古い土を掘りだす 備前焼 3
最近つくられた備前焼の鉢と数百年前につくられたものをくらべると、同じように見える。どちらも釉薬を使っておらず、表面がザラザラで、厚みがある。土の純度が高ければ光沢のある濃い色になり、どちらの鉢も土のなかからそのまま掘り起こしてきたように見える。けれども、昔のものと最近のものでは、土の取りだしかたが違う。「最近ではショベルカーで採土していますが、昔の陶工たちは手で掘っていました。備前の土はものすごく固いので、すごく大変な作業だったと思います」。樫本孝一が備前焼の土を掘りだした経験を話してくれた。建設会社を経営する彼だが、若いころ、備前焼を志し、自分には「陶工に必要な資質」が備わっていないことに気づいて諦めたという …»
陶器の偶像 備前焼 2
屋根から伸びた赤煉瓦の煙突や、窯にくべる薪の山、耐火煉瓦工場の跡地を通り過ぎながら、伊部の町を歩く。藤原陶臣の家に着いたのは午後遅くのことだった。庭には犬が三匹、雄鶏が一羽、何羽かの鳥がいて、魚が入った水槽がいくつか並んでいた。工房には、ストーブの上で焼かれている鹿肉の獣じみた臭いが漂う。藤原は窓の側の回転いすに腰かけて、牛の上にまたがった男の像をつくっている。細部まで驚くほど精巧である。「ひとつの形、たとえばこの牛なんかを精巧につくるのは、それほど難しいことじゃない。一年もあればできるようになる。けれど、さまざまな形やスタイルを習得するのは並大抵じゃないよ」 …»
いにしえの技を現代へ – 備前焼 1 炎に焼かれて
岡山の伊部に広がる田んぼの下には、粘土層が走っている。かつて備前国と呼ばれていたこの地方の陶工たちは、千年以上にわたって鉄分の多いこの土を掘り起こし、釉薬を使わない焼き物「備前焼」をつくってきた。備前焼は日本六古窯のなかでももっとも古く、尊重されている焼き物である …»
光を写す唐紙の技|京都・かみ添
入り口から差し込む光が部屋の奥に届き、雲母によって摺られた唐紙に水玉文様を浮かび上がらせている。襖によって受け止められたやわらかな光は、日の傾きとともに時の流れを室内に映し込む。京都の西陣にある唐紙工房・かみ添は、唐紙職人の嘉戸浩が2年前に開いた店。唐紙とは和紙に絵柄を摺ったものであり、江戸時代より襖紙として広く使われていた。
「昔の人は電気のない時代、自然と入ってくる光の加減で、時間を感じていたんだろうと思うんです。朝の光、夕方の光、お月さんの出た夜の光。ふすまの表情がふんわり浮かんでくるような、そうした微妙な光の加減の中で話をしたり、お茶を飲んだりしてはったんやろうなぁと」
嘉戸はアメリカで デザインを学び、グラフィックデザイナーとしての仕事を経験した。「唐紙に興味を持ったのは、アメリカにいたときのことです …»
伝統は木から生まれる | 美濃和紙 3
伝統はこだまのようなもの。世代が変わるたびに聞こえかたが違ってくる。伝統とは、年長者から若者へと受け継がれる知識のパターンである。こうしたこだまが生き残るには、時代に適応するしかない。適応するか、滅びるか。あらゆる自然体系に共通する原理である。中国の紙漉きの技術が日本に初めて入ってきたのは610年のこと。高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が伝えたといわれる。それから現在まで受け継がれてきた和紙は、まさに適応に成功したこだまのひとつである。最初に伝わった紙漉きのやりかたでは弱い紙しかつくれず、日本での使用には向いていなかったため、強く、繊維に富んだ楮が紙の原料として使われるようになった。ひとつ適応が起きたのである。そして、若手の美濃和紙職人である保木成敏の工房を見て、和紙が現代社会に適応しはじめていると感じた …»
重たい曼荼羅の下に座る|山伏ー山の行者たち 3
見上げると、いまは亡き人々の写真が隙間なく貼られた壁が目に入る。念入りに仕立てられた装束に身を包んだ昔の山伏たちが、畳の上に座っている人を見下ろしている。ここは、星野博が営む宿坊の大広間。修行者を泊めるための宿だ。現在、出羽三山の周辺にはここを含めて30軒ほどの宿坊がある。何百年前にはこの10倍あった。
「ご年配のお客さんはまだ来てくださいますが、若い人たちは来ませんね。若いお客さんを呼ぶためにどうすればいいのか、正直まったくわかりません。これが時代の流れってものなのかもしれませんね。いまの人たちには山伏のやりかたが理解できないのでしょう」。
星野博は社交的でよく話し、宿坊の主にうってつけの人柄である。17代続く山伏の家の末裔で、数多くの信者たちに複雑な修験道の信念体系をわかりやすく説いてきた。宿坊は日本全国にいくつもあるが、山伏の宿坊は普通の宿坊とは違う。そこは修験道の道場であり、精神を鍛える学びの場でもある …»
修行者を支える存在|山伏ー山の行者たち 2
山伏は死に臨むため、白装束に身を包み、大きなほら貝と杖を手に山に入っていく。9日間を山中で過ごす「秋の峰入り」で生き延びることができれば、命の本質、すなわち「森羅万象」に一歩近づくことができるのだ。山の修行は秘儀として、千年以上もこの地で守られ、山伏たちによって受け継がれてきた。山伏たちが、食べ物も水も断ち、ほぼ不眠という状態で、身体を苛酷な状況に追いこんでいることはわかっている。しかし、これ以上のことを聞きだすのは難しい。「修行のことは話せません」、81歳の宮田和雄は言う。 「身体で学ぶしかないものですから」 …»































