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	<title>papersky &#187; 関東</title>
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	<description>A DIFFERENT WAY TO TRAVEL</description>
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		<title>白だるまの気持ち</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 00:00:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大熊健郎</dc:creator>
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		<description><![CDATA[あんなに暑かった夏が嘘のように終わり、外はすっかり寒くなった。気がつけば今年も残りわずか。年始になにを祈願したかも忘れてしまっている。いや、そもそも祈願なんてしたかな。来年こそはきちんと目標をもって過ごさないと。 「祈願」で思い浮かんだのは「だるま」。日本人なら誰もが知っている縁起物の代表選手。選挙があると選挙事務所に鎮座した大きなだるまに墨を入れる映像が繰り返しテレビで流れるのは、日本ではおなじみの光景だ。だるまのモデルである達磨大師は、インドで生まれ中国で禅宗を開祖したといわれるお坊さん。後世の日本人が自分の人形に墨で目を入れて喜んでいると知ったら達磨大師もきっとびっくりするだろう。 その縁起だるまが日本で生まれた地とされているのが、群馬県は高崎市にある少林山達磨寺である。禅宗の一派である黄檗宗のお寺であるから、禅宗の開祖である達磨大師と縁があっても不思議ではない。現在も日本の全国生産の八割のだるまがこの高崎でつくられているそうだ。少林山達磨寺では毎年1月、日本最大のだるま市「高崎だるま市」が開催されている。余談だが、あの桂離宮を有名にしたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、高崎の工業試験場の指導者として招かれた約2年間、この達磨寺に滞在したそうである。 だるまといえばやっぱり「赤」。紙製の素地に白塗りされた本体の上に、赤で彩色をほどこす。でもCLASKA / DOでは、白で下塗りだけした状態、言ってみればスッピンのだるまを「白だるま」として販売している。着色される前のだるまを初めて見たとき、あの荒々しく男らしいだるまとは打って変わって、静かで抽象的なその表情とたたずまいに新しい魅力を感じてしまったからである。いまではその白だるまに画家やイラストレーターの方に絵つけをお願いし、フクロウやサンタクロースを描いてもらって楽しんでいる。だるまだってたまには違うメイクをしたいときもあるよね、きっと。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>あんなに暑かった夏が嘘のように終わり、外はすっかり寒くなった。気がつけば今年も残りわずか。年始になにを祈願したかも忘れてしまっている。いや、そもそも祈願なんてしたかな。来年こそはきちんと目標をもって過ごさないと。<br />
「祈願」で思い浮かんだのは「だるま」。日本人なら誰もが知っている縁起物の代表選手。選挙があると選挙事務所に鎮座した大きなだるまに墨を入れる映像が繰り返しテレビで流れるのは、日本ではおなじみの光景だ<span id="more-10742"></span>。だるまのモデルである達磨大師は、インドで生まれ中国で禅宗を開祖したといわれるお坊さん。後世の日本人が自分の人形に墨で目を入れて喜んでいると知ったら達磨大師もきっとびっくりするだろう。</p>
<p>その縁起だるまが日本で生まれた地とされているのが、群馬県は高崎市にある少林山達磨寺である。禅宗の一派である黄檗宗のお寺であるから、禅宗の開祖である達磨大師と縁があっても不思議ではない。現在も日本の全国生産の八割のだるまがこの高崎でつくられているそうだ。少林山達磨寺では毎年1月、日本最大のだるま市「高崎だるま市」が開催されている。余談だが、あの桂離宮を有名にしたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、高崎の工業試験場の指導者として招かれた約2年間、この達磨寺に滞在したそうである。</p>
<p>だるまといえばやっぱり「赤」。紙製の素地に白塗りされた本体の上に、赤で彩色をほどこす。でもCLASKA / DOでは、白で下塗りだけした状態、言ってみればスッピンのだるまを「白だるま」として販売している。着色される前のだるまを初めて見たとき、あの荒々しく男らしいだるまとは打って変わって、静かで抽象的なその表情とたたずまいに新しい魅力を感じてしまったからである。いまではその白だるまに画家やイラストレーターの方に絵つけをお願いし、フクロウやサンタクロースを描いてもらって楽しんでいる。だるまだってたまには違うメイクをしたいときもあるよね、きっと。</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/club_37_jp.jpg" alt="" title="club_37_jp" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10745" /></p>
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		<title>3月はツール・ド・オオシマで大島へ行こう！</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2012/01/23/tourdeoshima-01/</link>
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		<pubDate>Mon, 23 Jan 2012 01:11:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kao</dc:creator>
				<category><![CDATA[bicycle]]></category>
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		<description><![CDATA[自転車クラブによる《ツール・ド・ニッポン》シリーズ。2012年の第一弾は、3月31日（土）-4月1日（日）に行う「ツール・ド・オオシマ 2012」です！ 東京の竹芝から、高速艇だと2時間足らずで行ける大島。東京の島々のなかで、最も近くにある島ですが、行ったことがない人も多いのではないでしょうか？ かくいうキャプテンも、昨年12月に縁あって大島デビューを果たしました。もっとみんなが、気軽に行けるようになるといいな……そんな思いも芽生え、ツール・ド・オオシマ 2012を開催することにしました！ 3月最後の週末に、島の人と自然と、大島グルメと自転車を思いきり楽しめる「ツール・ド・オオシマ 2012」。詳細は来週のお知らせをお楽しみに！ Bicycle ClubのFacebookもチェック！ http://www.facebook.com/paperskybicycleclub]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>自転車クラブによる《ツール・ド・ニッポン》シリーズ。2012年の第一弾は、3月31日（土）-4月1日（日）に行う「ツール・ド・オオシマ 2012」です！<br />
東京の竹芝から、高速艇だと2時間足らずで行ける大島。東京の島々のなかで、最も近くにある島ですが、行ったことがない人も多いのではないでしょうか？<span id="more-11451"></span><br />
かくいうキャプテンも、昨年12月に縁あって大島デビューを果たしました。もっとみんなが、気軽に行けるようになるといいな……そんな思いも芽生え、ツール・ド・オオシマ 2012を開催することにしました！</p>
<p>3月最後の週末に、島の人と自然と、大島グルメと自転車を思いきり楽しめる「ツール・ド・オオシマ 2012」。詳細は来週のお知らせをお楽しみに！</p>
<p>Bicycle ClubのFacebookもチェック！<br />
<a href="http://www.facebook.com/paperskybicycleclub" target="_blank">http://www.facebook.com/paperskybicycleclub</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2012/01/120111TourdeOshimaA4.jpg" alt="" title="120111TourdeOshimaA4" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-11452" /></p>
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		<title>THE BNE WATER ORGANIZATION</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2012/01/05/the-bne-water-organization/</link>
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		<pubDate>Thu, 05 Jan 2012 01:15:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Vicente Gutierrez</dc:creator>
				<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[関東]]></category>
		<category><![CDATA[art]]></category>
		<category><![CDATA[tokyo]]></category>

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		<description><![CDATA[ストリートアーティストとして15年間活動続けてきたBNE。アメリカを拠点に、ビジュアルアートという手法で世界各地にその存在を示してきたアーティストである。そんな彼がはじめた新しいプロジェクト「ウォーター・ファウンデーション」は、水問題を抱える地域に、クリーンな水を供給することを目的としたチャリティ活動だ。今回、PAPERSKYは世界各地で活動をするBNEに、自身の旅のエピソードや、彼の新しいプロジェクトについて話を聞いた。 — BNEウォーター・ファウンデーションはどのように始まったのでしょうか？なにか具体的なエピソードなどはあるのでしょうか？ 「ひとつの出来事というのではなく、幾つかが組み合わさったもので、僕の中で育っていった、というところでしょうか。今日の社会が面している貧困、戦争、自然破壊、といったメジャーな問題の根っこには人類の欲があるわけです。欲に対しての嫌悪が育っていくのと同時に、私たちの社会への失望が私を行動へと駆り立てたんですね。世界的に積み上げてきた私の名声と認知、私のアートを使うことが必要だとは判っていましたが、何をするのかが最も効果的か決めるためにずいぶんと時間とリサーチにかけました。沢山の読書とリサーチで、私はクリーンな水道水を後進国の人々に与えることが貧困に最も大きなインパクトを与えることだと学んだんですね。 — 他のアクティヴィストや彼らの活動があなたに影響を与えたでしょうか？ 「大勢の人権的な活動をしている人々がいるのを知ってはいますが、その誰もが特に影響を与えたわけではありませんね。アート・アクティヴィストについては、社会的な問題に関して彼らの活動のなかで批判をしているのですが、誰も解決策を与えてないですね。私は解決をしたいのであって、変化のアイデアを売ろうというのではないのです。多くの人々が彼らのプロダクトを売るためやブランディングのためにBNEの名前を使おうと私に近づいてきました。彼らの目を見て、彼らの行動をじっくりと観察すると見えるのは欲だけでした。