介者的な存在だったんじゃないかと思うんです」
東海道の絵が多く描かれるようになるのは、庶民にとっても旅が身近になってくる江戸後期。その少し前には、幕府の政策もあって、日本各地の物産研究がさかんだったという。それは絵画にも影響を与え、歌川国芳は諸国の物産と美人画を合わせた『山海名産尽』というシリーズを描き、広重の五十三次にも宿場ごとの物産が描かれる。
「当時の日本人は、頭のなかの日本地図を各地の物産とともにつくっていたんじゃないかと思うんです。おそらく、広重の絵もそういうところに支えられている部分がありますよね。『五十三次名所図会』の丸子の絵なんか、名物のとろろ汁屋が並んでいるだけで(笑) 。物産がないと各地の描き分けも難しいけれど、そういうものを描きこんだ絵が見たいというニーズもあったんだと思います」
広重の絵は夜景が多いことも特徴だ。当時の旅は暗くならないうちに投宿するのが常識。だが広重は、夜歩く旅人もあえて描いた。
「それは現実ではなく、想像の世界ですよね。広重は現実の旅ばかりではなく、文学的な情緒というようなものを、庶民の憧れである東海道の旅という空間に重ねあわせたんです。絵を買う人も現実と想像的な面の両方を求めていたんじゃないかと思います。いわば皆が納得のうえで成立している、ひとつのファンタジーですよね。一方、原在正なんかは東海道の本当にリアルな風景を描いています。広重の絵をガイドにしたらたぶん、旅はできない(笑)」
だが広重のそんな画風は、近代においてもその評価を高める要因となった。江戸時代、あれほどさかんだった旅の絵は明治に入ると極端に減るという。それは日本の近代化にともなって西洋の価値観が入ってくることと関わりがある。
「そのころには芸術としての風景画、厳密に言えばイギリスなんかのロマン主義の風景画が入ってきます。すると、物産や名所といった要素の入った旅の絵は非芸術的なものとして、芸術の世界では蔑まれていったんです。でも広重の絵は夜景などのロマンチックなところがイギリスの風景画とも合うところがあった。それで近代に入っても高く評価されたんです。そんな明治期の近代芸術という考えかたも古くなったいま、旅はまた新しい芸術のきっかけやモチーフになるのかもしれないですね」
金子信久 Nobuhisa Kaneko
1962年、東京都生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。福島県立博物館学芸員などを経て、府中市美術館学芸員。専門は江戸時代絵画史。著書に『旅する江戸絵画』(ピエ・ブックス)、共著『別冊太陽江戸絵画入門』(平凡社)などがある。