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	<title>papersky &#187; asia</title>
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	<description>A DIFFERENT WAY TO TRAVEL</description>
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		<title>Food Culture in Hong Kong 食の民主化</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 00:00:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Darryl Wee</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[food]]></category>
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		<category><![CDATA[hong kong]]></category>
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		<category><![CDATA[香港]]></category>

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		<description><![CDATA[日本と違って、香港はほぼ1年中亜熱帯の気候なので、どんな季節でも街道の脇に乾物屋や屋台ができ、店の軒先と道路の間に、さらに移動式の売店やスタンドがあふれでる。車の騒音、押し売りの声、客のおしゃべり、そしてじわっと蒸し暑い空気に包まれた食料品と屋台料理から出るにおいが、いたるところに浸透し、漂ってきたり、この港町に土着的な「香り」をまぶしたりしている。近年、都市開発が進むにつれて、香港の大牌當（屋台）の姿が街頭からだんだん消え去りつつあり、露天の店が放つ独特な「香り」も、残念ながら薄れていっている。 市街地のオフィス街、中環は、高層ビルが林立するなか、昔ながらの唐楼が残り、 いろんな人の肩がひしめきあうような、乱雑で新旧が入り混じった雰囲気の街。このあたりは坂道が多いため、街並みを坂の勾配や地形の起伏に沿ってつくらざるを得なかったが、建てやすい環境ではないからこそ、どんなに狭くて凹凸のある土地でも、たくみに適用しなくてはいけない。友人に、その地区の商店街のひとつ、Gough Streetにある屋台に連れていかれた。店は、急な勾配に沿ってつくられた階段と、隣に通っている狭い脇道にぎっしり囲まれ、客席もそれによって乱れなくつめこまれている。東京だと路地裏のような場所に近いかもしれないが、のんびりとした長閑なたたずまいではなく、むしろ騒がしく盛りあがる場所なのだ。 たとえば、女性ひとりでも入りやすそうな洒落たダイニングバーだったり、自炊の時間もない独身のサラリーマンにとって救済的な存在であるラーメン屋や牛丼のチェーン店など、いずれにしても無数の系列に分断されがちな東京の外食シーンに慣れ親しんだ僕にとっては、久々の新鮮な体験だった。世界中の料理が究極なレベルで楽しめる東京の唯一負けそうなところは、香港の食にまつわる「民主化」ではないだろうか。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日本と違って、香港はほぼ1年中亜熱帯の気候なので、どんな季節でも街道の脇に乾物屋や屋台ができ、店の軒先と道路の間に、さらに移動式の売店やスタンドがあふれでる。車の騒音、押し売りの声、客のおしゃべり、そしてじわっと蒸し暑い空気に包まれた食料品と屋台料理から出るにおいが、いたるところに浸透し、漂ってきたり、この港町に土着的な「香り」をまぶしたりしている。近年、都市開発が進むにつれて、香港の大牌當（屋台）の姿が街頭からだんだん消え去りつつあり、露天の店が放つ独特な「香り」も、残念ながら薄れていっている<span id="more-10726"></span>。</p>
<p>市街地のオフィス街、中環は、高層ビルが林立するなか、昔ながらの唐楼が残り、 いろんな人の肩がひしめきあうような、乱雑で新旧が入り混じった雰囲気の街。このあたりは坂道が多いため、街並みを坂の勾配や地形の起伏に沿ってつくらざるを得なかったが、建てやすい環境ではないからこそ、どんなに狭くて凹凸のある土地でも、たくみに適用しなくてはいけない。友人に、その地区の商店街のひとつ、Gough Streetにある屋台に連れていかれた。店は、急な勾配に沿ってつくられた階段と、隣に通っている狭い脇道にぎっしり囲まれ、客席もそれによって乱れなくつめこまれている。東京だと路地裏のような場所に近いかもしれないが、のんびりとした長閑なたたずまいではなく、むしろ騒がしく盛りあがる場所なのだ。</p>
<p>たとえば、女性ひとりでも入りやすそうな洒落たダイニングバーだったり、自炊の時間もない独身のサラリーマンにとって救済的な存在であるラーメン屋や牛丼のチェーン店など、いずれにしても無数の系列に分断されがちな東京の外食シーンに慣れ親しんだ僕にとっては、久々の新鮮な体験だった。世界中の料理が究極なレベルで楽しめる東京の唯一負けそうなところは、香港の食にまつわる「民主化」ではないだろうか。</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/club_37_food.jpg" alt="" title="club_37_food" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10727" /></p>
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		<title>東野翠れん新刊『イスラエルに揺れる』</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/11/17/suiren-israel-book/</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Nov 2011 01:22:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TEAM YUM YUM</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
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		<category><![CDATA[photography]]></category>
		<category><![CDATA[イスラエル]]></category>
		<category><![CDATA[東野翠れん]]></category>