真実のことを言うなら、彼らは私のライフ・ワークや私が属しているカルチャーを使って彼らのくだらないプロダクトを売りたいだけだっていうのは、私を激怒させました。そういうことを経験して、また極度の貧困、それによってこうむっている人々を間近で見たことが私にこれをやらせました。自分がやりたかったこと、というのではなく、私がやらねばならなかったことという方があたってますね。 — このウォーター・ファウンデーションというのは、あなたが若いころには気がつかなかったグラフィティの可能性を示唆しているのでしょうか？今と昔ではグラフィティに対する考え方は変わりましたか？ もちろん、若い頃にはグラフィティをまったく違うように捉えていました。名前を描いて有名になるためにグラフィティを始める人もいます。私は名声とか認知を重要視したことは今まで一度もありませんが、やらなくてはいけないことで、若い頃にひきつけられたことで、それを楽しんだということです。政治的なステートメントとして捉えたことはありませんし、コミュニケーションの方法とも捉えたこともありません。反抗の手段と捉えたこともなくて、ただやらねばいけないことで、それをやることで、私が生きる実感を得られたというだけです。今は大人としてグラフィティの背後にある心理学を深く理解しています。私は今でも昔と同じようにグラフィティを愛していますが、以前とはまったく違ったように見ています。ある時点で、私が声を持っているということ、そして、私のやっていることは基本的にはアドヴァタイジングだと判ったのです。それまでは、自分のエゴを宣伝していたのですが、『俺はここにいた』ということ以上のことを使えるのだ、と理解したわけです。別に『俺はここにいた』とだけ言うのが悪いというわけじゃありません。タグはグラフィティのエッセンスで、私は愛し続けますが、数千時間をストリートで過ごし、旅行し、世界中で何が起こっているかを見てきたあと、グラフィティを何か深い、意義深い目的に使う、というのは自然なことなのです。 — どうやって始めたのですか？「財団の始め方」とグーグルしたのでしょうか？何を知る必要があって、どのようにそれを学びましたか？ 「財団の始め方」をグーグルしていませんが、実在する多くの財団やNGOについて、誰が前面にいるか、どのように運営されているか、どのような戦略を使っているか、をリサーチしました。私たちの財団はインドネシアに登録されているので、現地の法律や正式な財団として必要な法的手続きについて学びました。 — 財団を始めるにあたって何か障害はあったでしょうか？「１年間に渡るリサーチ」というか「多くの思い」というか、教えてもらいたいです。 インドネシアでは物事がひどくゆっくり進みます。私は都市での暮らし方、素早く能率的にものごとを済ませる方法に慣れています。書類、お役人仕事、そうした一切のことがともかくひどくゆっくりインドネシアでは進むので、そのスピードに自分を合わせるのが、ともかく一番のハードルでした。リサーチの間は貧困について調べ、何をするのが対処としての効果的かを調べました。水はすべての生命にとって生きるために必要なものです。すべての生命にとっての根源的なもので、それなしでは死んでしまいます。水に関係した病気で１日で６０００人も死んでしまうので、マイクロ・ファイナンスも、教育プログラムも、他の活動や仕事も、子供が下痢で翌年に死んでしまうと意味がなくなるわけです。水が自分たちのプライオリティだと決めてから、私は水の専門家になり、サステイナブルで清潔な水を供給する解決を考えてきました。ずいぶんとリサーチと時間がかかりました。 — この財団のキイはアーティスト・ドネーションですね。アーティストの参加について教えてください。どの国、どの都市で、どのような動きかあるでしょうか？もうアート・ワークは受け取りましたか？ いつでももし世界中のアーティストがひとつの目的のために団結すれば素晴らしいと考えてきました。これはとても楽観的な考え方ですが、この運動の一部はこれが実際に起こるためのプラットフォームなわけです。アーティストに連絡をとりはじめたばかりですが、反応は素晴らしい。有名なアーティストから無名なアーティストまでのアート・ワークのドネーションを受け取っていますが、これはまさに思っていたことでした。たぶん、影響力や名声を持っているアーティストがいるでしょうが、どのアーティストでも彼らが作品をドネーションしてくれる度にどきどきします。これはとても前進的で、今までのやられてこなかったことです。しばらくの間はアート・コミュニティがこうしたプロジェクトの可能性や重要性を測りかねるとは思います。オンラインのギャラリーもオープンする予定ですし、世界中からこのプロジェクトに関連して、最終的には数千ものアーティストと仕事をしたいと思っています。アーティストとして私たちは常にクリエイティヴィティの先頭に立つべきだし、前進的な考え方をするべきです。私はすべてのアーティストが自身の才能を使う責任があると思いますし、よりよい社会へと影響するべきだと感じているんです。 — BNEプロダクツとアクティヴィズム・スルー・コマースについて教えてください。これはどういう仕組みになっているのでしょうか？ 私たちの活動をファンドするもうひとつのやり方は、BNEブランドのプロダクツのラインをデザインして売ることです。このプロダクツは他の市場にあるプロダクツ、人々が毎日買う靴やバッグ、服とかになるわけです。ただ、BNEプロダクツを選ぶと決めただけで、人々はこの運動の一部となることができるのです。利益の１００％が清潔な水と衛生プロジェクトのために使われます。このプロダクツは外に出て、世界中を渡り、私たちの目的ややっていることを知らせてくれ、またそれ以上の助けとなるでしょう。何を買っているかについて人々の意識を変えたいのです。何にお金を使っているのか、どこの誰のために使っているのか、ということです。個人的にはロールス・ロイスとダイアモンドの歯に利益を使うことしか興味のないオウナーの率いるブランドをサポートしている人々は嫌気がさします。BNEプロダクツは、普段から買っているもので、それをただ選ぶだけで、世界を変える可能性を持った何かの一部になれる機会を消費者に与えるのです。 — 若い世代の日本人、２０代や３０代のチャリティに関しての意識とかについてはどう思いますか？ 若い世代の日本人の意識がどうなっているかについて知っているとは思いません。でも、もし極度の貧困にしいたげられている人々に実際にあったら、私たちの多くはそれをなんとかしたいと思う筈だと信じています。一般的には日本人は毎日の暮らしのなかで世界で起こっているひどい不正行為、権利の侵害といったものを目にしないで暮らしているでしょう。しかしながら、最近の地震で日本人は、リアルで、シリアスな悲劇に直面したと思います。こうしたこと考えると、若い日本人はもっとチャリティをするようになるし、自分たちより恵まれてない人々について考えるようになるだろうし、深いレベルでよりよい世界のために自分たち人間が何をするべきなのかを考えるようになると思います。 — さて、実際にきれいな水を供給するためにアクションがこのウォーター・ファウンデーションを通じて講じられているのでしょうか？もし、実際にドネーションがどこのコミュニティや子供たちに使われているのかが可視化されれば素晴らしいでしょうね。 具体的にはどの事例も異なるのですが、次のプロジェクトでは、初期費用以外はかからない、メインテナンスもほぼいらない、バイオサンド・ウォーター・フィルターをインドネシアの干ばつと飢饉のひどい地域で完全に地元で生産して、供給するものです。雨水を既に集めている住民のために貯水池を作ったり、既にあるものを改良することもしていきます。衛生訓練も現地の女性たちと行ないます。あなたの言う通り、ドネーションが最初から最後まで見ることができれば素晴らしいと私も考えました。トランスペアレンシーは重視され、写真、ヴィデオ、それにGPSのトラッキングなどで私たちのサポーターはどこにお金がいったのか、何か達成されたのか、誰の人生に影響されたのか、を見るようになることができるでしょう。 — ジャカルタで会った素晴らしい人々について教えてください。ミスター・パク・ナーとは誰ですか？TWITTERで彼のこと賛美していましたが、彼は誰のことですか？ パク・ナーは５０代のホームレスの男性で、ジャカルタの橋の下に６年間住んでいた人です。彼は街角で絵を描いているのですが、そのほとんどは政治的か、もしくは彼の頭に浮かんできたことで、彼は心で話す人です。誰も彼のことを聞いたことがないし、もしくはこれからもないでしょうが、私のブログでの通り、彼は真のストリート・アーティストです。彼の意図はまったく純粋で、美術館やギャラリーに認められたいとか、アートで金を儲けようなどとは思っていません。実際のところ、彼はインターネットが何か、ということも知りません。説明してみましたが、彼が判ったとは思いません。社会のほとんど、もしくは警察官は彼のことを迷惑だと思うか、頭がおかしいと思うでしょうが、私は今まで出会ったなかで一番好きなアーティストです。旅ではほんとうに素晴らしい人に出会いました。特別な人物２人がこの世を去りました。去年はニューヨークはクイーンズのPOKEが亡くなりましたし、今年は東京の林文浩が世を去りました。一緒に過ごすのが大好きだった人々です。２人を思います。ほんとうに楽しかった時間をありがとう、と言いたいです。 — “ The Crib” ブログ・ポストですが、この経験について話してください。これは一体どこでしょうか？この経験はウォーター・ファウンデーションとつながっているのでしょうか？リサーチの一環でしょうか？ いいえ、これはリサーチではないのです。私と友達でジャカルタの中心地の学校／コミュニティをファンドしているのですが、小学校の通う年齢の多くの子供たちは極端な貧困に陥っており、家族まるごとが一部屋に住んでいるという有様なのです。私はこうした子供たちの家を訪れ、写真を撮影したのです。つい最近になって政府がジャカルタの教育に金を費やしはじめたので、今では私たちの生徒は少なくなっています。 — 好きな場所、今まで訪れた場所で好きな場所とその理由を教えてください。また、どこか行ってみたい場所はありますか？ 日本は私が若い頃に訪れた場所で、素晴らしい経験をした場所です。私たちは日本に友人がいたわけでもなく、日本語が話せたわけでもありません。私とニューヨークの友人はただチケットを買って行ってみたんです。ここで言っておきたいのは、他の多くの外国のアーティストと違って、私たちは日本人に何かを売ろうとしたり、日本でお金を儲けようとして日本にいったのでhないということです。ライヴ・ペインティング、アート・ショウ、スポンサー、そういうものは一切関係がありませんでした。誰もチケット代を払ってくれたわけではなく、宿泊するホテルを手配してくれたわけではありません。とてもリアルで、年上の世代の日本のグラフィティ・ライター全員はこのことを歴史の一部として覚えているはずです。日本の社会が私をいらつかせたこともありましたが、同時に私が尊敬し、感嘆する多くの事柄がそこにあります。日本は私の好きな場所の一つだと言えるでしょう。そこで良き友人たちと多くの楽しい時間を共有しました。スペイン、フランス、そしてEUを楽しんだ、と言えるでしょう。スイス、アルプス山脈はとても美しかったですね。世界の反対側では、私は最もひどく貧乏な人々がそのつらい暮らしのなかで、強さと思いやりを忘れないで暮らしているのを見ることが出来ました。私の経験では、貧しい人々は私が会ったなかでは、もっとも強く、もっとも寛大な人々だったと思います。私は地球のけっこうな地域を訪れたと思いますが、死ぬまでにはすべての国を訪れたいです。初めて訪れた国の街を歩いてまわるのは大好きです。最初はすべての街に私のタグを残したいという意図からだったのですが、世界を回り、ひどいことが蔓延しているということを知ったので、今ではそれをなんとかしたいと思っているのです。旅は、今では知識を増やし、人々と時間を過ごすという手段になって、そういう意味ではグラフィティ以上になっています。でも、自分のマークは残します。それは私の血ですから。 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2012/01/05/the-bne-water-organization/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ストリートアーティストとして15年間活動続けてきたBNE。アメリカを拠点に、ビジュアルアートという手法で世界各地にその存在を示してきたアーティストである。そんな彼がはじめた新しいプロジェクト「ウォーター・ファウンデーション」は、水問題を抱える地域に、クリーンな水を供給することを目的としたチャリティ活動だ。今回、PAPERSKYは世界各地で活動をするBNEに、自身の旅のエピソードや、彼の新しいプロジェクトについて話を聞いた<span id="more-11277"></span>。</p>
