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		<title>盆栽界の錬金術師｜木村正彦｜大宮盆栽 3</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2012/01/04/masahiko-kimura/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2012/01/04/masahiko-kimura/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 00:00:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
				<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[関東]]></category>
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		<category><![CDATA[japan]]></category>
		<category><![CDATA[埼玉]]></category>
		<category><![CDATA[盆栽]]></category>

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		<description><![CDATA[皇居の敷地内に「三代将軍の松」と呼ばれる500年物の盆栽がある。人間が植えて世話をしてきた世界最古の盆栽である。より正確に言えば、手入れをしてきたのは何十人という盆栽職人であり、そのなかには将軍も含まれている。盆栽は工芸作品であり、芸術作品だが、ひとりの人間が創り上げるものはない。職人たちが何世紀にもわたって力を合わせ、針金や剪定ばさみなどのシンプルな道具を駆使して五葉松を縛り、刈りこみ、手入れをしながら大自然の風景を鉢のなかに再現していく。 世界的に知られる盆栽界の巨匠、木村正彦のやりかたは違う。彼は盆栽の栽培者、職人、世話人というだけでなく、アーティストである。彼の作品は、長い年月と多くの人々の手をかけた盆栽ではない。電動工具と直感を使い、木の形を自分の思いどおりに変えていく。「一本の木に100年もかけていたら、生計なんか立てられない。その前に死んでしまうでしょう。芸術家はふつう、死んでから世間に評価されますが、私はそうなりたくありません」。 木村は1940年代に盆栽村で生まれた。父は発明家だったが、1951年に他界する。父の死は木村の生い立ちに強い影響を与えたという。「母は子どもたちを育てるために身を粉にして働いていましたが、経済的に苦しく、私は進学できませんでした。それで母は、私が手先が器用だということで、盆栽の道に進むといいんじゃないかと考えたのです」。 たしかに木村の手先は器用だが、なによりも彼の才能は細部への隙のない目配り、形に対する感覚、創作力にあった。盆栽の作業に使っている道具は、ほとんど自作である。従来は何十年もかかっていた作業が、木村にかかると一日、場合によっては数時間で終わってしまう。彼が見せてくれたアルバムには、山から運んできた木が写っている。それが7時間半で、左右非対称なみごとな盆栽に変わっていた。「本当に新しいことをやろうとすれば、大きなリスクが伴います。すべての人に、そんな危険を冒す覚悟があるわけではありません」。この姿勢のせいで、盆栽の世界で異端児扱いされたこともある。「人々は私を『魔術師』と呼びますが、マジシャンといわれるのはあまり好きではありません。この仕事は毎日が挑戦、毎日が重労働です」。 話を聞きながら、彼の盆栽園を歩いた。置かれている作品は、いずれも「木」という感じがしない。杜松なのか、松なのか、種類がわからない。そこに見えるのは、濃い糖蜜を浴び、緑の葉が形づくる雲の下で固まった幹と枝。木村という巨匠が残した刻印だった。 木村正彦　 埼玉県北足立郡伊奈町小室7580 TEL: 048-721-3033 ※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。 Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>皇居の敷地内に「三代将軍の松」と呼ばれる500年物の盆栽がある。人間が植えて世話をしてきた世界最古の盆栽である。より正確に言えば、手入れをしてきたのは何十人という盆栽職人であり、そのなかには将軍も含まれている。盆栽は工芸作品であり、芸術作品だが、ひとりの人間が創り上げるものはない。職人たちが何世紀にもわたって力を合わせ、針金や剪定ばさみなどのシンプルな道具を駆使して五葉松を縛り、刈りこみ、手入れをしながら大自然の風景を鉢のなかに再現していく<span id="more-10772"></span>。</p>
<p>世界的に知られる盆栽界の巨匠、木村正彦のやりかたは違う。彼は盆栽の栽培者、職人、世話人というだけでなく、アーティストである。彼の作品は、長い年月と多くの人々の手をかけた盆栽ではない。電動工具と直感を使い、木の形を自分の思いどおりに変えていく。「一本の木に100年もかけていたら、生計なんか立てられない。その前に死んでしまうでしょう。芸術家はふつう、死んでから世間に評価されますが、私はそうなりたくありません」。</p>
<p>木村は1940年代に盆栽村で生まれた。父は発明家だったが、1951年に他界する。父の死は木村の生い立ちに強い影響を与えたという。「母は子どもたちを育てるために身を粉にして働いていましたが、経済的に苦しく、私は進学できませんでした。それで母は、私が手先が器用だということで、盆栽の道に進むといいんじゃないかと考えたのです」。</p>
<p>たしかに木村の手先は器用だが、なによりも彼の才能は細部への隙のない目配り、形に対する感覚、創作力にあった。盆栽の作業に使っている道具は、ほとんど自作である。従来は何十年もかかっていた作業が、木村にかかると一日、場合によっては数時間で終わってしまう。彼が見せてくれたアルバムには、山から運んできた木が写っている。それが7時間半で、左右非対称なみごとな盆栽に変わっていた。「本当に新しいことをやろうとすれば、大きなリスクが伴います。すべての人に、そんな危険を冒す覚悟があるわけではありません」。この姿勢のせいで、盆栽の世界で異端児扱いされたこともある。「人々は私を『魔術師』と呼びますが、マジシャンといわれるのはあまり好きではありません。この仕事は毎日が挑戦、毎日が重労働です」。</p>
<p>話を聞きながら、彼の盆栽園を歩いた。置かれている作品は、いずれも「木」という感じがしない。杜松なのか、松なのか、種類がわからない。そこに見えるのは、濃い糖蜜を浴び、緑の葉が形づくる雲の下で固まった幹と枝。木村という巨匠が残した刻印だった。</p>
<p>木村正彦　<br />
埼玉県北足立郡伊奈町小室7580<br />
TEL: 048-721-3033</p>
<p><em>※この記事は『<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.37</a>』に掲載されています。</em><br />
Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean    Coordination: Lucas Badtke-Berkow</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/bonsai_kimura_00.jpg" alt="" title="bonsai_kimura_00" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10781" /></p>
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		<title>大宮盆栽 2｜千年の眠りから覚めて｜山田香織</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/19/kaori-yamada/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/12/19/kaori-yamada/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 Dec 2011 00:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「盆栽がやがて私の仕事になり人生になることに、中学生のころに気がついて、大きなプレッシャーを感じていました」。山田香織は高名な盆栽園のひとつである清香園の跡取り娘だ。ひとり娘の山田は幼いころから、150年の歴史を誇る清香園の5代目となり、盆栽名人にならねばならないという運命の重みをひしひしと感じていたという。 ある秋の朝、彼女は盆栽の隣に座り、「長い伝統を受け継ぐ重圧」について語ってくれた。「自分にはそれだけの力があるだろうかって悩みました」。山田は現在、30代前半にして実力を高く評価され、日本でもっとも名の知られた女性盆栽家になっている。彼女は伝統的な盆栽の考えに新しい息吹を吹きこみ、これまでの客層とはまったく異なる日本の若い世代に盆栽の魅力を伝えている。 多くの外国人は日本を象徴する文化として盆栽を見るが、日本人の多くは「おじいちゃんのやること」といったイメージが強い。盆栽は、一生かけて手入れをして、初めて結果が出るものだが、山田は1980年代に父親が提案した新しい流儀「彩花盆栽」を学び、これまでの盆栽に代わるものとして世の中に紹介した。当時、日本は好景気の只中にあり、高価な盆栽が注目を集めていた。