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		<description><![CDATA[─ 困難なものを前に、いつも柔らかくありたい。イスラエルが誕生してから今年で63年が経ちました。そして、戦争や紛争、殉教が繰り返されてきた歴史は現在に至ります。今わたしは日本にいます。2011年3月11日を経験してから、新しい目を、鼻を、耳を必要としている、そんな感覚があります。それはもしかしたら、イスラエルを歩くときに必要とする、目や鼻や耳に、どことなく似ているかもしれない ─ （『イスラエルに揺れる』より） 写真家・モデルとして活躍する東野翠れんさんが、幼い頃から何度も訪れているイスラエルについての思い出を綴った一冊『イスラエルに揺れる』（リトルモア）。日本人の父、イスラエル人の母のもとに生まれた翠れんさんが、戦時下の長く続くイスラエルで日常を生きる家族や友人のこと、美しい自然と人々のありさまを瑞々しい言葉で綴っている。家族のこと、サフタ（おばあちゃん）との思い出、友人と過ごした美しい海辺や街角の風景。それらの背後には戦地であることと切り離せない記憶もある。それでも、どんな状況の中でも揺らぐことのない世界の美しさを、翆れんさんの文章は伝えてくれる。 「この国には、想像し得ない憎しみがあるのでしょうか、また、想像し得ない憎しみに囲まれている国なのでしょうか。どんなものが疼いているとしても、それ以上に、この国は美しいと思います。戦いを生むどんな思いよりも、美しさの方が大きいことに気がついて、その美しいものに乗ってどこまでもいったらいいのに、と思うことさえあります」（同書より） 東野翠れん著『イスラエルに揺れる』（リトルモア） 2011年10月28日発行 http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=819 旅のあちこちでふとなにかを思いだしたようにカメラを構え、パチッとシャッターを切る翠れんさん。その人やモノがもっている光、放っている光を写真に写しこむ。そうして撮られた写真は、柔らかで、温かくて、ほのぼのしていて、見ているだけで幸せな気持ちになってくる。PAPERSKYの旅のナビゲーターとして、デンマークを自転車で旅した翠れんさんの特集はこちら。 『PAPERSKY』31号 デンマーク特集号：紙版｜デジタル版： ※ デジタル版は、こちらから1冊まるごとフリーダウンロードできます。 http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281680322/free]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>─ 困難なものを前に、いつも柔らかくありたい。イスラエルが誕生してから今年で63年が経ちました。そして、戦争や紛争、殉教が繰り返されてきた歴史は現在に至ります。今わたしは日本にいます。2011年3月11日を経験してから、新しい目を、鼻を、耳を必要としている、そんな感覚があります。それはもしかしたら、イスラエルを歩くときに必要とする、目や鼻や耳に、どことなく似ているかもしれない ─ （『イスラエルに揺れる』より）<span id="more-10582"></span></p>
<p>写真家・モデルとして活躍する東野翠れんさんが、幼い頃から何度も訪れているイスラエルについての思い出を綴った一冊『イスラエルに揺れる』（リトルモア）。日本人の父、イスラエル人の母のもとに生まれた翠れんさんが、戦時下の長く続くイスラエルで日常を生きる家族や友人のこと、美しい自然と人々のありさまを瑞々しい言葉で綴っている。家族のこと、サフタ（おばあちゃん）との思い出、友人と過ごした美しい海辺や街角の風景。それらの背後には戦地であることと切り離せない記憶もある。それでも、どんな状況の中でも揺らぐことのない世界の美しさを、翆れんさんの文章は伝えてくれる。</p>
<p>「この国には、想像し得ない憎しみがあるのでしょうか、また、想像し得ない憎しみに囲まれている国なのでしょうか。どんなものが疼いているとしても、それ以上に、この国は美しいと思います。戦いを生むどんな思いよりも、美しさの方が大きいことに気がついて、その美しいものに乗ってどこまでもいったらいいのに、と思うことさえあります」（同書より） </p>
<p>東野翠れん著『イスラエルに揺れる』（リトルモア）<br />
2011年10月28日発行<br />
<a href="http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=819" target="_blank">http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=819</a></p>
<p>旅のあちこちでふとなにかを思いだしたようにカメラを構え、パチッとシャッターを切る翠れんさん。その人やモノがもっている光、放っている光を写真に写しこむ。そうして撮られた写真は、柔らかで、温かくて、ほのぼのしていて、見ているだけで幸せな気持ちになってくる。PAPERSKYの旅のナビゲーターとして、デンマークを自転車で旅した翠れんさんの特集はこちら。</p>
<p>『PAPERSKY』31号 デンマーク特集号：<a href="http://www.fujisan.co.jp/product/1281680322/b/276098/ap-kneehighmedia" target="_blank">紙版</a>｜<a href="http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281680322/b/276098/ap-kneehighmedia" target="_blank">デジタル版</a>：</p>
<p>※ デジタル版は、こちらから1冊まるごとフリーダウンロードできます。<br />
<a href="http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281680322/free" target="_blank">http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281680322/free</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/11/suiren_01.jpg" alt="" title="suiren_01" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10583" /></p>
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		<title>津田直 個展『REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”』</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/10/27/tsuda-reborn-tulkus-mountain-scene-1/</link>
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		<pubDate>Thu, 27 Oct 2011 00:52:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>PAPERSKY</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[event]]></category>
