Menu Links
Photography: Tetsuya Yamamoto

ジョン・レノンも敬愛した、禅師の教えに触れる|東海道4

一行は沼津市に入り、江戸から数えて13番目の宿、原を目指す。ここには臨済宗中興の祖、白隠禅師ゆかりの松蔭寺という寺がある。臨済宗の   »STORY

Photography: Tetsuya Yamamoto

関所も怖い、天下の険(東海道③ 箱根 → 三島)

小田原を抜けると天下の険、箱根八里の山越えが待っている。箱根宿は東海道五十三次のなかで最も高い場所にあり、その標高は約730m。急な山道に入り口数も減ってきたころ、前を歩くルーカスの方から異香が漂ってくる。その足元を見ると、   »STORY

Photography: Tetsuya Yamamoto

ういろうの元祖は、小田原にあり|東海道② 小田原→平塚

横浜市を横断し、平塚を過ぎて大磯に入ると、潮の香りが漂ってくる。西行法師も訪れて歌を詠んだという鴫立庵で小休止。風情に浸りたいところだが腹の虫に邪魔をされ、そそくさと腹ごしらえに。うなぎの名所、浜名湖まで待ちきれずに食べた蒲焼きは、   »STORY

Photography: Tetsuya Yamamoto

芭蕉も泊まった旅籠で、江戸情緒に浸る(御油〜岡崎)

現在の愛知県豊川市にあたる御油の宿場は、姫街道が再び東海道に合流する地点。御油と次の赤坂は、江戸時代には大勢の飯盛女(めしもりおんな)がいた歓楽的な宿場町だったという。飯盛女とは泊まり客の相手をする女性で、多くは夜もともにしたと伝わる。赤坂にはいまも往時の旅籠の姿をとどめる宿、大橋屋がある。1   »STORY

Artwork: Hiroshige Utagawa

由比で江戸のポップアートを学ぶ(蒲原〜興津)

原から吉原を経て、静岡市の蒲原へ。広重の『東海道五十三次』で蒲原は雪景色として描かれるが、この地の気候は温暖で、雪が降り積もることはほとんどないという。広重はじつは東海道を歩いていなかったという説もあるが、それは現実離れした蒲原の絵を理由にすることが多い。雪でも降らないかと思うほど暑い蒲原を抜けてひた歩くと、続く由比の宿場には広重の作品を扱う静岡市東海道広重美術館があった。   »STORY

Photography: Tetsuya Yamamoto

旅のご褒美は、宿場ごとの美味いもの(府中〜藤枝)

江戸から19 番目の宿場、府中は現在の静岡市。ここは徳川家康のお膝元で、『東海道中膝栗毛』の著者、十返舎一九の故郷でもある。弥次さんの故郷も府中という設定だ。市内を流れる安倍川のほとりには江戸時代、川越えをする人が集ってにぎやかだったという。そんな河畔の名物は、きな粉餅にまだ当時珍しかった砂糖をかけた高級品で、五文もしたことから五文採餅と呼ばれた餅。付近の金山へ検分に来た家康に、金山の金粉とかけて「安倍川の金な粉餅」として献上したところ、その機智を家康が褒め、以後安倍川餅と呼ばれることになったという。   »STORY

ヴァンジ彫刻庭園美術館「東海道新風景 一山口晃と竹﨑和征」 竹﨑和征〈広重、りんごと富士〉 2009年

3つの展覧会で、東海道を旅しよう

緑あふれる広大な敷地のなかに「ベルナール・ビュフェ美術館」「ヴァンジ彫刻庭園美術館」「IZU PHOTO MUSEUM」と、3つの美術館がある   »STORY

Photography: Tetsuya Yamamoto

江戸の老舗をめぐって、多摩川越え(日本橋〜川崎)

PAPERSKY版・東海道中のスタート地点は、日本橋。お江戸日本橋から目指す京の三条大橋までは、全長約490kmの道のりだ。江戸の人はこれを12〜15日で歩いたという。江戸時代に東海道の旅を詠んだ歌は「お江戸日本橋七ツ立ち〜」という文句から始まる。七ツとは、午前4時頃。電気がない当時は、とにかく朝早く出るのが旅の常識。宿の灯りも薄暗い行灯なので、明るいうちに宿に入って風呂と食事を済ませ、暗くなれば寝るのがよしとされた。   »STORY

Artwork: Hokusai Katsushika

旅の絵から読む、江戸の文化史

旅という新しい娯楽が日本で生まれたのは、江戸時代のこと。それと連動するように、当時、美術の世界でも旅をモチーフにした絵が多く生まれた。歌川広重の『東海道五十三次』は、そうした絵を代表するシリーズだ。当時の旅の絵のなかには旅人が描きこまれていることが多いが、「そこに当時の絵画と庶民との関係性をひもとく鍵がある」と   »STORY

Photograpahy: Tetsuya Yamamoto

すべての時間に続く道 | 日本の旅のルーツ、東海道(No.36)

いまから約400年前の江戸時代、多くの旅人が行き交う、世界でもっとも安全で、クリーンな街道があった。江戸幕府を築いた徳川家康によって   »STORY

keen
Photography: Tetsuya Yamamoto

東海道を歩くための理想的なシューズ|KEEN

東海道の旅でルーカスが履いているKeenのシューズは、街道を歩くための理想的なパートナー。なぜなら東海道には舗装された道路も、木の根や石の転がった山道もあり、今回の旅ではその両方を歩くことになったからだ。アスファルトの上では十分なクッション性を発揮して足への衝撃を和らげ、山道のようなオフロードでは道の凹凸を感じさせない安定性を発揮する。   »STORY

TOKAIDO
Photography: Tetsuya Yamamoto

東海道の旅のパートナー、現代の旅人・ルーカス B.B.

「いまって、昔の人の考えかたとか、過去のものを一回ゆっくりと見直してみるべき時代なんじゃないかと思う」- ルーカス編集長はそう言って、東海道五十三次をめぐる旅に誘ってきた。新幹線なら東京から京都まで、2時間強。それを、江戸時代の人々が歩いたのと同じ旧道をのんびりたどって踏破するという。A地点からB地点まで移動するのが旅だけど、飛行機とか新幹線でビュンと行って   »STORY

TOKAIDO
Photography: Tetsuya Yamamoto

PAPERSKY No.36 東海道を歩く旅 発売

江戸と京を結ぶ日本古来の大動脈、東海道。約400年前、徳川家康によって本格的に整備されたこの道は、"旅”という新しい娯楽を知った江戸時代の庶民にとって、憧れの街道だった。当時、先進のヨーロッパから日本を訪ねて東海道を旅した外国人も、宿場でのもてなしと、道の整備のよさに驚いたという。歌川広重が描き、弥次さん喜多さんが旅したこの道には、日本の旅のルーツがある。現代の旅人・ルーカス B.B.を旅のパートナーに、日本再発見の旅へ。   »STORY

© 2008-2019 Knee High Media. All Rights Reserved.