だが経済が停滞して約20年が経過した現在、盆栽をよりシンプルに楽しめる彩花盆栽の価値が理解されつつある。「彩花盆栽を通じて、若い女性にもっと盆栽を楽しんでもらいたい。従来の盆栽とスタイルこそ違いますが、本質は継承されています。古典的な盆栽はいまの世の中では少し時代遅れに見えるでしょう。伝統は時代の変化に適応し、現代人の生活様式に合わせて姿を変えていかねばならないと思います。昔からのやりかたをなにがなんでも維持しようというのは、現実的ではないですね」。 伝統的な盆栽の流儀では、ひとつの鉢に一本というルールがあり、複数の植物を一緒に植えてはならない。簡素な美しさ、抑制、忍耐強さを促すためだが、いずれも現代人にとっては理解しにくいコンセプトである。彩花盆栽では、ひとつの鉢に枝ものと草ものを寄せ植えし、小さな庭をつくりあげる。シンプルで楽しみやすいスタイルだ。「それでも、日本の大自然の風景をひとつの鉢のなかで再現するという盆栽の基本的な考えは守られています」。彩花盆栽には熱心なファンがおり、とくに女性の間で人気が高い。 批判的な人々の間では、彩花は盆栽というよりも生け花に近いもので、「真の」盆栽とは呼べないという意見がある。だが、これはあまりにも短絡的な考えだ。盆栽に対する厳格なルールや理念が生まれる前は、「盆景」という手法があり、人々は石や、野生の花や草、木などを集めて箱庭をつくっていたではないか。彩花盆栽は、この盆栽の祖である技法にいちばん近いかもしれない。盆景は山田によって千年の眠りから覚め、現代に蘇ったのである。 清香園　 埼玉県さいたま市北区盆栽町268 TEL: 048-663-3931 www.seikouen.cc ※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。 Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「盆栽がやがて私の仕事になり人生になることに、中学生のころに気がついて、大きなプレッシャーを感じていました」。山田香織は高名な盆栽園のひとつである清香園の跡取り娘だ。ひとり娘の山田は幼いころから、150年の歴史を誇る清香園の5代目となり、盆栽名人にならねばならないという運命の重みをひしひしと感じていたという。<br />
ある秋の朝、彼女は盆栽の隣に座り、「長い伝統を受け継ぐ重圧」について語ってくれた。「自分にはそれだけの力があるだろうかって悩みました」。山田は現在、30代前半にして実力を高く評価され、日本でもっとも名の知られた女性盆栽家になっている。彼女は伝統的な盆栽の考えに新しい息吹を吹きこみ、これまでの客層とはまったく異なる日本の若い世代に盆栽の魅力を伝えている<span id="more-10773"></span>。</p>
<p>多くの外国人は日本を象徴する文化として盆栽を見るが、日本人の多くは「おじいちゃんのやること」といったイメージが強い。盆栽は、一生かけて手入れをして、初めて結果が出るものだが、山田は1980年代に父親が提案した新しい流儀「彩花盆栽」を学び、これまでの盆栽に代わるものとして世の中に紹介した。当時、日本は好景気の只中にあり、高価な盆栽が注目を集めていた。だが経済が停滞して約20年が経過した現在、盆栽をよりシンプルに楽しめる彩花盆栽の価値が理解されつつある。「彩花盆栽を通じて、若い女性にもっと盆栽を楽しんでもらいたい。従来の盆栽とスタイルこそ違いますが、本質は継承されています。古典的な盆栽はいまの世の中では少し時代遅れに見えるでしょう。伝統は時代の変化に適応し、現代人の生活様式に合わせて姿を変えていかねばならないと思います。昔からのやりかたをなにがなんでも維持しようというのは、現実的ではないですね」。</p>
<p>伝統的な盆栽の流儀では、ひとつの鉢に一本というルールがあり、複数の植物を一緒に植えてはならない。簡素な美しさ、抑制、忍耐強さを促すためだが、いずれも現代人にとっては理解しにくいコンセプトである。彩花盆栽では、ひとつの鉢に枝ものと草ものを寄せ植えし、小さな庭をつくりあげる。シンプルで楽しみやすいスタイルだ。「それでも、日本の大自然の風景をひとつの鉢のなかで再現するという盆栽の基本的な考えは守られています」。彩花盆栽には熱心なファンがおり、とくに女性の間で人気が高い。</p>
<p>批判的な人々の間では、彩花は盆栽というよりも生け花に近いもので、「真の」盆栽とは呼べないという意見がある。だが、これはあまりにも短絡的な考えだ。盆栽に対する厳格なルールや理念が生まれる前は、「盆景」という手法があり、人々は石や、野生の花や草、木などを集めて箱庭をつくっていたではないか。彩花盆栽は、この盆栽の祖である技法にいちばん近いかもしれない。盆景は山田によって千年の眠りから覚め、現代に蘇ったのである。</p>
<p>清香園　<br />
埼玉県さいたま市北区盆栽町268<br />
TEL: 048-663-3931<br />
<a href="http://www.seikouen.cc" target="_blank">www.seikouen.cc</a></p>
<p><em>※この記事は『<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.37</a>』に掲載されています。</em><br />
Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean    Coordination: Lucas Badtke-Berkow</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/bonsai_yamada_01.jpg" alt="" title="bonsai_yamada_01" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10774" /></p>
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		<title>文化庁「工芸技術記録映画」の特集｜東京国立近代美術館 フィルムセンター</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/06/japanese-craft-techniques-on-screen/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/12/06/japanese-craft-techniques-on-screen/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 06 Dec 2011 04:22:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TEAM YUM YUM</dc:creator>
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		<description><![CDATA[加賀蒔絵の松田権六を始め、日本の伝統工芸の優れたわざを記録した「伝統工芸記録映画」（文化庁）のこれまでの作品を、東京国立近代美術館 フィルムセンターにて見ることができます。「伝統工芸記録映画」は、重要無形文化財に指定された伝統工芸のわざを映像で記録することを目的とし、文化庁が1971年より製作に着手。以来、ほぼ1年に1本のペースで継続的に製作が行われ、これまでに42本の映画が発表されています。本特集では、第1作の『蒔絵 －松田権六のわざ－』から、計5作品が作られた昨年度の最新作――『釉裏金彩 －吉田美統のわざ－』『鉄釉陶器 －原清のわざ－』『鋳金 －大澤光民のわざ－』『彫金 －桂盛仁のわざ－』『鍛金 －田口壽恒のわざ－』――まで、全作を美しいオリジナルの35mmフィルムで鑑賞できる機会となります。 また、同時期に東京国立近代美術館工芸館（北の丸公園）で開催される「所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品」（11月22日－2012年1月29日）では、上記の映画シリーズと関係する主要な工芸作品約60点を特集します。『蒔絵 －松田権六のわざ－』で記録された後、工芸館へ移管された《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》や、『髹漆 －増村益城のわざ－』に登場する《乾漆朱輪花盤》（当館寄託作品）のほか、京都国立近代美術館が所蔵する北村昭斎の螺鈿、文化庁が所蔵する田口壽恒の鍛金や中川清司の木工芸などの作品を陳列します。作品（展示）とその制作工程（映画）を比較しながら鑑賞できます。 日本の文化・記録映画選　文化庁「工芸技術記録映画」の特集 会期：2011年11月25日（金）- 2012年1月15日（日） ※金曜日・土曜日・日曜日のみの上映。※12月30日（金）-1月1日（日）は休映。 会場：東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール　東京都中央区京橋3-7-6 料金：一般500円／高校・大学生・シニア300円／小・中学生100円／ 障害者（付添者は原則1名まで) キャンパスメンバーズは無料 上映スケジュールはこちら お問い合わせ： 東京国立近代美術館フィルムセンター http://www.momat.go.jp/FC/fc.html 【関連企画】 所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品 会期：2011年11月22日（火）－ 2012年1月29日（日）　 ＊休館日：月曜日（ただし1/2、1/9は開館）、12/28-1/1、1/10 会場：東京国立近代美術館工芸館 　 　 ※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。 最新コラム &#187; Bonsai / 大宮盆栽 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/12/06/japanese-craft-techniques-on-screen/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>加賀蒔絵の松田権六を始め、日本の伝統工芸の優れたわざを記録した「伝統工芸記録映画」（文化庁）のこれまでの作品を、東京国立近代美術館 フィルムセンターにて見ることができます。「伝統工芸記録映画」は、重要無形文化財に指定された伝統工芸のわざを映像で記録することを目的とし、文化庁が1971年より製作に着手。以来、ほぼ1年に1本のペースで継続的に製作が行われ、これまでに42本の映画が発表されています<span id="more-10938"></span>。本特集では、第1作の『蒔絵 －松田権六のわざ－』から、計5作品が作られた昨年度の最新作――『釉裏金彩 －吉田美統のわざ－』『鉄釉陶器 －原清のわざ－』『鋳金 －大澤光民のわざ－』『彫金 －桂盛仁のわざ－』『鍛金 －田口壽恒のわざ－』――まで、全作を美しいオリジナルの35mmフィルムで鑑賞できる機会となります。</p>