		<category><![CDATA[photography]]></category>
		<category><![CDATA[津田直]]></category>

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		<description><![CDATA[ファインダーを通して古代より綿々とつづく人と自然との関わりを翻訳しつづけている写真家・津田直。 10日29日（土）より、hiromiyoshii にて個展『REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”』 が開催される。2008年資生堂ギャラリーにて開催された個展 『SMOKE LINE』 では芸術選奨文部科学大臣新人賞（美術部門）を受賞した。 世界を旅し、風景や場所、人と出会い、それらを被写体とするが、それは「写真という装置」を駆使し、「時空を超えたイメージ」、あるいは「イメージの起源」を獲得する作業と言える。その津田が近年フィールドワークを繰り返しているのは仏教圏である。今回の個展では二度に渡り訪れているヒマラヤの王国・ブータンにて撮影された、下垂するサルオガセや仏塔、濃霧に佇む立ち木、深奥に暮らす僧侶のポートレイト作品などを展示。 作家曰く、新作の完成までには数年を要するとしており、今秋は第一章「トゥルクの山」としての発表となる。 時代が益々近代社会の波に呑み込まれつつある今日、あえて旅にカメラとフイルムという至って簡素な装備とアナログな手法を軸として、フィールドへ挑む津田。 その先に浮かび上がる風景は我々にいかなる視線を投げかけているのでしょうか。 津田直 『REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”』 会期：2011年10月29日（土） － 11月26日（土） 12:00～19:00　 日月祝休廊 Reception for the Artist： 10月29日（土） 18:00～20:00 会場：hiromiyoshii 住所：東京都江東区清澄1-3-2-6F Tel: 03-5620-0555 URL: http://www.hiromiyoshii.com 　 また、成安造形大学内ギャラリーアートサイトでは、奥琵琶湖を舞台に制作した作品シリーズを展示する個展『漕 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/10/27/tsuda-reborn-tulkus-mountain-scene-1/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ファインダーを通して古代より綿々とつづく人と自然との関わりを翻訳しつづけている写真家・津田直。 10日29日（土）より、hiromiyoshii にて個展『REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”』 が開催される。2008年資生堂ギャラリーにて開催された個展 『SMOKE LINE』 では芸術選奨文部科学大臣新人賞（美術部門）を受賞した。 世界を旅し、風景や場所、人と出会い、それらを被写体とするが、それは「写真という装置」を駆使し、「時空を超えたイメージ」、あるいは「イメージの起源」を獲得する作業と言える<span id="more-10420"></span>。その津田が近年フィールドワークを繰り返しているのは仏教圏である。今回の個展では二度に渡り訪れているヒマラヤの王国・ブータンにて撮影された、下垂するサルオガセや仏塔、濃霧に佇む立ち木、深奥に暮らす僧侶のポートレイト作品などを展示。 作家曰く、新作の完成までには数年を要するとしており、今秋は第一章「トゥルクの山」としての発表となる。<br />
時代が益々近代社会の波に呑み込まれつつある今日、あえて旅にカメラとフイルムという至って簡素な装備とアナログな手法を軸として、フィールドへ挑む津田。 その先に浮かび上がる風景は我々にいかなる視線を投げかけているのでしょうか。</p>
<p>津田直 『REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”』<br />
会期：2011年10月29日（土） － 11月26日（土）  12:00～19:00　 日月祝休廊<br />
Reception for the Artist： 10月29日（土） 18:00～20:00<br />
会場：hiromiyoshii<br />
住所：東京都江東区清澄1-3-2-6F<br />
Tel: 03-5620-0555<br />
URL: <a href="http://www.hiromiyoshii.com" target="_blank">http://www.hiromiyoshii.com</a></p>
<p>　<br />
また、成安造形大学内ギャラリーアートサイトでは、奥琵琶湖を舞台に制作した作品シリーズを展示する個展『漕 －そでの中の話－』が開催されています。会場には写真作品をはじめ、写真を和紙に印刷し制作された掛軸、写真を近江雁皮紙で包み発表された作品などが展示され、作家の風景論を展開します。また、会期中には津田と親交の篤い華道家・片桐功敦（主水書房主宰）<br />
を迎えて室礼（しつらい）、対談なども開催します。</p>
<p>ギャラリーアートサイト／招聘作家の展覧会<br />
津田直『漕 －そでの中の話－』<br />
会期：2011年11月11日（金）～11月27日（日）　11月15、16日休館<br />
時間：12:00～18:00　※19日のみ19:00まで<br />
会場：成安造形大学【キャンパスが美術館】内、ギャラリーアートサイト<br />
住所：滋賀県大津市仰木の里東4-3-1<br />
Tel：077-574-2111<br />
URL：<a href="http://www.seian.ac.jp/gallery" target="_blank">http://www.seian.ac.jp/gallery</a><br />
詳細ページ：<a href="http://www.seian.ac.jp/gallery/event/164/" target="_blank">http://www.seian.ac.jp/gallery/event/164/</a></p>
<p>　<br />
津田直（つだなお）<br />
1976年神戸生まれ。ファインダーを通して古代より綿々とつづく人と自然との関わりを翻訳しつづけている写真家。2001年より国内外で多数の展覧会を中心に活動。2010年、芸術選奨文部科学大臣新人賞（美術部門）受賞。作品集に　『漕』（主水書房）、『SMOKE LINE』（赤々舎）、『近づく』（AKAAKA+hiromiyoshii）、『Storm Last Night』（赤々舎）等。<a href="http://www.tsudanao.com" target="_blank">http://www.tsudanao.com</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/10/tsudanao.jpg" alt="" title="tsudanao" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-10421" /></p>
