Yuri Shibuya

小笠原の塩

大木洋さんの父、真さんが事故で亡くなって1年と数カ月が立つ(取材当時)。真さんは6年前から手探りで製塩を始め、「小笠原の塩」を作り出した。自作の工房の2台の平窯で20時間かけて炊き上げる、甘みがあって、舌触りの良い「料理人のための塩」。試行錯誤を重ねて完成させた味だ。亡父の跡を継いで、洋さんは1年前からこの工房に入り、塩作りに取り組むようになった。

大木家が本土から父島に移住したのは18年前。当時サラリーマンだった父が「小笠原に家族で住もう」と言い出した時、洋さんは中学校に上がる頃だった。もともとミュージシャンでもあり「本当に自由人だった」という父は、自らヨットを手作りし、小笠原に何度か訪れていたという …»

 Yuri Shibuya

小笠原、島暮しの記憶 |5代目子孫、セーボレー孝さん

1830年にアメリカ・ボストンから船出し、この小笠原に最初に上陸した欧米人のひとり、ナサニエル・セーボレーの5代目の子孫にあたるセーボレー孝さん。1957年、本土への強制疎開から戦後すぐに帰還を許された欧米系島民の子として米国統治下の父島で生まれた。「米国人の子供たちと一緒に小学校に通っていました。だから家では日本語・英語を混ぜて喋っていたね。当時の父島には映画館やテニス・コートなんかもあったし、クリスマスにはシアーズ(アメリカの大手通信販売会社)のカタログでジャケットを買ってもらったり …»

 Yuri Shibuya

小笠原、記憶の旅 TOKYO ISLANDS LIFE

今から7年前の2004年、PAPERSKYは小笠原を訪れている。東京から南南東へ約1000km、25時間の船旅で小笠原諸島を目指した。亜熱帯の気候の中で生物は独自の進化を遂げ、世界的にも貴重な動植物の楽園。何千年も無人島だったこの島に、小笠原に人が住み始めたのは、記録によれば1830年、わずか180年ほど前のこと。動植物の楽園であったこの島に、最初に定住したのは、アメリカやハワイなどから海を越えてやってきた欧米人たちだった。太平洋戦争、アメリカ統治、日本返還という歴史を経て、現在では大自然に心惹かれてやって来る、本土からの移住者も多くなった …»

Okinawa
 Photo: Team YumYum

Island+Cycling 島を自転車で探検しよう

竹富島の周囲は約9km。旅の目的は「島の地図を作ること」。必要なものは、ノートとペン、そしてレンタサイクル。そう、ゆっくり気ままに一日かけて、自転車で一周するのにちょうどいい大きさなのだ。沖縄県八重山諸島、石垣島から高速船でわずか10分で到着する竹富島。船から降りた瞬間に、この島独特の風景は瞬く間に旅人を魅了する。赤瓦葺きの屋根の民家とサンゴで作られた石垣、“The Okinawa”という風景が、右を向いても左を向いても続いている。この竹富島の美しい景観は、たまたま残ったものではない。1986年、古琉球の様式を …»

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