<p>また、同時期に東京国立近代美術館工芸館（北の丸公園）で開催される「所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品」（11月22日－2012年1月29日）では、上記の映画シリーズと関係する主要な工芸作品約60点を特集します。『蒔絵 －松田権六のわざ－』で記録された後、工芸館へ移管された《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》や、『髹漆 －増村益城のわざ－』に登場する《乾漆朱輪花盤》（当館寄託作品）のほか、京都国立近代美術館が所蔵する北村昭斎の螺鈿、文化庁が所蔵する田口壽恒の鍛金や中川清司の木工芸などの作品を陳列します。作品（展示）とその制作工程（映画）を比較しながら鑑賞できます。</p>
<p>日本の文化・記録映画選　文化庁「工芸技術記録映画」の特集<br />
会期：2011年11月25日（金）- 2012年1月15日（日）<br />
※金曜日・土曜日・日曜日のみの上映。※12月30日（金）-1月1日（日）は休映。<br />
会場：東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール　東京都中央区京橋3-7-6<br />
料金：一般500円／高校・大学生・シニア300円／小・中学生100円／<br />
     障害者（付添者は原則1名まで) キャンパスメンバーズは無料<br />
上映スケジュールは<a href="http://www.momat.go.jp/FC/Cinema2-kogei/nittei.html" target="_blank">こちら</a></p>
<p>お問い合わせ：<br />
東京国立近代美術館フィルムセンター<br />
<a href="http://www.momat.go.jp/FC/fc.html" target="_blank">http://www.momat.go.jp/FC/fc.html</a></p>
<p>【関連企画】<br />
所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品<br />
会期：2011年11月22日（火）－ 2012年1月29日（日）　<br />
＊休館日：月曜日（ただし1/2、1/9は開館）、12/28-1/1、1/10<br />
会場：東京国立近代美術館工芸館<br />
　<br />
　<br />
※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。<br />
最新コラム &#187; <a href="http://www.papersky.jp/?p=10767">Bonsai / 大宮盆栽</a><br />
記事一覧はこちら &#187; <a href="http://www.papersky.jp/tag/japan/">http://www.papersky.jp/tag/japan/</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/12/matsuda.jpg" alt="" title="matsuda" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10939" /></p>
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		<title>大宮盆栽 1｜年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう｜田畑好信</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/05/elderly-sick-and-deciduous/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/12/05/elderly-sick-and-deciduous/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 05 Dec 2011 00:30:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
				<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[関東]]></category>
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		<category><![CDATA[盆栽]]></category>

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		<description><![CDATA[1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である。 年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう｜田畑好信 自然界の美を支配するのは難しい。それでも人間は挑戦しつづける。野生の動物を飼いならしたり、鳥の羽を切り落としその美しい姿を眺めたり、花や木や岩のような自然の景観を織りなすものを家や庭にもちこんだりすることを止めない。 日本と中国では、自然の景観を人間がコントロールする手法が様式美と呼ばれ、芸術になっている。盆栽の起源は中国の「盆景」。それが1185年から1333年の間に日本に伝わり、18世紀半ばには、現在の「盆栽」に近いものが生まれたという。盆栽は、小さな木を思うような形に育て、自然の景観を再現する技法である。 「盆栽を育てることは、ライオンを手なづけてペットにするのと同じくらい難しいことです」。田畑好信は、窓越しに並んだ盆栽を眺めながら言う。現在、37歳の彼は、大宮盆栽美術館に勤める盆栽技師。ここにある盆栽を手入れして、美しく保つのが仕事である。 美術館に展示された盆栽の間を歩きながら、彼はそのひとつひとつについて、まるで人間について話すように、名前を呼びながら説明してくれた。 「盆栽技師にとってもっとも重要なのは、自分が手入れしている盆栽のことをよく知っていることです。同じ品種の松の木が10本あったとしても、性格はそれぞれ違います。たくさん手をかけなければいけない木もあれば、あまり構わなくても問題ない木もある。木にはそれぞれ微妙な性格の違いがあります」。だが、盆栽を人間と同じように扱うことはできないと彼は強調する。「人間は長所と短所をバランスよくもっていなければなりませんが、盆栽の場合、短所と思われる部分は切り落としてしまいます」。 田畑は故郷の鹿児島の高校を卒業後、大宮にやってきた。盆栽愛好家だった父親に背中を押され、日本の盆栽の中心地である大宮に移り住み、盆栽園で働くようになった。盆栽村の成り立ちと盆栽園の数が減った理由はこの地で知ったという。東京の下町に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災。残った盆栽園が東京を離れ、大宮に移り住んだ。「大宮は水と土がよかったし、ほかの地域より少し涼しかったので」と田畑は言う。第二次世界大戦中の度重なる苦難によっても、盆栽園の数は徐々に減っていき、いまやここに10園ほどを残すだけになった。 「どれだけ完璧にコントロールしても、どこか必ずうまく行かないところが出てきます」。盆栽技師の誰もがそうであるように、田畑はいいかげんなところがなく、思慮深い雰囲気をもっている。彼はよく考えてから、こう締めくくった。「だからこそ、盆栽はおもしろいんですよ」。 さいたま市大宮盆栽美術館 埼玉県さいたま市北区土呂町2-24-3 TEL: 048-780-2091 www.bonsai-art-museum.jp ※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。 Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow ※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。 記事一覧はこちら &#187; http://www.papersky.jp/tag/japan/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である<span id="more-10767"></span>。</p>