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		<title>旅の達成感に通じるもの｜アルボムッレ・スマナサーラ</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/10/07/ven-alubomulle-sumanasara/</link>
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		<pubDate>Fri, 07 Oct 2011 00:00:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>PAPERSKY</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[sri lanka]]></category>

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		<description><![CDATA[スリランカ上座仏教（テーラワーダ仏教）の僧侶であるアルボムッレ・スマサーラ長老は、初期仏教の伝道、ヴィパッサナー瞑想の指導を日本で行っている。講演会や数々の著作、瞑想会の実施など、長老はお釈迦さまの言葉を通じて、仏教が現代社会を生きるうえで実践できる教えであることを広く伝えている。仏教というのは、教徒に「信仰」を求めるほかの宗教とは異なるということ。いまこの場で役に立つ、現在を幸福に生きるための教えであること。科学的で精密な論理に基づく仏教の瞑想には、無心で歩を前へと進めるひとり旅と類似点があるのではないだろうか？　文化の垣根を越え、さまざまな国で普遍的なお釈迦さまの言葉を伝える長老に、その教えの本質について話を聞いた。 仏教の歴史が根づいた国からの来日 ──スリランカでお生まれになって、熱心な仏教国ではない日本に来られて、文化的な壁を感じるなどの苦労はありましたか？ 「呼吸をするように当たり前のこととしてスリランカで仏教を学んできた私にとって、日本で仏教を教えることになったのは、かつてない挑戦でした。日本では、仏教があったとしても大乗仏教で、それも一般とは離れた別の世界です。そして一般的には、アメリカやヨーロッパのものが貴いと思われていて、アジアのものをとくに好まない傾向があるでしょ？　この極限までにスリランカと異なる環境で、自分が何を語ることができるのか、それがどれだけの挑戦だかわかりますか？　でも、なんてことなくできてしまうんです。仏教の教えを学んで、実践していけば、誰とでも仲良くなれますし、どこでも生活できていけるという自信につながるわけですから」 ──スリランカに根づいた仏教の教えに子供のころから慣れ親しんできたことで、環境に関わらず揺るぐことがないということですね。 「スリランカは紀元前200年のころから仏教国です。大変歴史が長い。だから我々にとって、『スリランカ人の考え』と『仏教』は同義語のようなものなんです。模範となるのはお釈迦さまの教えですから、昔から変わりません。その仏教というのはものすごい哲学です。ただ、いわゆる哲学者にとっての哲学と違うのが、『このような生き方で幸せになることができるんだよ』と、日ごろの生活で具体的に実践できる方法を教えてくれることです。そして、ほかの宗教にあるような、迷信みたいな信仰はありません。神さまのいうことを聞きなさいと束縛するわけではなく、その教えを納得できるまで反論を繰り返して、人間を中心に喋り、考えるものです。これほど人々に自由を与える教えはありません。仏教においては、自分が主人なんです。どんな環境に行っても自分を管理するのは自分ですから、そこでやるべきことをやっていれば、困ることなどありません」 仏教が約束する自由と平等 ──政治と宗教が結びつくと、その自由が奪われてしまうことがあります。仏教の教えを実践することと、ある政治の仕組みがある現実社会を生きることとに隔たりを感じることはありませんか？ 「まず大前提として、仏教は非暴力の思想ですから、政治に暴力で抵抗することはありません。それと、我々は現実社会で教えを実践する現実主義者ですから、その時代の政府がやっていることは、まあ素直に聞いてあげる（笑）。もしあまりにひどいことをやる政府だったら、何がしかの手段で倒そうとする。だから、スリランカでは選挙があるたびに政府が替わります（笑）。仏教から見れば、現在の政治制度としての民主主義は本当の民主主義ではありません。政治に支配された状態で、人間が自由を獲得することなんてできません。そうした現実社会で、暴力なしに民主的な世界を作る教えを伝えようとするのが、仏教の優れた点です」 ──ですが、仏教国のミャンマーでも、軍事独裁政権が敷かれ、人々が弾圧されています。 「それは非常に難しい問題です。ミャンマーの国民はとても優しくて立派なんですが、その優しさが仇になっているといえます。実際のところ、軍事政権といえば世界のどこも認めていないでしょ？　だけど、その政権の人々がお寺や瞑想道場に行ったりして、『仏教を守っているんだぞ』と国民に示しているんですね。それは自分の立場を、自分の命を守るためなんですが、そういった態度を示されると一般の仏教徒は反対運動を起こしにくい。以前、私もミャンマーで瞑想の指導をしたことがあるんですが、お寺の周りに軍隊や警察の警備の人が大勢集まって、異様な状態になっていたことがあります。お寺の人に聞いたら、軍の指導者と大臣が瞑想をするためにやってくるということだったんですね。だけど、その政府の偉い人たちも道場に入ったら、一般の人と同じ服を着て、同じご飯を食べて修行するわけです。そうなってくるとちょっと難しい。同じ仏教徒だ、という兄弟意識が生まれますからね」 ──自分たちの自由を奪う兄弟、というのは国民にとってとても複雑な相手です。 「私は基本的に、政治的なことを話す立場の人間ではありませんが、だけど仏教は世の中を観察するのでもう少し話させてもらいます。ミャンマーは軍事政権で、しかも長い間、その独裁が続いています。最近、珍しく暴動が起こって何名かが亡くなりましたが、でも、イラクやパレスチナのように、毎日のように死者が出ることはありませんよね。とにかくギリギリまで平和な手段で、民主主義的な世界を生み出そうというのが仏教の根本にあるから、あのミャンマーにおいても惨事が起こりにくいのです」 ──非暴力の思想が無条件に成立することで、そのミャンマーのように苦しむ人もいるわけですよね。非暴力の背景となる思想について教えてください。 「すべての生命は平等、という考えです。一神教の神さまのように、いうことを聞き入れさせるだけで反論を許さず、束縛するような親分は仏教には存在しません。仏教は対話の世界です。犬や猫や虫は話さないけど、どんな生命にも平等に生きる権利がある、ということを仏教は知っているのです」 ヴィパッサナー瞑想の科学性 ──自分の動作を頭で把握して、動作によって起こる感覚の変化を感じ取るヴィパッサナー瞑想の目的は、自分を知ることだと考えて問題ないですか？ 