<p><strong>— BNEウォーター・ファウンデーションはどのように始まったのでしょうか？なにか具体的なエピソードなどはあるのでしょうか？</strong></p>
<p>「ひとつの出来事というのではなく、幾つかが組み合わさったもので、僕の中で育っていった、というところでしょうか。今日の社会が面している貧困、戦争、自然破壊、といったメジャーな問題の根っこには人類の欲があるわけです。欲に対しての嫌悪が育っていくのと同時に、私たちの社会への失望が私を行動へと駆り立てたんですね。世界的に積み上げてきた私の名声と認知、私のアートを使うことが必要だとは判っていましたが、何をするのかが最も効果的か決めるためにずいぶんと時間とリサーチにかけました。沢山の読書とリサーチで、私はクリーンな水道水を後進国の人々に与えることが貧困に最も大きなインパクトを与えることだと学んだんですね。</p>
<p><strong>— 他のアクティヴィストや彼らの活動があなたに影響を与えたでしょうか？</strong></p>
<p>「大勢の人権的な活動をしている人々がいるのを知ってはいますが、その誰もが特に影響を与えたわけではありませんね。アート・アクティヴィストについては、社会的な問題に関して彼らの活動のなかで批判をしているのですが、誰も解決策を与えてないですね。私は解決をしたいのであって、変化のアイデアを売ろうというのではないのです。多くの人々が彼らのプロダクトを売るためやブランディングのためにBNEの名前を使おうと私に近づいてきました。彼らの目を見て、彼らの行動をじっくりと観察すると見えるのは欲だけでした。真実のことを言うなら、彼らは私のライフ・ワークや私が属しているカルチャーを使って彼らのくだらないプロダクトを売りたいだけだっていうのは、私を激怒させました。そういうことを経験して、また極度の貧困、それによってこうむっている人々を間近で見たことが私にこれをやらせました。自分がやりたかったこと、というのではなく、私がやらねばならなかったことという方があたってますね。</p>
<p><strong>— このウォーター・ファウンデーションというのは、あなたが若いころには気がつかなかったグラフィティの可能性を示唆しているのでしょうか？今と昔ではグラフィティに対する考え方は変わりましたか？</strong></p>
<p>もちろん、若い頃にはグラフィティをまったく違うように捉えていました。名前を描いて有名になるためにグラフィティを始める人もいます。私は名声とか認知を重要視したことは今まで一度もありませんが、やらなくてはいけないことで、若い頃にひきつけられたことで、それを楽しんだということです。政治的なステートメントとして捉えたことはありませんし、コミュニケーションの方法とも捉えたこともありません。反抗の手段と捉えたこともなくて、ただやらねばいけないことで、それをやることで、私が生きる実感を得られたというだけです。今は大人としてグラフィティの背後にある心理学を深く理解しています。私は今でも昔と同じようにグラフィティを愛していますが、以前とはまったく違ったように見ています。ある時点で、私が声を持っているということ、そして、私のやっていることは基本的にはアドヴァタイジングだと判ったのです。それまでは、自分のエゴを宣伝していたのですが、『俺はここにいた』ということ以上のことを使えるのだ、と理解したわけです。別に『俺はここにいた』とだけ言うのが悪いというわけじゃありません。タグはグラフィティのエッセンスで、私は愛し続けますが、数千時間をストリートで過ごし、旅行し、世界中で何が起こっているかを見てきたあと、グラフィティを何か深い、意義深い目的に使う、というのは自然なことなのです。</p>
<p><strong>— どうやって始めたのですか？「財団の始め方」とグーグルしたのでしょうか？何を知る必要があって、どのようにそれを学びましたか？</strong></p>
<p>「財団の始め方」をグーグルしていませんが、実在する多くの財団やNGOについて、誰が前面にいるか、どのように運営されているか、どのような戦略を使っているか、をリサーチしました。私たちの財団はインドネシアに登録されているので、現地の法律や正式な財団として必要な法的手続きについて学びました。</p>
<p><strong>— 財団を始めるにあたって何か障害はあったでしょうか？「１年間に渡るリサーチ」というか「多くの思い」というか、教えてもらいたいです。</strong></p>
<p>インドネシアでは物事がひどくゆっくり進みます。私は都市での暮らし方、素早く能率的にものごとを済ませる方法に慣れています。書類、お役人仕事、そうした一切のことがともかくひどくゆっくりインドネシアでは進むので、そのスピードに自分を合わせるのが、ともかく一番のハードルでした。リサーチの間は貧困について調べ、何をするのが対処としての効果的かを調べました。水はすべての生命にとって生きるために必要なものです。すべての生命にとっての根源的なもので、それなしでは死んでしまいます。水に関係した病気で１日で６０００人も死んでしまうので、マイクロ・ファイナンスも、教育プログラムも、他の活動や仕事も、子供が下痢で翌年に死んでしまうと意味がなくなるわけです。水が自分たちのプライオリティだと決めてから、私は水の専門家になり、サステイナブルで清潔な水を供給する解決を考えてきました。ずいぶんとリサーチと時間がかかりました。</p>
<p><strong>— この財団のキイはアーティスト・ドネーションですね。アーティストの参加について教えてください。どの国、どの都市で、どのような動きかあるでしょうか？もうアート・ワークは受け取りましたか？</strong></p>
<p>いつでももし世界中のアーティストがひとつの目的のために団結すれば素晴らしいと考えてきました。これはとても楽観的な考え方ですが、この運動の一部はこれが実際に起こるためのプラットフォームなわけです。アーティストに連絡をとりはじめたばかりですが、反応は素晴らしい。有名なアーティストから無名なアーティストまでのアート・ワークのドネーションを受け取っていますが、これはまさに思っていたことでした。たぶん、影響力や名声を持っているアーティストがいるでしょうが、どのアーティストでも彼らが作品をドネーションしてくれる度にどきどきします。これはとても前進的で、今までのやられてこなかったことです。しばらくの間はアート・コミュニティがこうしたプロジェクトの可能性や重要性を測りかねるとは思います。オンラインのギャラリーもオープンする予定ですし、世界中からこのプロジェクトに関連して、最終的には数千ものアーティストと仕事をしたいと思っています。アーティストとして私たちは常にクリエイティヴィティの先頭に立つべきだし、前進的な考え方をするべきです。私はすべてのアーティストが自身の才能を使う責任があると思いますし、よりよい社会へと影響するべきだと感じているんです。</p>
<p><strong>— BNEプロダクツとアクティヴィズム・スルー・コマースについて教えてください。これはどういう仕組みになっているのでしょうか？</strong></p>
<p>私たちの活動をファンドするもうひとつのやり方は、BNEブランドのプロダクツのラインをデザインして売ることです。このプロダクツは他の市場にあるプロダクツ、人々が毎日買う靴やバッグ、服とかになるわけです。ただ、BNEプロダクツを選ぶと決めただけで、人々はこの運動の一部となることができるのです。利益の１００％が清潔な水と衛生プロジェクトのために使われます。このプロダクツは外に出て、世界中を渡り、私たちの目的ややっていることを知らせてくれ、またそれ以上の助けとなるでしょう。何を買っているかについて人々の意識を変えたいのです。何にお金を使っているのか、どこの誰のために使っているのか、ということです。個人的にはロールス・ロイスとダイアモンドの歯に利益を使うことしか興味のないオウナーの率いるブランドをサポートしている人々は嫌気がさします。BNEプロダクツは、普段から買っているもので、それをただ選ぶだけで、世界を変える可能性を持った何かの一部になれる機会を消費者に与えるのです。</p>
<p><strong>— 若い世代の日本人、２０代や３０代のチャリティに関しての意識とかについてはどう思いますか？</strong></p>
<p>若い世代の日本人の意識がどうなっているかについて知っているとは思いません。でも、もし極度の貧困にしいたげられている人々に実際にあったら、私たちの多くはそれをなんとかしたいと思う筈だと信じています。一般的には日本人は毎日の暮らしのなかで世界で起こっているひどい不正行為、権利の侵害といったものを目にしないで暮らしているでしょう。しかしながら、最近の地震で日本人は、リアルで、シリアスな悲劇に直面したと思います。こうしたこと考えると、若い日本人はもっとチャリティをするようになるし、自分たちより恵まれてない人々について考えるようになるだろうし、深いレベルでよりよい世界のために自分たち人間が何をするべきなのかを考えるようになると思います。</p>
<p><strong>— さて、実際にきれいな水を供給するためにアクションがこのウォーター・ファウンデーションを通じて講じられているのでしょうか？もし、実際にドネーションがどこのコミュニティや子供たちに使われているのかが可視化されれば素晴らしいでしょうね。</strong></p>
<p>具体的にはどの事例も異なるのですが、次のプロジェクトでは、初期費用以外はかからない、メインテナンスもほぼいらない、バイオサンド・ウォーター・フィルターをインドネシアの干ばつと飢饉のひどい地域で完全に地元で生産して、供給するものです。雨水を既に集めている住民のために貯水池を作ったり、既にあるものを改良することもしていきます。衛生訓練も現地の女性たちと行ないます。あなたの言う通り、ドネーションが最初から最後まで見ることができれば素晴らしいと私も考えました。トランスペアレンシーは重視され、写真、ヴィデオ、それにGPSのトラッキングなどで私たちのサポーターはどこにお金がいったのか、何か達成されたのか、誰の人生に影響されたのか、を見るようになることができるでしょう。</p>
<p><strong>— ジャカルタで会った素晴らしい人々について教えてください。ミスター・パク・ナーとは誰ですか？TWITTERで彼のこと賛美していましたが、彼は誰のことですか？</strong></p>
<p>パク・ナーは５０代のホームレスの男性で、ジャカルタの橋の下に６年間住んでいた人です。彼は街角で絵を描いているのですが、そのほとんどは政治的か、もしくは彼の頭に浮かんできたことで、彼は心で話す人です。誰も彼のことを聞いたことがないし、もしくはこれからもないでしょうが、私のブログでの通り、彼は真のストリート・アーティストです。彼の意図はまったく純粋で、美術館やギャラリーに認められたいとか、アートで金を儲けようなどとは思っていません。実際のところ、彼はインターネットが何か、ということも知りません。説明してみましたが、彼が判ったとは思いません。社会のほとんど、もしくは警察官は彼のことを迷惑だと思うか、頭がおかしいと思うでしょうが、私は今まで出会ったなかで一番好きなアーティストです。旅ではほんとうに素晴らしい人に出会いました。特別な人物２人がこの世を去りました。去年はニューヨークはクイーンズのPOKEが亡くなりましたし、今年は東京の林文浩が世を去りました。一緒に過ごすのが大好きだった人々です。２人を思います。ほんとうに楽しかった時間をありがとう、と言いたいです。</p>
<p><strong>— “ The Crib” ブログ・ポストですが、この経験について話してください。これは一体どこでしょうか？この経験はウォーター・ファウンデーションとつながっているのでしょうか？リサーチの一環でしょうか？</strong></p>
<p>いいえ、これはリサーチではないのです。私と友達でジャカルタの中心地の学校／コミュニティをファンドしているのですが、小学校の通う年齢の多くの子供たちは極端な貧困に陥っており、家族まるごとが一部屋に住んでいるという有様なのです。私はこうした子供たちの家を訪れ、写真を撮影したのです。つい最近になって政府がジャカルタの教育に金を費やしはじめたので、今では私たちの生徒は少なくなっています。</p>
<p><strong>— 好きな場所、今まで訪れた場所で好きな場所とその理由を教えてください。また、どこか行ってみたい場所はありますか？</strong></p>