<p><strong>年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう｜田畑好信</strong></p>
<p>自然界の美を支配するのは難しい。それでも人間は挑戦しつづける。野生の動物を飼いならしたり、鳥の羽を切り落としその美しい姿を眺めたり、花や木や岩のような自然の景観を織りなすものを家や庭にもちこんだりすることを止めない。</p>
<p>日本と中国では、自然の景観を人間がコントロールする手法が様式美と呼ばれ、芸術になっている。盆栽の起源は中国の「盆景」。それが1185年から1333年の間に日本に伝わり、18世紀半ばには、現在の「盆栽」に近いものが生まれたという。盆栽は、小さな木を思うような形に育て、自然の景観を再現する技法である。</p>
<p>「盆栽を育てることは、ライオンを手なづけてペットにするのと同じくらい難しいことです」。田畑好信は、窓越しに並んだ盆栽を眺めながら言う。現在、37歳の彼は、大宮盆栽美術館に勤める盆栽技師。ここにある盆栽を手入れして、美しく保つのが仕事である。</p>
<p>美術館に展示された盆栽の間を歩きながら、彼はそのひとつひとつについて、まるで人間について話すように、名前を呼びながら説明してくれた。<br />
「盆栽技師にとってもっとも重要なのは、自分が手入れしている盆栽のことをよく知っていることです。同じ品種の松の木が10本あったとしても、性格はそれぞれ違います。たくさん手をかけなければいけない木もあれば、あまり構わなくても問題ない木もある。木にはそれぞれ微妙な性格の違いがあります」。だが、盆栽を人間と同じように扱うことはできないと彼は強調する。「人間は長所と短所をバランスよくもっていなければなりませんが、盆栽の場合、短所と思われる部分は切り落としてしまいます」。</p>
<p>田畑は故郷の鹿児島の高校を卒業後、大宮にやってきた。盆栽愛好家だった父親に背中を押され、日本の盆栽の中心地である大宮に移り住み、盆栽園で働くようになった。盆栽村の成り立ちと盆栽園の数が減った理由はこの地で知ったという。東京の下町に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災。残った盆栽園が東京を離れ、大宮に移り住んだ。「大宮は水と土がよかったし、ほかの地域より少し涼しかったので」と田畑は言う。第二次世界大戦中の度重なる苦難によっても、盆栽園の数は徐々に減っていき、いまやここに10園ほどを残すだけになった。<br />
「どれだけ完璧にコントロールしても、どこか必ずうまく行かないところが出てきます」。盆栽技師の誰もがそうであるように、田畑はいいかげんなところがなく、思慮深い雰囲気をもっている。彼はよく考えてから、こう締めくくった。「だからこそ、盆栽はおもしろいんですよ」。</p>
<p>さいたま市大宮盆栽美術館<br />
埼玉県さいたま市北区土呂町2-24-3<br />
TEL: 048-780-2091<br />
<a href="http://www.bonsai-art-museum.jp" target="_blank">www.bonsai-art-museum.jp</a></p>
<p><em>※この記事は『<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.37</a>』に掲載されています。</em><br />
Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean    Coordination: Lucas Badtke-Berkow</p>
<p>※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。<br />
記事一覧はこちら &#187; <a href="http://www.papersky.jp/tag/japan/">http://www.papersky.jp/tag/japan/</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/bonsai_museum_02.jpg" alt="" title="bonsai_museum_02" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10768" /></p>
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		<title>擦りながら無に近づく｜雨畑硯(3)</title>
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		<pubDate>Fri, 16 Sep 2011 00:00:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<description><![CDATA[暮れゆく日のなかで黒く濃い輝きを放つ。雨畑原石でつくられた硯に少しだけ入っている墨。望月苔雲が竹炭と溶かした魚の骨を混ぜ、乾燥させて固めた特別な墨である。床の上に広げた長い紙の上を筆が走り、言葉、詩、格言などが太い線で現れる。「大好きな言葉がたくさんあります」と望月が笑う。自の前の紙の山を探し、ようやくお目当てのA3サイズほどの大きさの紙を見つけた。彼の好きな言葉を書きだしたリストである。望月は山梨県で、書道家として、また書道の指導者として尊敬を集めている人物だ。書道（硯も）は、日本の伝統文化の例にもれず、インドを起源としている。紀元前2世紀には、すでに亀甲、木、骨などに象形文字が刻まれている。こうした象形文字はインドから中国に伝わり、そこで書文化として急速に花開いた。それから韓国を経由して日本に伝来し、日本の事情に合わせて姿を変え、独自の形に発展していく。文字を書くためには道具がいる。中国人は書の道具である筆墨硯紙のことを、学問の四つの宝、「文房四宝」と呼んだ。この宝のなかでいま、もっとも危機に瀕しているのが硯である。「まだ日本中の学校で習字を教えていますから、書道文化がすぐに死に絶えるということはないでしょう。1940~60年代には、私も習字を教えていました。けれども硯づくりは本当に衰退しており、とくに雨畑硯は風前の灯です」と望月は言う。最近は村人より猿のほうが多い雨畑村だが、にぎやかな時代もあった。 「私が若かったころは、雨畑村の近くの山々に１万人くらい住んでいました。当時はみんなで一緒に川で水浴びをしたものです」。 望月はそのころから書道を真剣に学びはじめた。けれども書に最初にふれたのは、父が望月とほかの子どもたちを呼ぴ、美しく書かれた文字を見せてくれたときだった。 「文字はこんなふうに書くもんだ、と父は言いました。いまでもよく覚えています」。長い年月を生きてきた、現在95才の望月苔雲は、いろいろな時代のできごとや思い出を昨日のことのように話す。これほど長い人生のなかでは多くのことが移り変わるが、変わらないものもある。半紙に向かい、雨畑硯に入った墨に筆をひたすとき、望月はかならず、いつも同じ瞑想の状態に入るようにするという。「私の書く文字は私の人生そのものです。これまで経験してきたあらゆることがこの一瞬に結実し、心が無になっていく。その出発点が硯です。そこにあるのは動いている私の身体と硯だけ。なにも考えません」。 ヴィラ雨畑 山梨県南巨摩郡早川町南畑699 www.villa-amehata.com &#187; 硯石の洞窟｜雨畑硯(1) &#187; 石に魅入られる｜雨畑硯(2)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>暮れゆく日のなかで黒く濃い輝きを放つ。雨畑原石でつくられた硯に少しだけ入っている墨。望月苔雲が竹炭と溶かした魚の骨を混ぜ、乾燥させて固めた特別な墨である。床の上に広げた長い紙の上を筆が走り、言葉、詩、格言などが太い線で現れる。「大好きな言葉がたくさんあります」と望月が笑う。自の前の紙の山を探し、ようやくお目当てのA3サイズほどの大きさの紙を見つけた。彼の好きな言葉を書きだしたリストである<span id="more-9460"></span>。望月は山梨県で、書道家として、また書道の指導者として尊敬を集めている人物だ。書道（硯も）は、日本の伝統文化の例にもれず、インドを起源としている。紀元前2世紀には、すでに亀甲、木、骨などに象形文字が刻まれている。こうした象形文字はインドから中国に伝わり、そこで書文化として急速に花開いた。それから韓国を経由して日本に伝来し、日本の事情に合わせて姿を変え、独自の形に発展していく。文字を書くためには道具がいる。中国人は書の道具である筆墨硯紙のことを、学問の四つの宝、「文房四宝」と呼んだ。この宝のなかでいま、もっとも危機に瀕しているのが硯である。「まだ日本中の学校で習字を教えていますから、書道文化がすぐに死に絶えるということはないでしょう。1940~60年代には、私も習字を教えていました。けれども硯づくりは本当に衰退しており、とくに雨畑硯は風前の灯です」と望月は言う。最近は村人より猿のほうが多い雨畑村だが、にぎやかな時代もあった。</p>
<p>「私が若かったころは、雨畑村の近くの山々に１万人くらい住んでいました。当時はみんなで一緒に川で水浴びをしたものです」。</p>
<p>望月はそのころから書道を真剣に学びはじめた。けれども書に最初にふれたのは、父が望月とほかの子どもたちを呼ぴ、美しく書かれた文字を見せてくれたときだった。<br />