「ええ、基本的には、自分の組織を細かく分解して、物体は物体として、精神は精神として、それぞれの機能を理解するための分析がヴィパッサナー瞑想です。要するに、自分というシステムの勉強です。もし、車を小さなネジの１本まですべてをバラして、ひとつひとつの機能を知って組み立て直せたら、その人は車のシステムを完全に理解したことになるでしょ？　それと同じです。生きているのは自分。正しく生きていくために、自分を正確に理解する必要があるのは明白なことです」 ──神によって創られた存在としてではなく、現実を生きる人間として自分を把握するのですね。 「神さまなんてインチキは休み休みいってほしいですよ（笑）。そんな証拠もないことを信じてしまうのは、まず自分を知らないからそう考えてしまうわけでしょ？　自分を産んでくれたのは親であって、なにかあったときに手助けしてくれるのは母親と父親です。それなら、神さまのいうことを聞くのではなく、両親のいうことを聞くべきでしょ？　無条件で自分を心配してくれるのが両親なんだから、もし親のいうことに逆らったらひどい目に遭いますよ」 ──科学的な物事の見方が大前提なんですね。 「ここに私が生きていることは自分でも認識できるハッキリした事実ですし、私が悪いことをしたら私に跳ね返ってくる。とても単純なことです。自分の生き方次第で、人生の結果が出てくるわけです。そうすると、『私とは何なのか分析してみよう』となり、それを追求すると、どんな生命も平等で同じ機能を持って生きていることがわかってくる。自分を知ることで、あらゆる生命を知ることになる。そうすると、生きとし生けるものの生命を平等にとらえると同時に、神の存在が消えてしまいます。何にも支配されていないことがわかりますからね」 ──自分を分析して、理解するというプロセスは、本当に科学的な研究のようです。 「ものを調べるというのは、仏教的な習慣なんです。私が６歳ぐらいのとき、蓄音機が家にあったんですね。父親は修理が得意でしたから、どこかで壊れると家に持ってきて、直してあげていました。部品をひとつひとつまでバラして、修理してまた組み立て直す。そして、大事そうにレコードをかけるんです。どうして音楽が流れるのか、私は不思議で仕方なかった。蓄音機は壊れても修理できるから、いくら触っても父親は何もいわないんですね。そこで、あの黒い円盤になにか秘密があると考えました。でも大事にしまっていて、父は触らせてくれません。あるとき見ることができたんですが、溝にはどうやら何もない。中央のラベルが怪しいと思った。一生懸命はがそうとしても、ガッチリついていてとてもはがれない。なおさら怪しいでしょ（笑）？　それから少したって、知り合いの家でついに割れたレコードを見つけて、両面のラベルの間の部分が見えたけど、でも何もなかった。それからまた調べたら、針を触ると音が出て、それを溝に置いて回すと音楽が流れると６歳にして発見しちゃったんです。自分のことを何も知らない場合は、自分たるものに何かある、神さまに支配されている、と思っちゃうでしょ？やっぱり研究しなくちゃいけないんですよ」 瞬間ごとの達成感が幸福へ ──いまという瞬間に注意を集中して、いまここにいる自分に気づくというヴィパッサナー瞑想でなにかを発見することは、ひとり旅で自分の世界に洞察を働かせることと似ている気がします。 「知らないことは怖いというか、不安なんですね。だから我々は、発見するために探検をする。旅も同じですね。全然言葉が通じない人に出会ったら、どうやってコミュニケーションをとるか考えて、自分が知りたいことを知ろうとします。自分なりの発見を求めて、とにかく成功させるためにその瞬間ごとを一生懸命に生きるわけです」 ──遠い先の目標を目指すのではなく、瞬間ごとに集中するのが重要なんですね。 「目標を設定してもいいですけど、妄想にとらわれてはいけない。いま何をやるのかが重要ですから。だって、いまの瞬間を生きているわけでしょ？　受験や仕事などで悩んでしまう人もいますが、日々、１分単位で挑戦をしていたらいいんです。今日１日を頑張ったら、充実感で終わるでしょ？　そうしたらまた明日も頑張るでしょうに。時間はずっと進むものであって、停止しません。だから、いまするべき挑戦をすれば、それでいい。我々は時間をとても無駄に使っています。妄想ばっかりだから。きちんと時間を使わないといけません」 ──妄想を消し去ることも、自分を観察する瞑想で可能になるわけですね。 「タバコがやめられなかったり、勉強に集中できなかったりするのも妄想があるからで、その原因を取り除けばすぐに変われます。心のトラブルですよ。妄想を続けるんではなく、研究すればいいんです。妄想がなければ、欲も怒りも憎しみも嫉妬も悲しみも悩みも生まれません。すべて妄想の結果ですから。事件が起こったり、悩む人が多い現代には、論理的で科学的な仏教のような教えが必要です。お釈迦さまの言葉を理解し、本人の意思で考えることができたら明るく幸せに生きることができるんです」 ──不快感やストレスを引き起こすような外的な要因も、妄想に過ぎないんですか？ 「科学的に見ると、自分の体に何かの情報が触れてるだけ。その刺激で、情報そのものを知ろうとせずに妄想しているだけです。仮に同じものを３人が見たとして、３人がそれぞれ何かを感じたとしたら、それは主観が現れているからにすぎません。主観はあくまで主観であって、事実ではありません。情報そのものを冷静に見ることができれば、ほとんどの問題を解決することができますよ」 ──主観と妄想。すべて、自分を知ることとつながっているんですね。 「だから、自分を知ることで無我を発見できるんです。つまり、いろいろと研究することで、発見するだけに過ぎません。自我がなくなるわけではなく、自我なんて最初からないということに気づくのです。自我があるという錯覚があるから、苦しむんですよ。その錯覚が消えると同時に人が変わって、いつでも淀みが無くて、明るくて、軽くて、活発で、瞬時に判断できる心を持つことができるんです」 ──それが解脱ということですか？ 「自分を完全に理解して、無我を発見することは問題の最終解決になります。最終的な答を見つけることがつまり、解脱や涅槃です。なすべくことはなし終えた、という勝利の宣言のようなものです。人生を左右する業のはたらきもありますから、すぐにすべてを理解することは簡単ではありませんが、真剣に瞑想を行えば、どんな人でも幸せな道を自分で築くことができるんです」 ──そうして幸せになるために、瞬間ごとを大切に生きていくわけですね。 「『幸せ』という言葉を正確に定義することができますか？　例えば、結婚ができるかどうか、家を建てられるかどうか、というような一時的なことではなく、もっと人類誰もが獲得できる普遍的なものであるはずです。それが何かというと、自分が挑戦したことを成功させ、達成感を得られるかどうかです。我々は毎日、いろいろな問題にぶつかりますが、その都度、解決すればいいんです。その達成感が幸せなんですよ。全然特別なことではなくて、日々の生き方そのものに幸せがあるんです。いまの瞬間を幸せになってください。そうすれば、次の瞬間も幸せになれますよね。その瞬間ごとを幸せに生きるための方法を教えてくれるのが、仏教なんです」 　 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/10/07/ven-alubomulle-sumanasara/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>スリランカ上座仏教（テーラワーダ仏教）の僧侶であるアルボムッレ・スマサーラ長老は、初期仏教の伝道、ヴィパッサナー瞑想の指導を日本で行っている。講演会や数々の著作、瞑想会の実施など、長老はお釈迦さまの言葉を通じて、仏教が現代社会を生きるうえで実践できる教えであることを広く伝えている。仏教というのは、教徒に「信仰」を求めるほかの宗教とは異なるということ。いまこの場で役に立つ、現在を幸福に生きるための教えであること。科学的で精密な論理に基づく仏教の瞑想には、無心で歩を前へと進めるひとり旅と類似点があるのではないだろうか？　文化の垣根を越え、さまざまな国で普遍的なお釈迦さまの言葉を伝える長老に、その教えの本質について話を聞いた。<span id="more-9730"></span></p>