<p>日本は私が若い頃に訪れた場所で、素晴らしい経験をした場所です。私たちは日本に友人がいたわけでもなく、日本語が話せたわけでもありません。私とニューヨークの友人はただチケットを買って行ってみたんです。ここで言っておきたいのは、他の多くの外国のアーティストと違って、私たちは日本人に何かを売ろうとしたり、日本でお金を儲けようとして日本にいったのでhないということです。ライヴ・ペインティング、アート・ショウ、スポンサー、そういうものは一切関係がありませんでした。誰もチケット代を払ってくれたわけではなく、宿泊するホテルを手配してくれたわけではありません。とてもリアルで、年上の世代の日本のグラフィティ・ライター全員はこのことを歴史の一部として覚えているはずです。日本の社会が私をいらつかせたこともありましたが、同時に私が尊敬し、感嘆する多くの事柄がそこにあります。日本は私の好きな場所の一つだと言えるでしょう。そこで良き友人たちと多くの楽しい時間を共有しました。スペイン、フランス、そしてEUを楽しんだ、と言えるでしょう。スイス、アルプス山脈はとても美しかったですね。世界の反対側では、私は最もひどく貧乏な人々がそのつらい暮らしのなかで、強さと思いやりを忘れないで暮らしているのを見ることが出来ました。私の経験では、貧しい人々は私が会ったなかでは、もっとも強く、もっとも寛大な人々だったと思います。私は地球のけっこうな地域を訪れたと思いますが、死ぬまでにはすべての国を訪れたいです。初めて訪れた国の街を歩いてまわるのは大好きです。最初はすべての街に私のタグを残したいという意図からだったのですが、世界を回り、ひどいことが蔓延しているということを知ったので、今ではそれをなんとかしたいと思っているのです。旅は、今では知識を増やし、人々と時間を過ごすという手段になって、そういう意味ではグラフィティ以上になっています。でも、自分のマークは残します。それは私の血ですから。</p>
<p><strong>— そうした旅と遊牧的な生活を経て、家と呼べるような場所はありますか？</strong></p>
<p>そうですね、このような遊牧民的なライフスタイルが長いので、家がどのようなものか忘れてしまいました。でも、いい人と時間を過ごすと家にいるような気がします。</p>
<p><strong>— BNEという名前を使うどこが重要だったのでしょうか？本名と違った名前を使うまでのなにか経緯みたいなものはあるのでしょうか？</strong></p>
<p>ウォーターファウンデーションのアイデアにいたるまでにBNEという名前と私のアートを何か深い、社会の肯定的な変革に使いたいと思ったのです。ブランド認知とそれを保ち続けるために企業はもの凄い額のお金を使います。BNEが世界中で知られているというのは、その分野で私たちはさい先がいい。別の名前を使うともっと時間がかかることになるかも知れないし、すべて最初からやらなければならない。BNEという名前やグラフィティを使うのは、普段はそういうことを考えない若い人たちに社会的問題を考えてもらうきっかけになります。街でグラフィティをやっている１５歳の少年にユニセフのコマーシャルはあまり意味はないかも知れませんが、彼らが知っていて見上げるようなヴィジュアル・ランゲージで問題な扱われれば、インスパイアされるかも知れません。</p>
<p><strong>— BNEの名前はグラフィティと密接なため、多くの人々にとっては「よく判らないもの」かも知れません。でも、公衆衛生とかチャリティということになると、そうした一般的なオーディエンスが必要とされるでしょう。ウォーター・ファウンデーションと普通に評判の悪いグラフィティという組み合わせで、あなたはどのようにバランスをとるつもりでしょうか？</strong></p>
<p>いい質問です。多くの、一般の人々というのは、ある問題は彼らにとって理解しやすいようにして提示してあげないと判ってくれないものです。いい、悪い、とふたつに分ける必要はないと思います。つまり、いいグラフィティもあれば、悪いチャリティもあるのです。もちろん、BNEのチャリティの側面はすべての人に判りやすい、善い面でしょうが、街にあるBNEもこの目的のためにあるのであり、悪いわけではありません。今では先進的なチャリティはすべてブランドにならなければならないのを知っており、刷新的で、世界的に知られているブランドが使っているマーケティングや広告のテクニックを使っています。BNEが他のブランドと違うのは100％それが人々によるものであり、人々のためであり、そのすべてが社会のために使われるからです。あるブランドの目的がよりよい社会だとして、その広告のために金を払わなくてはいけない理由が判りません。私にはBNEのタグやステッカーが「私たちは存在しているんだ、私たちは君たちと同じように健康や幸せに値する」と貧しい人々が言っている声のように見えるのです。ほとんどの人はグラフィティは理解できませんし、理解できないものを嫌ったり畏れたりするのは人情の自然でしょう。でも、時間が経つにつれ、賢い人々が時間をかけてじっくりBNEが何をやっているのかを見れば、こう言うしかないでしょう。「これは全部理にかなってるよ。これはほんとうに凄いことなんだよ」って。</p>
<p><strong>— あなたの７月２２日のTWITTERが気にいってます。「社会的な問題について人々に知らせるための何百万倍もの額のお金とクリエイティヴィティが私たちの子供に不健康な飲料を飲ませるために使われている」これについてもう少し詳しく説明してもらえますか？</strong></p>
<p>街を歩き回ったり、電車に乗ったり、ハイウェイを車で走ったり、TVを見たりすると、サービスやプロダクトの宣伝と１日に何千回も出会うことになります。何十億という金がこうしたものを人々に買わせるために使われており、でも、私たちはこうした洒落た宣伝が自分たち人類をケアするためには使われているのを見たことはないし、また莫大な金額が戦争はクールじゃないことだというキャンペーンに使われているのを見たこともありません。もし、同じ額の金とクリエイティヴィティがNGOを宣伝したり、社会を前進させたりすることに使われたら、今より世界はもっといい場所になるでしょう。広告の力は絶大です。ルイ・ヴィトンは日本ではもはや宗教的にあがめられていますが、もしLVが彼らの利益を少しでもチャリティに回して、彼らをグラマラスに仕立てあげている広告でもう少し貧しい人々について考えたら、どうなるか想像してみてください。すごいことになるでしょうね。ロゴが大きな意味を持つことになるでしょう。本当の変化、本当に宗教的にあがめる意義あるものになるでしょう。</p>
<p><strong>— みなに愛されるような運動にあなたのタグは変身したのでしょうか？</strong></p>
<p>みなに愛されるような運動を私たちは今作ろうとしている、その過程にいるのですね。それがBNEに何を意味するのか？それはBNEがもう私ではなく、また私自身に属しているのでもない、ということを意味します。今は人々に属しているのです。</p>
<p><strong>— グラフィティが達成してきたこと、というのがありますね。ヴァンダリズムとしてブランディングされてしまい、アート・フォームとしては尊敬されないという地点からギャラリーへ、映画へ、マーケティング・キャンペーンで使われ、LA美術館で大きな回顧展があり、それに「政治的な」役割さえあり、今や人権運動にも使われている。グラフィティ、ストリート・アートの未来について聞きたいです。</strong></p>
<p>グラフィティは長い道のりを経て来たのですが、それを普通の人が見るのと、文化への深い理解がある人とでは見えるものが違います。あなたが言ったなかの事例では、人権的な運動を例外として、すべて外部の人間が金儲けのためにグラフィティを利用した事例です。ある人はこうした事柄すべてをシステムへの反抗からカルチャーが薄まってしまった、と考えるでしょう。グラフィティの未来？グラフィティが未来にも存在し続けてほしいとは思います。グラフィティは都市に命が存在する証です。それは「やあ、俺たちはここにいるよ、俺たちただののらくらモノじゃないよ」と言っている躍動のしるしですからね。グラフィティを生かし続ける人々が未来にもいるのは知っています。</p>
<p><strong>— それではインタヴィューを終わりにしましょう。もし、この運動を助けたいと思っても、アーティストでもなんでもない、普通の人間は何をすることができるでしょうか？</strong></p>
<p>誰もが参加できる運動です。まずは、私たちのサイト、<a href="http://bnewater.org" target="_blank">bnewater.org</a>をチェックしてみてください。私たちが何をしているか、もう少し見ることができるでしょう。運動をいろいろな方法でサポートできます。可能なら、献金したりBNEプロダクツを買うことによってドネーションできますが、金がすべてではありません。あなたの力を使ってこの運動を広めてください。ブログやTWITTERを使って、もしくはどのような方法を使ってもいいですが、広めてもらえると大変助かります。時にあなたはあなた自身の力に気がついていない時があります。ブランドやセレブリティを見ていると、彼らが私たち消費者なしでは存在できないのだ、ということを忘れがちになります。力があるのはあなたなのですが、それを理解してないだけなのです。このプロジェクトを成功させるのは、有名なアーティストやコーポレーション、もしくはセレブリティではありません。それは人々にかかっています。私はプラトフォームは作りましたが、この夢が実現するかは人々によっているのです。１人の人間では世界は変わりませんが、大勢の人間が、自分たちを変えようとしたとき、既に世界は変わっているのです。</p>
<p>BNE  　<br />
アメリカを拠点に活動するグラフィティアーティスト。1970年代後半〜80年代前半生まれで、過去15年間に世界各地に自身のマーク「BNE」を残し、世界中で知られるストリートアーティストとなった。2011年、「BNE Water Faundation」を立ち上げ、水問題で苦しむ地域に清潔な水を供給する活動をはじめ、話題となっている。<a href="http://bnewater.org" target="_blank">bnewater.org</a></p>
<p>This interview originally appeared in <a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">Papersky No. 37</a> Norway (November, 2011).<br />
Text: Vicente Gutierrez　Translation: Hiroshi Egaitsu</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2012/01/BNE-Papersky-1.jpeg" alt="" title="BNE-Papersky-1" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-11286" /></p>
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		<title>盆栽界の錬金術師｜木村正彦｜大宮盆栽 3</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2012/01/04/masahiko-kimura/</link>
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		<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 00:00:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<category><![CDATA[関東]]></category>