「文字はこんなふうに書くもんだ、と父は言いました。いまでもよく覚えています」。長い年月を生きてきた、現在95才の望月苔雲は、いろいろな時代のできごとや思い出を昨日のことのように話す。これほど長い人生のなかでは多くのことが移り変わるが、変わらないものもある。半紙に向かい、雨畑硯に入った墨に筆をひたすとき、望月はかならず、いつも同じ瞑想の状態に入るようにするという。「私の書く文字は私の人生そのものです。これまで経験してきたあらゆることがこの一瞬に結実し、心が無になっていく。その出発点が硯です。そこにあるのは動いている私の身体と硯だけ。なにも考えません」。</p>
<p>ヴィラ雨畑<br />
山梨県南巨摩郡早川町南畑699<br />
<a href="http://www.villa-amehata.com" target="_blank">www.villa-amehata.com</a></p>
<p>&#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/07/inkstone-cave/">硯石の洞窟｜雨畑硯(1)</a><br />
&#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/12/entranced-by-a-rock/">石に魅入られる｜雨畑硯(2)</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/08/Mochizuki-1.jpeg" alt="" title="Mochizuki-1" width="525" height="348" class="alignnone size-full wp-image-9501" /></p>
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		<title>石に魅入られる｜雨畑硯(2)</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Sep 2011 00:29:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<description><![CDATA[硯は日本の書の歴史に欠かせないものである。また、日本の精神的歴史を体現する瞑想の道具でもある。「純粋で、真実に近いものを書きたいなら、心がきれいでなければなりません。硯でおもしろいのは、自分を見つめ直す道具になるところです。彫刻作品と呼んでもいいと思います」。ござの上にあぐらをかいているのは雨宮嫡太郎。雨端硯本舗の13代目職人である彼は、工房のコンクリートの床に座って、硯づくりにかける思いを聞かせてくれた。雨畑地区からひと山越えたところの村にある家が雨宮家の住宅兼工房である。雨宮一族は500年以上前から、石を削って硯をつくることを生業としてきた。目が大きく微笑みを絶やさない雨宮摘太郎は、この仕事に全身全霊で取り組んでいる。けれども彼は、硯づくりの伝統を変えていきたいという。「硯に対する世間の評価を変えたいですね。硯はたしかに工芸品ですが、芸術作品でもあります」。いまの時代には理解しがたいが、日本の書道には昔、きわめて精神的な意味があった。中国の仏教観に倣い、字を書く前に墨を擦るという行為は一種の瞑想であり、禅の精神を体現するものだった。固形墨を擦っていると、知らず知らずのうちに時が過ぎて心が自然のリズムと溶けあい、動く瞑想状態に入っていく。この状態は、硯の見た目と感触によって呼び起こされる。残念なことに、ここ数十年ほどは安価で調達しやすいセラミックやプラスチック製の大量生産による硯が増えてきた。「いまの人たちは、よい硯の価値も、過去に果たしていた役割も知りません」と雨宮は語る。彼は美術大学を卒業後、1980年代にイタリア人彫刻家に弟子入りしていたことがある。当時は大きな彫刻を手がけており、重い素材に大きな穴をあけたり、軽い素材を組みあわせたりしていた。「最初は硯職人としての名前と彫刻家としての名前を使い分けていました。そのふたつは違うと思っていたので。けれども美術と工芸を分けて考える必要がないことに気づいたんです」。この結論に到達するまでに長い年月が必要だったという。石はすぐに理解できるものではないし、直感的にわかるようなものでもない。なによりも理解されていないのは、石に秘められたさまざまな精神状態を呼び起こす力。これこそ硯の命だと雨宮は言う。ガラスのケースに並んだ雨宮の硯コレクションを見せてもらった。「墨がうまく擦れないような硯もあります。まったく実用的ではないけれど、心を落ち着かせる力がある。その一方で、実用性は天下一品でも、心は落ち着かない硯もあります。物理的な世界と精神的な世界のバランスが大事です」。 雨端硯本舗 山梨県南巨摩郡鰍沢町5411 www.amehatasuzurihonpo.com &#187; 硯石の洞窟｜雨畑硯(1) &#187; 擦りながら無に近づく｜雨畑硯(3)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>硯は日本の書の歴史に欠かせないものである。また、日本の精神的歴史を体現する瞑想の道具でもある。「純粋で、真実に近いものを書きたいなら、心がきれいでなければなりません。硯でおもしろいのは、自分を見つめ直す道具になるところです。彫刻作品と呼んでもいいと思います」。ござの上にあぐらをかいているのは雨宮嫡太郎。雨端硯本舗の13代目職人である彼は<span id="more-9458"></span>、工房のコンクリートの床に座って、硯づくりにかける思いを聞かせてくれた。雨畑地区からひと山越えたところの村にある家が雨宮家の住宅兼工房である。雨宮一族は500年以上前から、石を削って硯をつくることを生業としてきた。目が大きく微笑みを絶やさない雨宮摘太郎は、この仕事に全身全霊で取り組んでいる。けれども彼は、硯づくりの伝統を変えていきたいという。「硯に対する世間の評価を変えたいですね。硯はたしかに工芸品ですが、芸術作品でもあります」。いまの時代には理解しがたいが、日本の書道には昔、きわめて精神的な意味があった。中国の仏教観に倣い、字を書く前に墨を擦るという行為は一種の瞑想であり、禅の精神を体現するものだった。固形墨を擦っていると、知らず知らずのうちに時が過ぎて心が自然のリズムと溶けあい、動く瞑想状態に入っていく。この状態は、硯の見た目と感触によって呼び起こされる。残念なことに、ここ数十年ほどは安価で調達しやすいセラミックやプラスチック製の大量生産による硯が増えてきた。「いまの人たちは、よい硯の価値も、過去に果たしていた役割も知りません」と雨宮は語る。彼は美術大学を卒業後、1980年代にイタリア人彫刻家に弟子入りしていたことがある。当時は大きな彫刻を手がけており、重い素材に大きな穴をあけたり、軽い素材を組みあわせたりしていた。「最初は硯職人としての名前と彫刻家としての名前を使い分けていました。そのふたつは違うと思っていたので。けれども美術と工芸を分けて考える必要がないことに気づいたんです」。この結論に到達するまでに長い年月が必要だったという。石はすぐに理解できるものではないし、直感的にわかるようなものでもない。なによりも理解されていないのは、石に秘められたさまざまな精神状態を呼び起こす力。これこそ硯の命だと雨宮は言う。ガラスのケースに並んだ雨宮の硯コレクションを見せてもらった。「墨がうまく擦れないような硯もあります。まったく実用的ではないけれど、心を落ち着かせる力がある。その一方で、実用性は天下一品でも、心は落ち着かない硯もあります。物理的な世界と精神的な世界のバランスが大事です」。</p>
<p>雨端硯本舗<br />
山梨県南巨摩郡鰍沢町5411<br />
<a href="http://www.amehatasuzurihonpo.com" target="_blank">www.amehatasuzurihonpo.com</a></p>
<p>&#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/07/inkstone-cave/">硯石の洞窟｜雨畑硯(1)</a><br />
&#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/16/circling-toward-nothing/">擦りながら無に近づく｜雨畑硯(3)</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/08/Yataro-suzuri-11.jpg" alt="" title="Yataro-suzuri-1" width="525" height="348" class="alignnone size-full wp-image-9470" /></p>