<p><strong>仏教の歴史が根づいた国からの来日</strong></p>
<p>──スリランカでお生まれになって、熱心な仏教国ではない日本に来られて、文化的な壁を感じるなどの苦労はありましたか？<br />
「呼吸をするように当たり前のこととしてスリランカで仏教を学んできた私にとって、日本で仏教を教えることになったのは、かつてない挑戦でした。日本では、仏教があったとしても大乗仏教で、それも一般とは離れた別の世界です。そして一般的には、アメリカやヨーロッパのものが貴いと思われていて、アジアのものをとくに好まない傾向があるでしょ？　この極限までにスリランカと異なる環境で、自分が何を語ることができるのか、それがどれだけの挑戦だかわかりますか？　でも、なんてことなくできてしまうんです。仏教の教えを学んで、実践していけば、誰とでも仲良くなれますし、どこでも生活できていけるという自信につながるわけですから」</p>
<p>──スリランカに根づいた仏教の教えに子供のころから慣れ親しんできたことで、環境に関わらず揺るぐことがないということですね。<br />
「スリランカは紀元前200年のころから仏教国です。大変歴史が長い。だから我々にとって、『スリランカ人の考え』と『仏教』は同義語のようなものなんです。模範となるのはお釈迦さまの教えですから、昔から変わりません。その仏教というのはものすごい哲学です。ただ、いわゆる哲学者にとっての哲学と違うのが、『このような生き方で幸せになることができるんだよ』と、日ごろの生活で具体的に実践できる方法を教えてくれることです。そして、ほかの宗教にあるような、迷信みたいな信仰はありません。神さまのいうことを聞きなさいと束縛するわけではなく、その教えを納得できるまで反論を繰り返して、人間を中心に喋り、考えるものです。これほど人々に自由を与える教えはありません。仏教においては、自分が主人なんです。どんな環境に行っても自分を管理するのは自分ですから、そこでやるべきことをやっていれば、困ることなどありません」</p>
<p><strong>仏教が約束する自由と平等</strong></p>
<p>──政治と宗教が結びつくと、その自由が奪われてしまうことがあります。仏教の教えを実践することと、ある政治の仕組みがある現実社会を生きることとに隔たりを感じることはありませんか？<br />
「まず大前提として、仏教は非暴力の思想ですから、政治に暴力で抵抗することはありません。それと、我々は現実社会で教えを実践する現実主義者ですから、その時代の政府がやっていることは、まあ素直に聞いてあげる（笑）。もしあまりにひどいことをやる政府だったら、何がしかの手段で倒そうとする。だから、スリランカでは選挙があるたびに政府が替わります（笑）。仏教から見れば、現在の政治制度としての民主主義は本当の民主主義ではありません。政治に支配された状態で、人間が自由を獲得することなんてできません。そうした現実社会で、暴力なしに民主的な世界を作る教えを伝えようとするのが、仏教の優れた点です」</p>
<p>──ですが、仏教国のミャンマーでも、軍事独裁政権が敷かれ、人々が弾圧されています。<br />
「それは非常に難しい問題です。ミャンマーの国民はとても優しくて立派なんですが、その優しさが仇になっているといえます。実際のところ、軍事政権といえば世界のどこも認めていないでしょ？　だけど、その政権の人々がお寺や瞑想道場に行ったりして、『仏教を守っているんだぞ』と国民に示しているんですね。それは自分の立場を、自分の命を守るためなんですが、そういった態度を示されると一般の仏教徒は反対運動を起こしにくい。以前、私もミャンマーで瞑想の指導をしたことがあるんですが、お寺の周りに軍隊や警察の警備の人が大勢集まって、異様な状態になっていたことがあります。お寺の人に聞いたら、軍の指導者と大臣が瞑想をするためにやってくるということだったんですね。だけど、その政府の偉い人たちも道場に入ったら、一般の人と同じ服を着て、同じご飯を食べて修行するわけです。そうなってくるとちょっと難しい。同じ仏教徒だ、という兄弟意識が生まれますからね」</p>
<p>──自分たちの自由を奪う兄弟、というのは国民にとってとても複雑な相手です。<br />
「私は基本的に、政治的なことを話す立場の人間ではありませんが、だけど仏教は世の中を観察するのでもう少し話させてもらいます。ミャンマーは軍事政権で、しかも長い間、その独裁が続いています。最近、珍しく暴動が起こって何名かが亡くなりましたが、でも、イラクやパレスチナのように、毎日のように死者が出ることはありませんよね。とにかくギリギリまで平和な手段で、民主主義的な世界を生み出そうというのが仏教の根本にあるから、あのミャンマーにおいても惨事が起こりにくいのです」</p>
<p>──非暴力の思想が無条件に成立することで、そのミャンマーのように苦しむ人もいるわけですよね。非暴力の背景となる思想について教えてください。<br />
「すべての生命は平等、という考えです。一神教の神さまのように、いうことを聞き入れさせるだけで反論を許さず、束縛するような親分は仏教には存在しません。仏教は対話の世界です。犬や猫や虫は話さないけど、どんな生命にも平等に生きる権利がある、ということを仏教は知っているのです」</p>
<p><strong>ヴィパッサナー瞑想の科学性</strong></p>
<p>──自分の動作を頭で把握して、動作によって起こる感覚の変化を感じ取るヴィパッサナー瞑想の目的は、自分を知ることだと考えて問題ないですか？<br />
「ええ、基本的には、自分の組織を細かく分解して、物体は物体として、精神は精神として、それぞれの機能を理解するための分析がヴィパッサナー瞑想です。要するに、自分というシステムの勉強です。もし、車を小さなネジの１本まですべてをバラして、ひとつひとつの機能を知って組み立て直せたら、その人は車のシステムを完全に理解したことになるでしょ？　それと同じです。生きているのは自分。正しく生きていくために、自分を正確に理解する必要があるのは明白なことです」</p>
<p>──神によって創られた存在としてではなく、現実を生きる人間として自分を把握するのですね。<br />
「神さまなんてインチキは休み休みいってほしいですよ（笑）。そんな証拠もないことを信じてしまうのは、まず自分を知らないからそう考えてしまうわけでしょ？　自分を産んでくれたのは親であって、なにかあったときに手助けしてくれるのは母親と父親です。それなら、神さまのいうことを聞くのではなく、両親のいうことを聞くべきでしょ？　無条件で自分を心配してくれるのが両親なんだから、もし親のいうことに逆らったらひどい目に遭いますよ」</p>
