DESIGN WALK × YOUR FRIENDS ノルウェー・デザインのいま、そしてこれから
オスロでも日本人を中心に、東日本大震災に対するさまざまな支援の動きがあったという。そのひとつが100人のアーティストによるチャリティポスター展『100のこと、再考』。その想いは海を越え、10月のTOKYO GRAPHIC PASSPORTで『Posters for Japan』展として実現した。そこに招待されていたのが、カールとヘンリックによるデザインユニットYour Friendsだ …»
HELLY HANSEN × PAPERSKY presents Norwegian Culture Journey 北欧ノルウェーの文化にふれるプログラム開催!
HELLY HANSEN × PAPERSKY presents Norwegian Culture Journey 北欧ノルウェーの文化にふれる、プログラム開催! 自然の王国と言われるノルウェーには、豊かな自然が育んだ魅力的な文化やシンプルな暮らしがあります。HELLY HANSENでは、think!キャンペーンのプログラムのひとつとして、ノルウェーの文化にふれるイベントを開催します。ぜひこの機会にHELLY HANSENの故郷、ノルウェーを感じ、自然とともにある暮らしについて考えてみてください! …»
Mette Tronvoll “At Eye Level”
ノルウェー生まれのフォトグラファー、メッテ・トロンボールから写真展の案内が届いた。メッテは、PAPERSKY No.4「チリ・ペッパーのキセキ」(2003年)の表紙写真、そしてNo.2「世界一周インスタント旅行」(2002年)ではグリーンランドの作品を提供するなど、PAPERSKYの初期から関わっている写真家だ。「世界一周インスタント旅行」の誌面で掲載している作品は、彼女がグリーンランドの南にある島、ウナトクの温泉をキャンプしながら巡ったひとり旅の際の写真を集めたもの …»
Natural Digital Sound|ノルウェーの風土が生んだ音楽家|ゲイル・イェンセン
ゲイル・イェンセンは、34日目に登頂に成功した。彼の登山隊で山頂を制覇したのは、彼と、同行したシェルパだけだった。早朝、朝日が東の空を照らしはじめたころ、ゲイルは、世界で6番目に高い標高(8,201m)を誇るチョ・オユーの頂きからはるか彼方のエベレスト山を見つめていた。腰を下ろすと、バックパックを開けてMDとマイクを取り出し、空気の薄い山頂で、風の音、氷雪が砕ける音、そして、自分自身の声を録音した …»
Oslo, August 31st|記憶をたどり、記憶のなかの街をつくる|ヨアヒム・トリアー
「晩夏のオスロでの最高の思い出は、ヴィグドイで泳いだこと。秘密の場所や飛びこみができる崖がたくさんあってね。オスロの街からトラムやバスに乗って15分ほどの場所にあるんだ。よそから来た人には、信じてもらえないけれど…」。
ノルウェーのもっとも高名な映画監督、ヨアヒム・トリアーは、1980〜90年代、オスロで少年時代を送った。ノルウェーは全員が中産階級で、スケートボードを禁じた世界で最初で最後の国。そんな社会の堅苦しさにうんざりしたトリアーと友人たちは、ヒップホップやパンクといったサブカルチャーに魅了され、警察に見つからないように、森のなかにつくったランプで密輸入品のボードを使い、スケートボードに明け暮れたという。オスロは、ストックホルムやコペンハーゲンほど自由で大陸的ではないが、バランスのとれた都市である …»
山から街、街から海へ|自然と一緒の暮らしに求められるプロダクト|ヘリーハンセン
海では、ヨットで世界一周をする“VOLVOオーシャンレース”など、多くのチームにオフィシャルウェアを供給。また他スポーツギアブランドがこぞってアスリートをサポートするなか、北海油田で働く人、ライフセーバーなど過酷な仕事場で働く人たちを積極的にサポートしてきた。一方、“スキーを履いて生まれてきた”といわれるほどウィンタースポーツがさかんなノルウェーは、スキー発祥の国でもある。世界高峰への登頂、北極踏破などで培われたテクノロジーを柱とし、スキーヤーやスノーボーダーをはじめ、山岳ガイドや登山家、冒険家たちのチャレンジに、なくてはならない装備なのだ …»
CONTEMPORARY ART WALK × KARI HIRTH オスロ散歩。ギャラリーと美術館へ、寄り道しよう
世界でもっとも有名な日本人作家、といってもまちがいではないかもしれない。村上春樹がここ、オスロにある文学の家Litteraturhusetを訪れたのは、2010年の8月後半のこと。同氏の数日間の滞在中にはムラカミ・フェスティバルもおこなわれ、ノルウェーではトップニュースのひとつとして取りあげられていたそう。文芸博物館としての機能をもつこの場所の、07年のオープン以前からの長年の夢が、まさに叶ったときだった。そしてそれは同時に、カリにとっても喜ばしいことだった …»



