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		<title>硯石の洞窟｜雨畑硯(1)</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Sep 2011 00:00:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<description><![CDATA[雨畑は山間の小さな村だ。いたるところに野生の猿が生息している。この地は、光沢があり、硬く、水持ちのよい粘板岩の産地として知られている。この岩の歴史は古く、約700年前にこの村の洞窟から初めて切りだされて以来、日本屈指の品質を誇る硯の材料として使われてきた。 硯石の洞窟 岩に触るとひんやりとしていた。表面は粒子が細かく、なめらかである。暗闇のなか、その感触を手で確かめる。たったひとつかけられていた電球が灯った。ここは山梨県早川町。うっそうとした森のなかにあるこの硯坑は、日本文化にとって重要な材料のひとつ、雨畑の石の最後の採石場だ。ここの岩壁が崩れるか、望月玉泉がこの地質層から最後の原石を切りだすかしたとき、日本の文化史のひとつが幕を閉じることになる。望月は雨畑村にただひとり残る硯職人だ。平らに切りだした材石を、固形の墨を擦りやすい形に整えていく。この硯のなかに水（昔の人は朝露を入れていた）を何滴か入れて擦れば、濃い墨になる。和硯は古代から（日本では8世紀の硯の破片が、中国ではそれより古いものが出土している）生活に欠かせない道具だった（硯がなければ書道はおろか、文字さえ存在しなかっただろう）。 「日本にはほかにも硯づくりに適した石の採石場がありますが、雨畑の硯石ほど評価が高く、長い歴史をもつものはありません」。言い伝えによると、ある僧が昔、この山間の土地に来たときに、めったにないほど硬く光沢のある粘板岩を見つけた。この岩で硯をつくったところ日本中に評判が行きわたり、各地で硯がつくられるようになったという。現在、雨畑石は硯の職人や収集家のあいだで絶大な人気を誇っている。いまから約100年前の最盛期には、村に20人ほど硯職人がいて、青い水をたたえた雨畑川沿いの工房で硯をつくっていたという。いまでは職人は望月ひとりとなり、川沿いにぽつりぽつりと残っている廃屋と雨畑硯の歴史を伝える博物館だけが当時の名残を伝えている。望月は山から硯石を切りだして、ベルトコンベアに使われているがっしりしたベルトでつくったカバンに入れて運ぶ。「素材がこれだけ頑丈だと、石が重くても腰が楽なんだ」と言う。工房では、採ってきた石をひとつずつ磨きながら、切りだしたときに入った細かいひび、をチェックする。これだという石が見つかったら、彫りの作業に入る。「父がつくっていたものよりやさしい形にしたいのです。この仕事を長いあいだやっていますが、完壁な硯ができたと思えたことはありません。『いけ』の部分がいちばん難しい」。「いけ」とは池であり、墨汁を溜めておく部分である。望月はこれまで生きてきた時間の大部分を、最高品質の硯にふさわしい均衡のとれたなだらかな傾斜と曲線を完成させることに費やしてきた。この傾斜の部分がしっかりしていないと、粘りのあるよい墨はできないという。 村にはほとんど人影はなく、望月は人間よりも石と多くの時間を過ごしているようだ。「硯抗のなかにずっと入っていると、変な気分になります。身体をなにかに締めつけられているような。外に出ればそういう感じはなくなりますが、穴のなかはエネルギーに満ちています。以前、硯石にはすごい力があると祈祷師に言われたことがありますが、どうなんでしょうね。使わなければ、べつに意味のないただの石。そうとしか思えないでしょう」。 硯匠庵 山梨県南巨摩郡早川町雨畑709-1 www.amehata.suzurinosato.com &#187; 石に魅入られる｜雨畑硯(2) &#187; 擦りながら無に近づく｜雨畑硯(3)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>雨畑は山間の小さな村だ。いたるところに野生の猿が生息している。この地は、光沢があり、硬く、水持ちのよい粘板岩の産地として知られている。この岩の歴史は古く、約700年前にこの村の洞窟から初めて切りだされて以来、日本屈指の品質を誇る硯の材料として使われてきた<span id="more-9456"></span>。</p>
<p>硯石の洞窟<br />
岩に触るとひんやりとしていた。表面は粒子が細かく、なめらかである。暗闇のなか、その感触を手で確かめる。たったひとつかけられていた電球が灯った。ここは山梨県早川町。うっそうとした森のなかにあるこの硯坑は、日本文化にとって重要な材料のひとつ、雨畑の石の最後の採石場だ。ここの岩壁が崩れるか、望月玉泉がこの地質層から最後の原石を切りだすかしたとき、日本の文化史のひとつが幕を閉じることになる。望月は雨畑村にただひとり残る硯職人だ。平らに切りだした材石を、固形の墨を擦りやすい形に整えていく。この硯のなかに水（昔の人は朝露を入れていた）を何滴か入れて擦れば、濃い墨になる。和硯は古代から（日本では8世紀の硯の破片が、中国ではそれより古いものが出土している）生活に欠かせない道具だった（硯がなければ書道はおろか、文字さえ存在しなかっただろう）。</p>
<p>「日本にはほかにも硯づくりに適した石の採石場がありますが、雨畑の硯石ほど評価が高く、長い歴史をもつものはありません」。言い伝えによると、ある僧が昔、この山間の土地に来たときに、めったにないほど硬く光沢のある粘板岩を見つけた。この岩で硯をつくったところ日本中に評判が行きわたり、各地で硯がつくられるようになったという。現在、雨畑石は硯の職人や収集家のあいだで絶大な人気を誇っている。いまから約100年前の最盛期には、村に20人ほど硯職人がいて、青い水をたたえた雨畑川沿いの工房で硯をつくっていたという。いまでは職人は望月ひとりとなり、川沿いにぽつりぽつりと残っている廃屋と雨畑硯の歴史を伝える博物館だけが当時の名残を伝えている。望月は山から硯石を切りだして、ベルトコンベアに使われているがっしりしたベルトでつくったカバンに入れて運ぶ。「素材がこれだけ頑丈だと、石が重くても腰が楽なんだ」と言う。工房では、採ってきた石をひとつずつ磨きながら、切りだしたときに入った細かいひび、をチェックする。これだという石が見つかったら、彫りの作業に入る。「父がつくっていたものよりやさしい形にしたいのです。この仕事を長いあいだやっていますが、完壁な硯ができたと思えたことはありません。『いけ』の部分がいちばん難しい」。「いけ」とは池であり、墨汁を溜めておく部分である。望月はこれまで生きてきた時間の大部分を、最高品質の硯にふさわしい均衡のとれたなだらかな傾斜と曲線を完成させることに費やしてきた。この傾斜の部分がしっかりしていないと、粘りのあるよい墨はできないという。</p>
<p>村にはほとんど人影はなく、望月は人間よりも石と多くの時間を過ごしているようだ。「硯抗のなかにずっと入っていると、変な気分になります。身体をなにかに締めつけられているような。外に出ればそういう感じはなくなりますが、穴のなかはエネルギーに満ちています。以前、硯石にはすごい力があると祈祷師に言われたことがありますが、どうなんでしょうね。使わなければ、べつに意味のないただの石。そうとしか思えないでしょう」。</p>
<p>硯匠庵<br />
山梨県南巨摩郡早川町雨畑709-1<br />
<a href="http://www.amehata.suzurinosato.com" target="_blank">www.amehata.suzurinosato.com</a></p>
<p>&#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/12/entranced-by-a-rock/">石に魅入られる｜雨畑硯(2)</a><br />
&#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/16/circling-toward-nothing/">擦りながら無に近づく｜雨畑硯(3)</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/08/1-Gyokusen-Papersky1.jpg" alt="" title="1-Gyokusen-Papersky" width="525" height="350" class="alignnone size-full wp-image-9464" /></p>
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		<title>古い土を掘りだす　備前焼 3</title>
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		<pubDate>Fri, 01 Jul 2011 06:00:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<category><![CDATA[岡山]]></category>

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		<description><![CDATA[最近つくられた備前焼の鉢と数百年前につくられたものをくらべると、同じように見える。どちらも釉薬を使っておらず、表面がザラザラで、厚みがある。土の純度が高ければ光沢のある濃い色になり、どちらの鉢も土のなかからそのまま掘り起こしてきたように見える。けれども、昔のものと最近のものでは、土の取りだしかたが違う。「最近ではショベルカーで採土していますが、昔の陶工たちは手で掘っていました。備前の土はものすごく固いので、すごく大変な作業だったと思います」。樫本孝一が備前焼の土を掘りだした経験を話してくれた。建設会社を経営する彼だが、若いころ、備前焼を志し、自分には「陶工に必要な資質」が備わっていないことに気づいて諦めたという。代わりに、貴重な隠れた粘土層を探して土を採取する仕事に関わるようになり、現代の備前焼の文化に欠かせない存在になった。「最近では備前焼の良質な土はなかなか見つからないので、とても貴重になっているんですよ」 。備前焼の土がどれほど貴重か説明するために、樫本は私たちを地元の陶工の倉庫に案内してくれた。引き戸を開けると、床から天井まで土が山のように積んである。「これだけ粘土があれば、二世代は充分に使えるでしょう。けれども、陶工によっては、将来のために三世代以上が使える分量の土を備蓄している人もいます」。 どこに粘土が隠れているか、どうしてわかるのですか?　と訊くと、樫本は答えた。「ご先祖の教えに従って探せば、粘土が見つかります。昔から言い伝えられている場所があるんですよ」。備前焼の粘土層はこの地域全体に広がっている。しかし、粘土層の場所を示した昔の知識には、ここ五十年間に起きた人口急増が織りこまれていない。