<p>──科学的な物事の見方が大前提なんですね。<br />
「ここに私が生きていることは自分でも認識できるハッキリした事実ですし、私が悪いことをしたら私に跳ね返ってくる。とても単純なことです。自分の生き方次第で、人生の結果が出てくるわけです。そうすると、『私とは何なのか分析してみよう』となり、それを追求すると、どんな生命も平等で同じ機能を持って生きていることがわかってくる。自分を知ることで、あらゆる生命を知ることになる。そうすると、生きとし生けるものの生命を平等にとらえると同時に、神の存在が消えてしまいます。何にも支配されていないことがわかりますからね」</p>
<p>──自分を分析して、理解するというプロセスは、本当に科学的な研究のようです。<br />
「ものを調べるというのは、仏教的な習慣なんです。私が６歳ぐらいのとき、蓄音機が家にあったんですね。父親は修理が得意でしたから、どこかで壊れると家に持ってきて、直してあげていました。部品をひとつひとつまでバラして、修理してまた組み立て直す。そして、大事そうにレコードをかけるんです。どうして音楽が流れるのか、私は不思議で仕方なかった。蓄音機は壊れても修理できるから、いくら触っても父親は何もいわないんですね。そこで、あの黒い円盤になにか秘密があると考えました。でも大事にしまっていて、父は触らせてくれません。あるとき見ることができたんですが、溝にはどうやら何もない。中央のラベルが怪しいと思った。一生懸命はがそうとしても、ガッチリついていてとてもはがれない。なおさら怪しいでしょ（笑）？　それから少したって、知り合いの家でついに割れたレコードを見つけて、両面のラベルの間の部分が見えたけど、でも何もなかった。それからまた調べたら、針を触ると音が出て、それを溝に置いて回すと音楽が流れると６歳にして発見しちゃったんです。自分のことを何も知らない場合は、自分たるものに何かある、神さまに支配されている、と思っちゃうでしょ？やっぱり研究しなくちゃいけないんですよ」</p>
<p><strong>瞬間ごとの達成感が幸福へ</strong></p>
<p>──いまという瞬間に注意を集中して、いまここにいる自分に気づくというヴィパッサナー瞑想でなにかを発見することは、ひとり旅で自分の世界に洞察を働かせることと似ている気がします。<br />
「知らないことは怖いというか、不安なんですね。だから我々は、発見するために探検をする。旅も同じですね。全然言葉が通じない人に出会ったら、どうやってコミュニケーションをとるか考えて、自分が知りたいことを知ろうとします。自分なりの発見を求めて、とにかく成功させるためにその瞬間ごとを一生懸命に生きるわけです」</p>
<p>──遠い先の目標を目指すのではなく、瞬間ごとに集中するのが重要なんですね。<br />
「目標を設定してもいいですけど、妄想にとらわれてはいけない。いま何をやるのかが重要ですから。だって、いまの瞬間を生きているわけでしょ？　受験や仕事などで悩んでしまう人もいますが、日々、１分単位で挑戦をしていたらいいんです。今日１日を頑張ったら、充実感で終わるでしょ？　そうしたらまた明日も頑張るでしょうに。時間はずっと進むものであって、停止しません。だから、いまするべき挑戦をすれば、それでいい。我々は時間をとても無駄に使っています。妄想ばっかりだから。きちんと時間を使わないといけません」</p>
<p>──妄想を消し去ることも、自分を観察する瞑想で可能になるわけですね。<br />
「タバコがやめられなかったり、勉強に集中できなかったりするのも妄想があるからで、その原因を取り除けばすぐに変われます。心のトラブルですよ。妄想を続けるんではなく、研究すればいいんです。妄想がなければ、欲も怒りも憎しみも嫉妬も悲しみも悩みも生まれません。すべて妄想の結果ですから。事件が起こったり、悩む人が多い現代には、論理的で科学的な仏教のような教えが必要です。お釈迦さまの言葉を理解し、本人の意思で考えることができたら明るく幸せに生きることができるんです」</p>
<p>──不快感やストレスを引き起こすような外的な要因も、妄想に過ぎないんですか？<br />
「科学的に見ると、自分の体に何かの情報が触れてるだけ。その刺激で、情報そのものを知ろうとせずに妄想しているだけです。仮に同じものを３人が見たとして、３人がそれぞれ何かを感じたとしたら、それは主観が現れているからにすぎません。主観はあくまで主観であって、事実ではありません。情報そのものを冷静に見ることができれば、ほとんどの問題を解決することができますよ」</p>
<p>──主観と妄想。すべて、自分を知ることとつながっているんですね。<br />
「だから、自分を知ることで無我を発見できるんです。つまり、いろいろと研究することで、発見するだけに過ぎません。自我がなくなるわけではなく、自我なんて最初からないということに気づくのです。自我があるという錯覚があるから、苦しむんですよ。その錯覚が消えると同時に人が変わって、いつでも淀みが無くて、明るくて、軽くて、活発で、瞬時に判断できる心を持つことができるんです」</p>
<p>──それが解脱ということですか？<br />
「自分を完全に理解して、無我を発見することは問題の最終解決になります。最終的な答を見つけることがつまり、解脱や涅槃です。なすべくことはなし終えた、という勝利の宣言のようなものです。人生を左右する業のはたらきもありますから、すぐにすべてを理解することは簡単ではありませんが、真剣に瞑想を行えば、どんな人でも幸せな道を自分で築くことができるんです」</p>
<p>──そうして幸せになるために、瞬間ごとを大切に生きていくわけですね。<br />
「『幸せ』という言葉を正確に定義することができますか？　例えば、結婚ができるかどうか、家を建てられるかどうか、というような一時的なことではなく、もっと人類誰もが獲得できる普遍的なものであるはずです。それが何かというと、自分が挑戦したことを成功させ、達成感を得られるかどうかです。我々は毎日、いろいろな問題にぶつかりますが、その都度、解決すればいいんです。その達成感が幸せなんですよ。全然特別なことではなくて、日々の生き方そのものに幸せがあるんです。いまの瞬間を幸せになってください。そうすれば、次の瞬間も幸せになれますよね。その瞬間ごとを幸せに生きるための方法を教えてくれるのが、仏教なんです」</p>
<p>　<br />
アルボムッレ・スマナサーラ<br />
1945年、スリランカ生まれ。テーラワーダ仏教（スリランカ上座仏教）長老。13歳で出家し、スリランカの国立大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、1980年に研究のために来日。1994年に日本テーラワーダ仏教協会を設立し、2001年に<a href="http://www.j-theravada.net/gotami.html" target="_blank">ゴータミー精舎</a>を開基。現在はゴータミー精舎を拠点に、初期仏教の伝道、ヴィパッサナー瞑想の指導に従事している。おもな著書に『結局は自分のことを何も知らない』『怒らないこと—役立つ初期仏教法話（１）』『ブッダの幸福論』『現代人のための瞑想法』『希望のしくみ』（養老孟司との共著）など。</p>
<p>　<br />