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		<description><![CDATA[皇居の敷地内に「三代将軍の松」と呼ばれる500年物の盆栽がある。人間が植えて世話をしてきた世界最古の盆栽である。より正確に言えば、手入れをしてきたのは何十人という盆栽職人であり、そのなかには将軍も含まれている。盆栽は工芸作品であり、芸術作品だが、ひとりの人間が創り上げるものはない。職人たちが何世紀にもわたって力を合わせ、針金や剪定ばさみなどのシンプルな道具を駆使して五葉松を縛り、刈りこみ、手入れをしながら大自然の風景を鉢のなかに再現していく。 世界的に知られる盆栽界の巨匠、木村正彦のやりかたは違う。彼は盆栽の栽培者、職人、世話人というだけでなく、アーティストである。彼の作品は、長い年月と多くの人々の手をかけた盆栽ではない。電動工具と直感を使い、木の形を自分の思いどおりに変えていく。「一本の木に100年もかけていたら、生計なんか立てられない。その前に死んでしまうでしょう。芸術家はふつう、死んでから世間に評価されますが、私はそうなりたくありません」。 木村は1940年代に盆栽村で生まれた。父は発明家だったが、1951年に他界する。父の死は木村の生い立ちに強い影響を与えたという。「母は子どもたちを育てるために身を粉にして働いていましたが、経済的に苦しく、私は進学できませんでした。それで母は、私が手先が器用だということで、盆栽の道に進むといいんじゃないかと考えたのです」。 たしかに木村の手先は器用だが、なによりも彼の才能は細部への隙のない目配り、形に対する感覚、創作力にあった。盆栽の作業に使っている道具は、ほとんど自作である。従来は何十年もかかっていた作業が、木村にかかると一日、場合によっては数時間で終わってしまう。彼が見せてくれたアルバムには、山から運んできた木が写っている。それが7時間半で、左右非対称なみごとな盆栽に変わっていた。「本当に新しいことをやろうとすれば、大きなリスクが伴います。すべての人に、そんな危険を冒す覚悟があるわけではありません」。この姿勢のせいで、盆栽の世界で異端児扱いされたこともある。「人々は私を『魔術師』と呼びますが、マジシャンといわれるのはあまり好きではありません。この仕事は毎日が挑戦、毎日が重労働です」。 話を聞きながら、彼の盆栽園を歩いた。置かれている作品は、いずれも「木」という感じがしない。杜松なのか、松なのか、種類がわからない。そこに見えるのは、濃い糖蜜を浴び、緑の葉が形づくる雲の下で固まった幹と枝。木村という巨匠が残した刻印だった。 木村正彦　 埼玉県北足立郡伊奈町小室7580 TEL: 048-721-3033 ※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。 Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>皇居の敷地内に「三代将軍の松」と呼ばれる500年物の盆栽がある。人間が植えて世話をしてきた世界最古の盆栽である。より正確に言えば、手入れをしてきたのは何十人という盆栽職人であり、そのなかには将軍も含まれている。盆栽は工芸作品であり、芸術作品だが、ひとりの人間が創り上げるものはない。職人たちが何世紀にもわたって力を合わせ、針金や剪定ばさみなどのシンプルな道具を駆使して五葉松を縛り、刈りこみ、手入れをしながら大自然の風景を鉢のなかに再現していく<span id="more-10772"></span>。</p>
<p>世界的に知られる盆栽界の巨匠、木村正彦のやりかたは違う。彼は盆栽の栽培者、職人、世話人というだけでなく、アーティストである。彼の作品は、長い年月と多くの人々の手をかけた盆栽ではない。電動工具と直感を使い、木の形を自分の思いどおりに変えていく。「一本の木に100年もかけていたら、生計なんか立てられない。その前に死んでしまうでしょう。芸術家はふつう、死んでから世間に評価されますが、私はそうなりたくありません」。</p>
<p>木村は1940年代に盆栽村で生まれた。父は発明家だったが、1951年に他界する。父の死は木村の生い立ちに強い影響を与えたという。「母は子どもたちを育てるために身を粉にして働いていましたが、経済的に苦しく、私は進学できませんでした。それで母は、私が手先が器用だということで、盆栽の道に進むといいんじゃないかと考えたのです」。</p>
<p>たしかに木村の手先は器用だが、なによりも彼の才能は細部への隙のない目配り、形に対する感覚、創作力にあった。盆栽の作業に使っている道具は、ほとんど自作である。従来は何十年もかかっていた作業が、木村にかかると一日、場合によっては数時間で終わってしまう。彼が見せてくれたアルバムには、山から運んできた木が写っている。それが7時間半で、左右非対称なみごとな盆栽に変わっていた。「本当に新しいことをやろうとすれば、大きなリスクが伴います。すべての人に、そんな危険を冒す覚悟があるわけではありません」。この姿勢のせいで、盆栽の世界で異端児扱いされたこともある。「人々は私を『魔術師』と呼びますが、マジシャンといわれるのはあまり好きではありません。この仕事は毎日が挑戦、毎日が重労働です」。</p>
<p>話を聞きながら、彼の盆栽園を歩いた。置かれている作品は、いずれも「木」という感じがしない。杜松なのか、松なのか、種類がわからない。そこに見えるのは、濃い糖蜜を浴び、緑の葉が形づくる雲の下で固まった幹と枝。木村という巨匠が残した刻印だった。</p>
<p>木村正彦　<br />
埼玉県北足立郡伊奈町小室7580<br />
TEL: 048-721-3033</p>
<p><em>※この記事は『<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.37</a>』に掲載されています。</em><br />
Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean    Coordination: Lucas Badtke-Berkow</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/bonsai_kimura_00.jpg" alt="" title="bonsai_kimura_00" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10781" /></p>
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		<title>植田正治写真展「印籠カメラ寫眞帖」</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Dec 2011 00:46:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>PAPERSKY</dc:creator>
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		<category><![CDATA[植田正治]]></category>

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		<description><![CDATA[植田正治の写真展「印籠カメラ寫眞帖」が27日まで新宿のB GALLERYにて開催されています。月刊誌『アサヒカメラ』に1995年1月から1997年12月の3年間にショートエッセイを添えて連載された『印籠カメラ写真帖』からのカラー写真21点を抜粋。また同時期に撮影され、植田正治の生家に現存する35mmポジフィルムを植田正治事務所が初監修したモダンプリントと併せて展示、販売しています。 「このカメラが目に入らぬか〜！」 ベルトに付けたポーチから取り出したコンパクトカメラのスライド式蓋をあけながら、80歳を過ぎた植田正治は茶目っ気たっぷりにそう言い放ったそうです。当時の日課、散歩の伴に35mmのコンパクトカメラを手に、軽快なスナップ作品を制作していました。没後11年。生前、現役最長老を自負していた植田正治の最晩年の作品群にどうぞご期待下さい。 植田正治 写真展 「印籠カメラ寫眞帖」 会期：2011年12月6日(火)～27日(火) 11:00～20:30 (会期中無休) ※12月26日(月)と27日(火)は20:00まで 場所：B GALLERY（新宿/BEAMS JAPAN 6F）東京都新宿区新宿3-32-6 TEL：03-5368-7309 http://www.beams.co.jp/b-gallery/ ※ Knee High Media × 植田正治：2000年に発行された『TOKION』第16号では、当時88歳の植田正治撮影によるオリジナル作品が20ページにわたり掲載されています。表紙には、鳥取砂丘で傘をさすルーカスの写真が使われています。 » Tokion #16 The NEW Issue]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>植田正治の写真展「印籠カメラ寫眞帖」が27日まで新宿のB GALLERYにて開催されています。月刊誌『アサヒカメラ』に1995年1月から1997年12月の3年間にショートエッセイを添えて連載された『印籠カメラ写真帖』からのカラー写真21点を抜粋。また同時期に撮影され、植田正治の生家に現存する35mmポジフィルムを植田正治事務所が初監修したモダンプリントと併せて展示、販売しています<span id="more-11229"></span>。<br />
「このカメラが目に入らぬか〜！」<br />
ベルトに付けたポーチから取り出したコンパクトカメラのスライド式蓋をあけながら、80歳を過ぎた植田正治は茶目っ気たっぷりにそう言い放ったそうです。当時の日課、散歩の伴に35mmのコンパクトカメラを手に、軽快なスナップ作品を制作していました。没後11年。生前、現役最長老を自負していた植田正治の最晩年の作品群にどうぞご期待下さい。</p>
<p>植田正治 写真展 「印籠カメラ寫眞帖」<br />
会期：2011年12月6日(火)～27日(火) 11:00～20:30 (会期中無休) ※12月26日(月)と27日(火)は20:00まで<br />
場所：B GALLERY（新宿/BEAMS JAPAN 6F）東京都新宿区新宿3-32-6<br />
TEL：03-5368-7309<br />
<a href="http://www.beams.co.jp/b-gallery/" target="_blank">http://www.beams.co.jp/b-gallery/</a></p>
<p>※ Knee High Media × 植田正治：2000年に発行された<a href="http://www.khmj.com/magazines/tokion-16-the-new-issue" target="_blank">『TOKION』第16号</a>では、当時88歳の植田正治撮影によるオリジナル作品が20ページにわたり掲載されています。表紙には、鳥取砂丘で傘をさすルーカスの写真が使われています。<br />
» <a href="http://www.khmj.com/magazines/tokion-16-the-new-issue" target="_blank">Tokion #16 The NEW Issue</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/12/tokion_new_cover.jpg" alt="" title="tokion_new_cover" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-11234" /></p>
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		<item>
		<title>大宮盆栽 2｜千年の眠りから覚めて｜山田香織</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/19/kaori-yamada/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/12/19/kaori-yamada/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 Dec 2011 00:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
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		<category><![CDATA[関東]]></category>
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		<category><![CDATA[japan]]></category>
		<category><![CDATA[埼玉]]></category>
		<category><![CDATA[盆栽]]></category>