車で走りながら、伊部にある「よい粘土層」の場所を教えてもらったが、いずれも上に集合住宅、線路、コンビニなどが建っている。備前焼の土が見つからないなら、新しい層を探すしかない。「良質な備前粘土は仕上がりの色合いの幅が違います。黒や灰色ではなく、もっといろんな色が出る。100パーセント純粋な備前粘土なら、本当に鮮やかな色が出ます」。 備前焼の土はおそらく世界でもっとも良質な土である可能性が高いうえ、発掘がきわめて難しいため、その希少性に拍車がかかっている。「もう新しい粘土層の採掘はしたくないというのが正直な気持ちです。あまりに大変な作業なので」。備前焼の陶工たちが手にシャベルを持ち、上を通過する新幹線の轟音を聞きながら、在来線の線路の下に眠る粘土を千二百年前の陶工たちと同じように手作業で掘り起こす――。そんな日がいつか来るかもしれない。 閑谷学校 岡山県備前市閑谷784 TEL: 0869-67-1436 shizutani.jp]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近つくられた備前焼の鉢と数百年前につくられたものをくらべると、同じように見える。どちらも釉薬を使っておらず、表面がザラザラで、厚みがある。土の純度が高ければ光沢のある濃い色になり、どちらの鉢も土のなかからそのまま掘り起こしてきたように見える。けれども、昔のものと最近のものでは、土の取りだしかたが違う。「最近ではショベルカーで採土していますが、昔の陶工たちは手で掘っていました。備前の土はものすごく固いので、すごく大変な作業だったと思います」。樫本孝一が備前焼の土を掘りだした経験を話してくれた。建設会社を経営する彼だが、若いころ、備前焼を志し、自分には「陶工に必要な資質」が備わっていないことに気づいて諦めたという<span id="more-8054"></span>。代わりに、貴重な隠れた粘土層を探して土を採取する仕事に関わるようになり、現代の備前焼の文化に欠かせない存在になった。「最近では備前焼の良質な土はなかなか見つからないので、とても貴重になっているんですよ」 。備前焼の土がどれほど貴重か説明するために、樫本は私たちを地元の陶工の倉庫に案内してくれた。引き戸を開けると、床から天井まで土が山のように積んである。「これだけ粘土があれば、二世代は充分に使えるでしょう。けれども、陶工によっては、将来のために三世代以上が使える分量の土を備蓄している人もいます」。</p>
<p>どこに粘土が隠れているか、どうしてわかるのですか?　と訊くと、樫本は答えた。「ご先祖の教えに従って探せば、粘土が見つかります。昔から言い伝えられている場所があるんですよ」。備前焼の粘土層はこの地域全体に広がっている。しかし、粘土層の場所を示した昔の知識には、ここ五十年間に起きた人口急増が織りこまれていない。車で走りながら、伊部にある「よい粘土層」の場所を教えてもらったが、いずれも上に集合住宅、線路、コンビニなどが建っている。備前焼の土が見つからないなら、新しい層を探すしかない。「良質な備前粘土は仕上がりの色合いの幅が違います。黒や灰色ではなく、もっといろんな色が出る。100パーセント純粋な備前粘土なら、本当に鮮やかな色が出ます」。</p>
<p>備前焼の土はおそらく世界でもっとも良質な土である可能性が高いうえ、発掘がきわめて難しいため、その希少性に拍車がかかっている。「もう新しい粘土層の採掘はしたくないというのが正直な気持ちです。あまりに大変な作業なので」。備前焼の陶工たちが手にシャベルを持ち、上を通過する新幹線の轟音を聞きながら、在来線の線路の下に眠る粘土を千二百年前の陶工たちと同じように手作業で掘り起こす――。そんな日がいつか来るかもしれない。</p>
<p>閑谷学校<br />
岡山県備前市閑谷784<br />
TEL: 0869-67-1436<br />
<a href="http://shizutani.jp" target="_blank">shizutani.jp</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/04/koichikashimoto-1.jpg" alt="" title="koichikashimoto-1" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-8067" /></p>
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		<title>陶器の偶像　備前焼 2</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/06/22/clay-idols/</link>
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		<pubDate>Wed, 22 Jun 2011 00:47:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
				<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[japan]]></category>
		<category><![CDATA[備前焼]]></category>
		<category><![CDATA[岡山]]></category>

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		<description><![CDATA[屋根から伸びた赤煉瓦の煙突や、窯にくべる薪の山、耐火煉瓦工場の跡地を通り過ぎながら、伊部の町を歩く。藤原陶臣の家に着いたのは午後遅くのことだった。庭には犬が三匹、雄鶏が一羽、何羽かの鳥がいて、魚が入った水槽がいくつか並んでいた。工房には、ストーブの上で焼かれている鹿肉の獣じみた臭いが漂う。藤原は窓の側の回転いすに腰かけて、牛の上にまたがった男の像をつくっている。細部まで驚くほど精巧である。「ひとつの形、たとえばこの牛なんかを精巧につくるのは、それほど難しいことじゃない。一年もあればできるようになる。けれど、さまざまな形やスタイルを習得するのは並大抵じゃないよ」。 藤原陶臣は二十八歳のときから備前焼をつくりつづけている。細工物と呼ばれる人物や動物を象った焼き物を得意とする名工だ。昔は日常的に使う焼き物もつくっていたが、膝を痛めてからはろくろを使わない細工物ばかりをつくっている。細工物は神話に出てくる偶像を象った焼き物で、神社や寺、会社経営者などが好んで購入する。「若い人たちはこういうものに興味がないね。値段が高すぎるから」。上質で高価な土を使い、細工には長い時間と高い技術が必要なため、値が張るのもうなづける。彼は時間をかけて作業を進める。まずは足、次は胴体というふうに、下の部分から順番につくっていく。細工物はなかが空洞になっているため、土の厚みを均等に保つことになによりも気を使う。均等でなければ割れてしまい、何日分（もしくは何週間分）もの努力が水の泡になる。 藤原に案内されて隣の部屋に移ると、彼の作品がずらりと並んでいた。身をかがめ、奇怪な表情を浮かべた虎。巨大な龍の上に現れた観音像。象にまたがった老人…。備前焼の陶工はもともと、茶碗や湯飲み、すり鉢、シンプルなカップや小鉢など、日常的に使う機能的な食器をつくることに情熱を注いでいた。ところが徐々に芸術品として見られるようになり、十六世紀に入り茶道の茶器としての人気が高まると、備前焼は美しさを楽しむものであるという考えが社会に浸透した。藤原のつくる細工物はほとんどが偶像や、精霊や霊魂などの化身である。「以前、ある会社に依頼されて、亡くなられた社長の像をつくったこともある。その像のなかに社長の写真を入れて焼いてくれと言われたんだ。そうすれば窯のなかで写真が焼けて、その魂が土のなかに焼きこまれるからってね」。 藤原陶臣 岡山県備前市伊部639 TEL: 0869-64-3481 English &#187; CLAY IDOLS: TOSHIN FUJIWARA]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>屋根から伸びた赤煉瓦の煙突や、窯にくべる薪の山、耐火煉瓦工場の跡地を通り過ぎながら、伊部の町を歩く。藤原陶臣の家に着いたのは午後遅くのことだった。庭には犬が三匹、雄鶏が一羽、何羽かの鳥がいて、魚が入った水槽がいくつか並んでいた。工房には、ストーブの上で焼かれている鹿肉の獣じみた臭いが漂う。藤原は窓の側の回転いすに腰かけて、牛の上にまたがった男の像をつくっている。細部まで驚くほど精巧である。「ひとつの形、たとえばこの牛なんかを精巧につくるのは、それほど難しいことじゃない。一年もあればできるようになる。けれど、さまざまな形やスタイルを習得するのは並大抵じゃないよ」<span id="more-8052"></span>。</p>
<p>藤原陶臣は二十八歳のときから備前焼をつくりつづけている。細工物と呼ばれる人物や動物を象った焼き物を得意とする名工だ。昔は日常的に使う焼き物もつくっていたが、膝を痛めてからはろくろを使わない細工物ばかりをつくっている。細工物は神話に出てくる偶像を象った焼き物で、神社や寺、会社経営者などが好んで購入する。「若い人たちはこういうものに興味がないね。値段が高すぎるから」。上質で高価な土を使い、細工には長い時間と高い技術が必要なため、値が張るのもうなづける。彼は時間をかけて作業を進める。まずは足、次は胴体というふうに、下の部分から順番につくっていく。細工物はなかが空洞になっているため、土の厚みを均等に保つことになによりも気を使う。均等でなければ割れてしまい、何日分（もしくは何週間分）もの努力が水の泡になる。</p>