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		<description><![CDATA[「盆栽がやがて私の仕事になり人生になることに、中学生のころに気がついて、大きなプレッシャーを感じていました」。山田香織は高名な盆栽園のひとつである清香園の跡取り娘だ。ひとり娘の山田は幼いころから、150年の歴史を誇る清香園の5代目となり、盆栽名人にならねばならないという運命の重みをひしひしと感じていたという。 ある秋の朝、彼女は盆栽の隣に座り、「長い伝統を受け継ぐ重圧」について語ってくれた。「自分にはそれだけの力があるだろうかって悩みました」。山田は現在、30代前半にして実力を高く評価され、日本でもっとも名の知られた女性盆栽家になっている。彼女は伝統的な盆栽の考えに新しい息吹を吹きこみ、これまでの客層とはまったく異なる日本の若い世代に盆栽の魅力を伝えている。 多くの外国人は日本を象徴する文化として盆栽を見るが、日本人の多くは「おじいちゃんのやること」といったイメージが強い。盆栽は、一生かけて手入れをして、初めて結果が出るものだが、山田は1980年代に父親が提案した新しい流儀「彩花盆栽」を学び、これまでの盆栽に代わるものとして世の中に紹介した。当時、日本は好景気の只中にあり、高価な盆栽が注目を集めていた。だが経済が停滞して約20年が経過した現在、盆栽をよりシンプルに楽しめる彩花盆栽の価値が理解されつつある。「彩花盆栽を通じて、若い女性にもっと盆栽を楽しんでもらいたい。従来の盆栽とスタイルこそ違いますが、本質は継承されています。古典的な盆栽はいまの世の中では少し時代遅れに見えるでしょう。伝統は時代の変化に適応し、現代人の生活様式に合わせて姿を変えていかねばならないと思います。昔からのやりかたをなにがなんでも維持しようというのは、現実的ではないですね」。 伝統的な盆栽の流儀では、ひとつの鉢に一本というルールがあり、複数の植物を一緒に植えてはならない。簡素な美しさ、抑制、忍耐強さを促すためだが、いずれも現代人にとっては理解しにくいコンセプトである。彩花盆栽では、ひとつの鉢に枝ものと草ものを寄せ植えし、小さな庭をつくりあげる。シンプルで楽しみやすいスタイルだ。「それでも、日本の大自然の風景をひとつの鉢のなかで再現するという盆栽の基本的な考えは守られています」。彩花盆栽には熱心なファンがおり、とくに女性の間で人気が高い。 批判的な人々の間では、彩花は盆栽というよりも生け花に近いもので、「真の」盆栽とは呼べないという意見がある。だが、これはあまりにも短絡的な考えだ。盆栽に対する厳格なルールや理念が生まれる前は、「盆景」という手法があり、人々は石や、野生の花や草、木などを集めて箱庭をつくっていたではないか。彩花盆栽は、この盆栽の祖である技法にいちばん近いかもしれない。盆景は山田によって千年の眠りから覚め、現代に蘇ったのである。 清香園　 埼玉県さいたま市北区盆栽町268 TEL: 048-663-3931 www.seikouen.cc ※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。 Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「盆栽がやがて私の仕事になり人生になることに、中学生のころに気がついて、大きなプレッシャーを感じていました」。山田香織は高名な盆栽園のひとつである清香園の跡取り娘だ。ひとり娘の山田は幼いころから、150年の歴史を誇る清香園の5代目となり、盆栽名人にならねばならないという運命の重みをひしひしと感じていたという。<br />
ある秋の朝、彼女は盆栽の隣に座り、「長い伝統を受け継ぐ重圧」について語ってくれた。「自分にはそれだけの力があるだろうかって悩みました」。山田は現在、30代前半にして実力を高く評価され、日本でもっとも名の知られた女性盆栽家になっている。彼女は伝統的な盆栽の考えに新しい息吹を吹きこみ、これまでの客層とはまったく異なる日本の若い世代に盆栽の魅力を伝えている<span id="more-10773"></span>。</p>
<p>多くの外国人は日本を象徴する文化として盆栽を見るが、日本人の多くは「おじいちゃんのやること」といったイメージが強い。盆栽は、一生かけて手入れをして、初めて結果が出るものだが、山田は1980年代に父親が提案した新しい流儀「彩花盆栽」を学び、これまでの盆栽に代わるものとして世の中に紹介した。当時、日本は好景気の只中にあり、高価な盆栽が注目を集めていた。だが経済が停滞して約20年が経過した現在、盆栽をよりシンプルに楽しめる彩花盆栽の価値が理解されつつある。「彩花盆栽を通じて、若い女性にもっと盆栽を楽しんでもらいたい。従来の盆栽とスタイルこそ違いますが、本質は継承されています。古典的な盆栽はいまの世の中では少し時代遅れに見えるでしょう。伝統は時代の変化に適応し、現代人の生活様式に合わせて姿を変えていかねばならないと思います。昔からのやりかたをなにがなんでも維持しようというのは、現実的ではないですね」。</p>
<p>伝統的な盆栽の流儀では、ひとつの鉢に一本というルールがあり、複数の植物を一緒に植えてはならない。簡素な美しさ、抑制、忍耐強さを促すためだが、いずれも現代人にとっては理解しにくいコンセプトである。彩花盆栽では、ひとつの鉢に枝ものと草ものを寄せ植えし、小さな庭をつくりあげる。シンプルで楽しみやすいスタイルだ。「それでも、日本の大自然の風景をひとつの鉢のなかで再現するという盆栽の基本的な考えは守られています」。彩花盆栽には熱心なファンがおり、とくに女性の間で人気が高い。</p>
<p>批判的な人々の間では、彩花は盆栽というよりも生け花に近いもので、「真の」盆栽とは呼べないという意見がある。だが、これはあまりにも短絡的な考えだ。盆栽に対する厳格なルールや理念が生まれる前は、「盆景」という手法があり、人々は石や、野生の花や草、木などを集めて箱庭をつくっていたではないか。彩花盆栽は、この盆栽の祖である技法にいちばん近いかもしれない。盆景は山田によって千年の眠りから覚め、現代に蘇ったのである。</p>
<p>清香園　<br />
埼玉県さいたま市北区盆栽町268<br />
TEL: 048-663-3931<br />
<a href="http://www.seikouen.cc" target="_blank">www.seikouen.cc</a></p>
<p><em>※この記事は『<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.37</a>』に掲載されています。</em><br />
Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean    Coordination: Lucas Badtke-Berkow</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/bonsai_yamada_01.jpg" alt="" title="bonsai_yamada_01" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10774" /></p>
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		<title>ザ・ノース・フェイス へリーハンセン鎌倉店</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/15/the-north-face-helly-hansen-kamakura/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/12/15/the-north-face-helly-hansen-kamakura/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Dec 2011 00:13:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>PAPERSKY</dc:creator>
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		<description><![CDATA[海から山まで、トータルでサポート。ヘリーハンセンは、130年以上の歴史をもつノルウェー生まれのセイリングギアブランド。高機能な防水ウェアは創業以来、セイラー、スキーヤーやスノーボーダー、登山家や冒険家たちから支持され、2011年春夏からは「from ocean to mountain」をキーワードに新たなアウトドアコレクションがスタートした。スカンジナビアンテキスタイルと呼ばれる鳥や動物をモチーフにしたかわいらしいデザインに機能性をもちあわせたアイテムは、海から山まで私たちのアウトドアライフをトータルでサポートしてくれる。数ヵ月に一度、古くなった海図やヨットセイルを使って、布草履やエプロン、ドッグリードなどをつくるワークショップが店頭にて不定期で開催されており、このワークショップには海やヨット、自然を身近に感じてもらえるようにと想いが込められている。 ザ・ノース・フェイス へリーハンセン鎌倉店 The North Face Helly Hansen Kamakura 神奈川県鎌倉市小町１丁目９−４ 鎌倉松風堂ビル TEL: 0467-61-3811 10:30〜19:30 Open Everyday www.goldwin.co.jp/hellyhansen/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>海から山まで、トータルでサポート。ヘリーハンセンは、130年以上の歴史をもつノルウェー生まれのセイリングギアブランド。高機能な防水ウェアは創業以来、セイラー、スキーヤーやスノーボーダー、登山家や冒険家たちから支持され、2011年春夏からは「from ocean to mountain」をキーワードに新たなアウトドアコレクションがスタートした。スカンジナビアンテキスタイルと呼ばれる鳥や動物をモチーフにしたかわいらしいデザインに機能性をもちあわせたアイテムは、海から山まで私たちのアウトドアライフをトータルでサポート<span id="more-10988"></span>してくれる。数ヵ月に一度、古くなった海図やヨットセイルを使って、布草履やエプロン、ドッグリードなどをつくるワークショップが店頭にて不定期で開催されており、このワークショップには海やヨット、自然を身近に感じてもらえるようにと想いが込められている。</p>
<p>ザ・ノース・フェイス へリーハンセン鎌倉店<br />
The North Face Helly Hansen Kamakura<br />
神奈川県鎌倉市小町１丁目９−４ 鎌倉松風堂ビル<br />
TEL: 0467-61-3811<br />
10:30〜19:30<br />
Open Everyday<br />
<a href="http://www.goldwin.co.jp/hellyhansen/" target="_blank">www.goldwin.co.jp/hellyhansen/</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/12/HH_kamakura_02.jpg" alt="" title="HH_kamakura_02" width="528" height="352" class="alignnone size-full wp-image-10990" /></p>
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		<title>石川直樹写真展「Halluci Mountain −幻の山−」</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/08/halluci-mountain/</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Dec 2011 23:23:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TEAM YUM YUM</dc:creator>
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		<description><![CDATA[石川直樹写真展「Halluci Mountain −幻の山−」が12月23日よりEYE OF GYREにて開催される。「山」は不変の存在ではなく、自分との関係によって常に変化するものと捉え、人との関わりによって姿を変えるこうした無数の山のことを、石川は「Halluci Mountain」と名付けた。本展はエベレストの写真と映像を中心に、世界各地で撮影した「山」にまつわる作品によって構成され、言葉以前の「山」そのものをフィルムによって写し取った渾身の作品群を見ることができる。 石川直樹「Halluci Mountain −幻の山−」 オープニングレセプション：2011年12月23日（金）18:00 － 20:00 会期：2011年12月23日（金）→ 2012年1月22日（日） 開廊時間：12:00 － 20:00 ＊12月31日は11時～18時まで　1月1日は休館日 会場　EYE OF GYRE / GYRE 3F　東京都神宮前5-10-1 &#187;MAP Tel : 03-3498-6990 http://gyre-omotesando.com/ また、12月23日（金）には、TOO MUCH magazineによるレクチャーシリーズとして、石川直樹が今年2度にわたって旅したブータンについてのトークショーが行われる。道なき道を歩きながら考えたこと、撮りためてきた最新の写真や映像とともに、ブータンの現実について率直に語る。 TOO MUCH magazine presents 石川直樹「The Seven Continents」 日時：2011年12月23日 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/12/08/halluci-mountain/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>石川直樹写真展「Halluci Mountain −幻の山−」が12月23日よりEYE OF GYREにて開催される。「山」は不変の存在ではなく、自分との関係によって常に変化するものと捉え、人との関わりによって姿を変えるこうした無数の山のことを、石川は「Halluci Mountain」と名付けた。本展はエベレストの写真と映像を中心に、世界各地で撮影した「山」にまつわる作品によって構成され、言葉以前の「山」そのものをフィルムによって写し取った渾身の作品群を見ることができる<span id="more-11015"></span>。</p>
<p><strong>石川直樹「Halluci Mountain −幻の山−」</strong><br />
オープニングレセプション：2011年12月23日（金）18:00 － 20:00<br />
会期：2011年12月23日（金）→ 2012年1月22日（日）<br />
開廊時間：12:00 － 20:00<br />
＊12月31日は11時～18時まで　1月1日は休館日<br />
会場　EYE OF GYRE / GYRE 3F　東京都神宮前5-10-1 &#187;<a href="http://g.co/maps/xyztv" target="_blank">MAP</a><br />
Tel : 03-3498-6990<br />
<a href="http://gyre-omotesando.com/" target="_blank">http://gyre-omotesando.com/</a></p>
<p>また、12月23日（金）には、TOO MUCH magazineによるレクチャーシリーズとして、石川直樹が今年2度にわたって旅したブータンについてのトークショーが行われる。道なき道を歩きながら考えたこと、撮りためてきた最新の写真や映像とともに、ブータンの現実について率直に語る。</p>
<p><strong>TOO MUCH magazine presents 石川直樹「The Seven Continents」</strong><br />
日時：2011年12月23日 (金・祝) 14:30/ start 15:00<br />
会場：VACANT 渋谷区神宮前３丁目20-13 &#187;<a href="http://g.co/maps/d7qny" target="_blank">MAP</a><br />
<a href="http://www.n0idea.com" target="_blank">www.n0idea.com</a><br />
料金：￥1,000 (zine付き)<br />
講師：石川直樹<br />
ゲスト：御手洗瑞子（初代ブータン政府首相フェロー）<br />
<a href="http://event.n0idea.com/post/13296792524/12-23-fri-holiday-too-much-magazine-presents-the" target="_blank">http://event.n0idea.com/post/13296792524/12-23-fri-holiday-too-much-magazine-presents-the</a><br />
<a href="http://toomuchmagazine.com" target="_blank">toomuchmagazine.com</a></p>
<p>　<br />
石川直樹/ Naoki ISHIKAWA 写真家<br />
1977 年東京都生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、旅などをテーマに作品を発表し続けている。写真集「THE VOID」（ニーハイメディア）により、さがみはら写真新人奨励賞、三木淳賞。「NEWDIMENSION」（赤々舎）、「POLAR」（リトルモア）により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。「Mt.Fuji」（リトルモア）、「VERNACULAR」（赤々舎）を含む近年の活動によって東川賞新人作家賞。2010年、「ARCHIPELAGO」（集英社）により、さがみはら写真賞。2011年、「CORONA」（青土社）により、土門拳賞を受賞した。著書に「最後の冒険家」（集英社）ほか多数。</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/12/ishikawa.jpg" alt="" title="ishikawa" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-11016" /></p>
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		<title>文化庁「工芸技術記録映画」の特集｜東京国立近代美術館 フィルムセンター</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/06/japanese-craft-techniques-on-screen/</link>
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		<pubDate>Tue, 06 Dec 2011 04:22:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TEAM YUM YUM</dc:creator>
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		<category><![CDATA[japan]]></category>

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		<description><![CDATA[加賀蒔絵の松田権六を始め、日本の伝統工芸の優れたわざを記録した「伝統工芸記録映画」（文化庁）のこれまでの作品を、東京国立近代美術館 フィルムセンターにて見ることができます。「伝統工芸記録映画」は、重要無形文化財に指定された伝統工芸のわざを映像で記録することを目的とし、文化庁が1971年より製作に着手。以来、ほぼ1年に1本のペースで継続的に製作が行われ、これまでに42本の映画が発表されています。本特集では、第1作の『蒔絵 －松田権六のわざ－』から、計5作品が作られた昨年度の最新作――『釉裏金彩 －吉田美統のわざ－』『鉄釉陶器 －原清のわざ－』『鋳金 －大澤光民のわざ－』『彫金 －桂盛仁のわざ－』『鍛金 －田口壽恒のわざ－』――まで、全作を美しいオリジナルの35mmフィルムで鑑賞できる機会となります。 また、同時期に東京国立近代美術館工芸館（北の丸公園）で開催される「所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品」（11月22日－2012年1月29日）では、上記の映画シリーズと関係する主要な工芸作品約60点を特集します。『蒔絵 －松田権六のわざ－』で記録された後、工芸館へ移管された《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》や、『髹漆 －増村益城のわざ－』に登場する《乾漆朱輪花盤》（当館寄託作品）のほか、京都国立近代美術館が所蔵する北村昭斎の螺鈿、文化庁が所蔵する田口壽恒の鍛金や中川清司の木工芸などの作品を陳列します。作品（展示）とその制作工程（映画）を比較しながら鑑賞できます。 日本の文化・記録映画選　文化庁「工芸技術記録映画」の特集 会期：2011年11月25日（金）- 2012年1月15日（日） ※金曜日・土曜日・日曜日のみの上映。※12月30日（金）-1月1日（日）は休映。 会場：東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール　東京都中央区京橋3-7-6 料金：一般500円／高校・大学生・シニア300円／小・中学生100円／ 障害者（付添者は原則1名まで) キャンパスメンバーズは無料 上映スケジュールはこちら お問い合わせ： 東京国立近代美術館フィルムセンター http://www.momat.go.jp/FC/fc.html 【関連企画】 所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品 会期：2011年11月22日（火）－ 2012年1月29日（日）　 ＊休館日：月曜日（ただし1/2、1/9は開館）、12/28-1/1、1/10 会場：東京国立近代美術館工芸館 　 　 ※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。 最新コラム &#187; Bonsai / 大宮盆栽 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/12/06/japanese-craft-techniques-on-screen/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>加賀蒔絵の松田権六を始め、日本の伝統工芸の優れたわざを記録した「伝統工芸記録映画」（文化庁）のこれまでの作品を、東京国立近代美術館 フィルムセンターにて見ることができます。「伝統工芸記録映画」は、重要無形文化財に指定された伝統工芸のわざを映像で記録することを目的とし、文化庁が1971年より製作に着手。以来、ほぼ1年に1本のペースで継続的に製作が行われ、これまでに42本の映画が発表されています<span id="more-10938"></span>。本特集では、第1作の『蒔絵 －松田権六のわざ－』から、計5作品が作られた昨年度の最新作――『釉裏金彩 －吉田美統のわざ－』『鉄釉陶器 －原清のわざ－』『鋳金 －大澤光民のわざ－』『彫金 －桂盛仁のわざ－』『鍛金 －田口壽恒のわざ－』――まで、全作を美しいオリジナルの35mmフィルムで鑑賞できる機会となります。</p>
<p>また、同時期に東京国立近代美術館工芸館（北の丸公園）で開催される「所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品」（11月22日－2012年1月29日）では、上記の映画シリーズと関係する主要な工芸作品約60点を特集します。『蒔絵 －松田権六のわざ－』で記録された後、工芸館へ移管された《蒔絵槇に四十雀模様二段卓》や、『髹漆 －増村益城のわざ－』に登場する《乾漆朱輪花盤》（当館寄託作品）のほか、京都国立近代美術館が所蔵する北村昭斎の螺鈿、文化庁が所蔵する田口壽恒の鍛金や中川清司の木工芸などの作品を陳列します。作品（展示）とその制作工程（映画）を比較しながら鑑賞できます。</p>