<p>藤原に案内されて隣の部屋に移ると、彼の作品がずらりと並んでいた。身をかがめ、奇怪な表情を浮かべた虎。巨大な龍の上に現れた観音像。象にまたがった老人…。備前焼の陶工はもともと、茶碗や湯飲み、すり鉢、シンプルなカップや小鉢など、日常的に使う機能的な食器をつくることに情熱を注いでいた。ところが徐々に芸術品として見られるようになり、十六世紀に入り茶道の茶器としての人気が高まると、備前焼は美しさを楽しむものであるという考えが社会に浸透した。藤原のつくる細工物はほとんどが偶像や、精霊や霊魂などの化身である。「以前、ある会社に依頼されて、亡くなられた社長の像をつくったこともある。その像のなかに社長の写真を入れて焼いてくれと言われたんだ。そうすれば窯のなかで写真が焼けて、その魂が土のなかに焼きこまれるからってね」。</p>
<p>藤原陶臣<br />
岡山県備前市伊部639<br />
TEL: 0869-64-3481</p>
<p>English &#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/06/06/bizen-yaki-clay-idols-toshin-fujiwara/">CLAY IDOLS: TOSHIN FUJIWARA</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/04/toshinfujiwara-1.jpg" alt="" title="toshinfujiwara-1" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-8064" /></p>
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		<title>いにしえの技を現代へ &#8211; 備前焼 1  炎に焼かれて</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Jun 2011 00:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
				<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[japan]]></category>
		<category><![CDATA[備前焼]]></category>
		<category><![CDATA[岡山]]></category>

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		<description><![CDATA[岡山の伊部に広がる田んぼの下には、粘土層が走っている。かつて備前国と呼ばれていたこの地方の陶工たちは、千年以上にわたって鉄分の多いこの土を掘り起こし、釉薬を使わない焼き物「備前焼」をつくってきた。備前焼は日本六古窯のなかでももっとも古く、尊重されている焼き物である。 炎に焼かれて 一万二千年前に日本で最初の陶器がつくられた。この縄文式土器と呼ばれる焼き物の破片（茶碗や鉢など）は、考古学者らによって日本全国から発掘されている。岡山の伊部には、この土器の破片を彷彿させるような陶器が今日も生きている。備前焼というこの焼き物は、現在もつくられている日本の陶器のなかでもっとも古い。約千二百年前の平安時代に朝鮮半島から伝わった六古窯のうちのひとつである。 私たちは備前にある森本英助の家を訪れた。前に座っている彼は、備前焼の名工だ。髪は白髪、足にはサンダルをひっかけ、作務衣を身に纏い、見るからに職人らしい人物である。 彼の愛犬タケが主人の寡黙さを補うかのように吠えたてるなか、森本の話を聞いた。「いまは現代美術がもてはやされているから、なおさら伝統的な美術に回帰したくなります」。森本は荒川豊蔵先生をとおして伝統主義を深く愛するようになっただけでなく、「昔ながらのやりかたを自分のスタイルに合わせてアレンジする」ことの重要性も学んだという。 彼は茶碗をひとつ持ちあげた。 こげ茶色の月に被さるように赤い円が描かれ、その上を青い線が走り、銀色の縁と黒い内側まで伸びている。「ただ赤い色を出すのは簡単だけど、渋みのある赤色を出すのはすごく難しいんだ」。私たちは森本に案内されて庭から続く小道を歩き、彼の工房に入った。そこには四つの仕切りが設けられた彼の登り窯があった。泥を固めてつくったアフリカの小屋のようだ。「焼き物の仕上がりは窯で決まるね。窯が新しいうちはなかなか思うようにいかないけど、二年ほどすれば、かなりうまくできるようになる」。三十五年ほど前に完成した登り窯には、年に一度しか火を入れない。一年の間に仕上げた焼成前の壺、茶碗、花瓶などが、窯のなかの各部屋に藁を挟んだりして、重ねていく。この重ねかたによって焼き色の入りかたが変わってくるという。「焼成中はずっと高温を保たなきゃならない。六時間ずつ交替で一日中、十日間にわたって薪を燃やしつづけるんだ」。 釉薬をいっさいかけず、絵つけもしないのが備前焼の特徴。その色は自然釉と呼ばれ、土の自然の色を高温で長時間焼きあげることによって引きだしていく。「好景気のころはよく売れたけど、いまはあまり売れないな」。最近の人々は財布の紐を締めているといわれるが、森本はあまり気にしていない。「いま備前焼を買う人は、昔より価値を理解してくれているから」。彼は作品を芸術品としてではなく、日常生活のなかで使い、喜んでほしいという。「私の焼き物でビールを飲んだり、漬物やごはんを食べたり、そんな日々の生活で使ってもらえたらなによりも嬉しいね」。 森本英助 岡山県備前市友延943-120 TEL: 0869-67-1968 English &#187; Burnt By Flames: Eisuke Morimoto]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>岡山の伊部に広がる田んぼの下には、粘土層が走っている。かつて備前国と呼ばれていたこの地方の陶工たちは、千年以上にわたって鉄分の多いこの土を掘り起こし、釉薬を使わない焼き物「備前焼」をつくってきた。備前焼は日本六古窯のなかでももっとも古く、尊重されている焼き物である<span id="more-8049"></span>。</p>
<p><strong>炎に焼かれて</strong></p>
<p>一万二千年前に日本で最初の陶器がつくられた。この縄文式土器と呼ばれる焼き物の破片（茶碗や鉢など）は、考古学者らによって日本全国から発掘されている。岡山の伊部には、この土器の破片を彷彿させるような陶器が今日も生きている。備前焼というこの焼き物は、現在もつくられている日本の陶器のなかでもっとも古い。約千二百年前の平安時代に朝鮮半島から伝わった六古窯のうちのひとつである。</p>
<p>私たちは備前にある森本英助の家を訪れた。前に座っている彼は、備前焼の名工だ。髪は白髪、足にはサンダルをひっかけ、作務衣を身に纏い、見るからに職人らしい人物である。 彼の愛犬タケが主人の寡黙さを補うかのように吠えたてるなか、森本の話を聞いた。「いまは現代美術がもてはやされているから、なおさら伝統的な美術に回帰したくなります」。森本は荒川豊蔵先生をとおして伝統主義を深く愛するようになっただけでなく、「昔ながらのやりかたを自分のスタイルに合わせてアレンジする」ことの重要性も学んだという。</p>
<p>彼は茶碗をひとつ持ちあげた。 こげ茶色の月に被さるように赤い円が描かれ、その上を青い線が走り、銀色の縁と黒い内側まで伸びている。「ただ赤い色を出すのは簡単だけど、渋みのある赤色を出すのはすごく難しいんだ」。私たちは森本に案内されて庭から続く小道を歩き、彼の工房に入った。そこには四つの仕切りが設けられた彼の登り窯があった。泥を固めてつくったアフリカの小屋のようだ。「焼き物の仕上がりは窯で決まるね。窯が新しいうちはなかなか思うようにいかないけど、二年ほどすれば、かなりうまくできるようになる」。三十五年ほど前に完成した登り窯には、年に一度しか火を入れない。一年の間に仕上げた焼成前の壺、茶碗、花瓶などが、窯のなかの各部屋に藁を挟んだりして、重ねていく。この重ねかたによって焼き色の入りかたが変わってくるという。「焼成中はずっと高温を保たなきゃならない。六時間ずつ交替で一日中、十日間にわたって薪を燃やしつづけるんだ」。</p>
<p>釉薬をいっさいかけず、絵つけもしないのが備前焼の特徴。その色は自然釉と呼ばれ、土の自然の色を高温で長時間焼きあげることによって引きだしていく。「好景気のころはよく売れたけど、いまはあまり売れないな」。最近の人々は財布の紐を締めているといわれるが、森本はあまり気にしていない。「いま備前焼を買う人は、昔より価値を理解してくれているから」。彼は作品を芸術品としてではなく、日常生活のなかで使い、喜んでほしいという。「私の焼き物でビールを飲んだり、漬物やごはんを食べたり、そんな日々の生活で使ってもらえたらなによりも嬉しいね」。</p>
<p>森本英助<br />
岡山県備前市友延943-120<br />
TEL: 0869-67-1968</p>
<p>English &#187; <a href="http://www.papersky.jp/2011/05/30/bizen-yaki-burnt-by-flames-eisuke-morimoto/">Burnt By Flames: Eisuke Morimoto</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/04/BurntbyFlames1.jpeg" alt="" title="BurntbyFlames1" width="525" height="394" class="alignnone size-full wp-image-8681" /></p>
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