<p>日本の文化・記録映画選　文化庁「工芸技術記録映画」の特集<br />
会期：2011年11月25日（金）- 2012年1月15日（日）<br />
※金曜日・土曜日・日曜日のみの上映。※12月30日（金）-1月1日（日）は休映。<br />
会場：東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール　東京都中央区京橋3-7-6<br />
料金：一般500円／高校・大学生・シニア300円／小・中学生100円／<br />
     障害者（付添者は原則1名まで) キャンパスメンバーズは無料<br />
上映スケジュールは<a href="http://www.momat.go.jp/FC/Cinema2-kogei/nittei.html" target="_blank">こちら</a></p>
<p>お問い合わせ：<br />
東京国立近代美術館フィルムセンター<br />
<a href="http://www.momat.go.jp/FC/fc.html" target="_blank">http://www.momat.go.jp/FC/fc.html</a></p>
<p>【関連企画】<br />
所蔵作品展 人間国宝と近代工芸の名品<br />
会期：2011年11月22日（火）－ 2012年1月29日（日）　<br />
＊休館日：月曜日（ただし1/2、1/9は開館）、12/28-1/1、1/10<br />
会場：東京国立近代美術館工芸館<br />
　<br />
　<br />
※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。<br />
最新コラム &#187; <a href="http://www.papersky.jp/?p=10767">Bonsai / 大宮盆栽</a><br />
記事一覧はこちら &#187; <a href="http://www.papersky.jp/tag/japan/">http://www.papersky.jp/tag/japan/</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/12/matsuda.jpg" alt="" title="matsuda" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10939" /></p>
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		<title>大宮盆栽 1｜年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう｜田畑好信</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/12/05/elderly-sick-and-deciduous/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/12/05/elderly-sick-and-deciduous/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 05 Dec 2011 00:30:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Cameron Allan McKean</dc:creator>
				<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[関東]]></category>
		<category><![CDATA[bonsai]]></category>
		<category><![CDATA[japan]]></category>
		<category><![CDATA[埼玉]]></category>
		<category><![CDATA[盆栽]]></category>

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		<description><![CDATA[1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である。 年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう｜田畑好信 自然界の美を支配するのは難しい。それでも人間は挑戦しつづける。野生の動物を飼いならしたり、鳥の羽を切り落としその美しい姿を眺めたり、花や木や岩のような自然の景観を織りなすものを家や庭にもちこんだりすることを止めない。 日本と中国では、自然の景観を人間がコントロールする手法が様式美と呼ばれ、芸術になっている。盆栽の起源は中国の「盆景」。それが1185年から1333年の間に日本に伝わり、18世紀半ばには、現在の「盆栽」に近いものが生まれたという。盆栽は、小さな木を思うような形に育て、自然の景観を再現する技法である。 「盆栽を育てることは、ライオンを手なづけてペットにするのと同じくらい難しいことです」。田畑好信は、窓越しに並んだ盆栽を眺めながら言う。現在、37歳の彼は、大宮盆栽美術館に勤める盆栽技師。ここにある盆栽を手入れして、美しく保つのが仕事である。 美術館に展示された盆栽の間を歩きながら、彼はそのひとつひとつについて、まるで人間について話すように、名前を呼びながら説明してくれた。 「盆栽技師にとってもっとも重要なのは、自分が手入れしている盆栽のことをよく知っていることです。同じ品種の松の木が10本あったとしても、性格はそれぞれ違います。たくさん手をかけなければいけない木もあれば、あまり構わなくても問題ない木もある。木にはそれぞれ微妙な性格の違いがあります」。だが、盆栽を人間と同じように扱うことはできないと彼は強調する。「人間は長所と短所をバランスよくもっていなければなりませんが、盆栽の場合、短所と思われる部分は切り落としてしまいます」。 田畑は故郷の鹿児島の高校を卒業後、大宮にやってきた。盆栽愛好家だった父親に背中を押され、日本の盆栽の中心地である大宮に移り住み、盆栽園で働くようになった。盆栽村の成り立ちと盆栽園の数が減った理由はこの地で知ったという。東京の下町に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災。残った盆栽園が東京を離れ、大宮に移り住んだ。「大宮は水と土がよかったし、ほかの地域より少し涼しかったので」と田畑は言う。第二次世界大戦中の度重なる苦難によっても、盆栽園の数は徐々に減っていき、いまやここに10園ほどを残すだけになった。 「どれだけ完璧にコントロールしても、どこか必ずうまく行かないところが出てきます」。盆栽技師の誰もがそうであるように、田畑はいいかげんなところがなく、思慮深い雰囲気をもっている。彼はよく考えてから、こう締めくくった。「だからこそ、盆栽はおもしろいんですよ」。 さいたま市大宮盆栽美術館 埼玉県さいたま市北区土呂町2-24-3 TEL: 048-780-2091 www.bonsai-art-museum.jp ※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。 Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean Coordination: Lucas Badtke-Berkow ※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。 記事一覧はこちら &#187; http://www.papersky.jp/tag/japan/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である<span id="more-10767"></span>。</p>
<p><strong>年老いて、病んで、衰えた植物に向きあう｜田畑好信</strong></p>
<p>自然界の美を支配するのは難しい。それでも人間は挑戦しつづける。野生の動物を飼いならしたり、鳥の羽を切り落としその美しい姿を眺めたり、花や木や岩のような自然の景観を織りなすものを家や庭にもちこんだりすることを止めない。</p>
<p>日本と中国では、自然の景観を人間がコントロールする手法が様式美と呼ばれ、芸術になっている。盆栽の起源は中国の「盆景」。それが1185年から1333年の間に日本に伝わり、18世紀半ばには、現在の「盆栽」に近いものが生まれたという。盆栽は、小さな木を思うような形に育て、自然の景観を再現する技法である。</p>
<p>「盆栽を育てることは、ライオンを手なづけてペットにするのと同じくらい難しいことです」。田畑好信は、窓越しに並んだ盆栽を眺めながら言う。現在、37歳の彼は、大宮盆栽美術館に勤める盆栽技師。ここにある盆栽を手入れして、美しく保つのが仕事である。</p>
<p>美術館に展示された盆栽の間を歩きながら、彼はそのひとつひとつについて、まるで人間について話すように、名前を呼びながら説明してくれた。<br />
「盆栽技師にとってもっとも重要なのは、自分が手入れしている盆栽のことをよく知っていることです。同じ品種の松の木が10本あったとしても、性格はそれぞれ違います。たくさん手をかけなければいけない木もあれば、あまり構わなくても問題ない木もある。木にはそれぞれ微妙な性格の違いがあります」。だが、盆栽を人間と同じように扱うことはできないと彼は強調する。「人間は長所と短所をバランスよくもっていなければなりませんが、盆栽の場合、短所と思われる部分は切り落としてしまいます」。</p>
<p>田畑は故郷の鹿児島の高校を卒業後、大宮にやってきた。盆栽愛好家だった父親に背中を押され、日本の盆栽の中心地である大宮に移り住み、盆栽園で働くようになった。盆栽村の成り立ちと盆栽園の数が減った理由はこの地で知ったという。東京の下町に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災。残った盆栽園が東京を離れ、大宮に移り住んだ。「大宮は水と土がよかったし、ほかの地域より少し涼しかったので」と田畑は言う。第二次世界大戦中の度重なる苦難によっても、盆栽園の数は徐々に減っていき、いまやここに10園ほどを残すだけになった。<br />
「どれだけ完璧にコントロールしても、どこか必ずうまく行かないところが出てきます」。盆栽技師の誰もがそうであるように、田畑はいいかげんなところがなく、思慮深い雰囲気をもっている。彼はよく考えてから、こう締めくくった。「だからこそ、盆栽はおもしろいんですよ」。</p>
<p>さいたま市大宮盆栽美術館<br />
埼玉県さいたま市北区土呂町2-24-3<br />
TEL: 048-780-2091<br />
<a href="http://www.bonsai-art-museum.jp" target="_blank">www.bonsai-art-museum.jp</a></p>
<p><em>※この記事は『<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/719542/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.37</a>』に掲載されています。</em><br />
Photography &#038; Text: Cameron Allan Mckean    Coordination: Lucas Badtke-Berkow</p>
<p>※本誌PAPERSKYの連載では、美濃和紙、備前焼、雨畑硯など、日本を再発見するコラムを掲載しています。<br />
記事一覧はこちら &#187; <a href="http://www.papersky.jp/tag/japan/">http://www.papersky.jp/tag/japan/</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/bonsai_museum_02.jpg" alt="" title="bonsai_museum_02" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10768" /></p>
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