このインタビューは、<a href="http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680322/b/189729/ap-kneehighmedia" target="_blank">Papersky No.25</a> (2008)に掲載されています。<br />
インタビュー＆構成：中島良平　写真：相田晴美<br />
Interview &#038; Text: Ryohei Nakajima   Photography: Harumi Aida</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/09/vas.jpg" alt="" title="vas" width="528" height="351" class="alignnone size-full wp-image-9732" /></p>
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		<title>島の自然と生活をナマで感じるサイクリング｜BALI Green Traveler (3)</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/10/06/mountain-cycling-tour/</link>
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		<pubDate>Wed, 05 Oct 2011 23:49:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Mick Nomura</dc:creator>
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		<description><![CDATA[バトゥール山中腹が、マウンテンサイクリングツアーのスタート地点。おのおのが自分サイズの自転車を選びヘルメットを装着すると、なんとなしに気分は晴れやかになり、これから始まる冒険への期待に胸がふくらむ。ひさしぶりの自転車でも大丈夫。スタートから最初の数キロは下り坂の舗装路だから、ギアチェンジの必要もない。爽快にタイヤを滑らせていると、先頭のガイドがハンドルを切って横道へ。一行は、ローカルの住人たちが使う未舗装のガタガタ道へ入った。余裕の運転から一転、身体が投げだされそうになるから、風景を見る余裕もなくなってしまった。不安定な地面の上でバランスを取るのに慣れてくると、しだいにペダルをこぐ足は軽く、頬にあたる風が爽快に感じられるようになる。いくつもの村やライスフィールドを駆け抜けるすがすがしさ。出会う子どもたちは全員が全員「ハロー！」と叫んでくるから、私たちも「ハロー！」と機嫌よく叫び返す。 タロ村に入ると、人々の歓声があたりに響き、騒然としていた。村をあげて闘鶏がおこなわれているとのことで、私たちも急遽、見学させてもらうことに。ちょうどその時間だけスコールのような雨が降り、はからずも雨宿りも兼ねたグッドハプニングだった。 毎日のように祭りがおこなわれているこの島では、こうした場面に出くわすこともめずらしくない。村の一般家庭にお邪魔して、バリ人の日常生活を覗かせてもらうこともあるという。コース設定も含め、状況しだいでガイドが機転を利かせ、その日にしかできない体験をさせてくれるのだ。そう、だって自転車なら、いまここにしかない光景を自分のものにすることができるのだから。 Bali Adventure Tour Jl.By Pass NGURAH Rai Pesanggaran, Bali ☎0361 721480 www.baliadventuretours.com This story originally appeared in Papersky No.30.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>バトゥール山中腹が、マウンテンサイクリングツアーのスタート地点。おのおのが自分サイズの自転車を選びヘルメットを装着すると、なんとなしに気分は晴れやかになり、これから始まる冒険への期待に胸がふくらむ。ひさしぶりの自転車でも大丈夫。スタートから最初の数キロは下り坂の舗装路だから、ギアチェンジの必要もない。爽快にタイヤを滑らせていると、先頭のガイドがハンドルを切って横道へ。一行は、ローカルの住人たちが使う未舗装のガタガタ道へ入った<span id="more-9743"></span>。余裕の運転から一転、身体が投げだされそうになるから、風景を見る余裕もなくなってしまった。不安定な地面の上でバランスを取るのに慣れてくると、しだいにペダルをこぐ足は軽く、頬にあたる風が爽快に感じられるようになる。いくつもの村やライスフィールドを駆け抜けるすがすがしさ。出会う子どもたちは全員が全員「ハロー！」と叫んでくるから、私たちも「ハロー！」と機嫌よく叫び返す。</p>
<p>タロ村に入ると、人々の歓声があたりに響き、騒然としていた。村をあげて闘鶏がおこなわれているとのことで、私たちも急遽、見学させてもらうことに。ちょうどその時間だけスコールのような雨が降り、はからずも雨宿りも兼ねたグッドハプニングだった。<br />
毎日のように祭りがおこなわれているこの島では、こうした場面に出くわすこともめずらしくない。村の一般家庭にお邪魔して、バリ人の日常生活を覗かせてもらうこともあるという。コース設定も含め、状況しだいでガイドが機転を利かせ、その日にしかできない体験をさせてくれるのだ。そう、だって自転車なら、いまここにしかない光景を自分のものにすることができるのだから。</p>
<p>Bali Adventure Tour<br />
Jl.By Pass NGURAH Rai<br />
Pesanggaran, Bali<br />
☎0361 721480<br />
<a href="http://www.baliadventuretours.com" target="_blank">www.baliadventuretours.com</a></p>
<p><em>This story originally appeared in<a href="http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680322/b/260262/ap-kneehighmedia" target="_blank"> Papersky No.30</a>.</em></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/09/bali_greentour_3.jpg" alt="" title="bali_greentour_3" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-9750" /></p>
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		<title>天空の寺院、ランプヤンで瞑想をする｜BALI Green Traveler (2)</title>
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		<pubDate>Tue, 04 Oct 2011 23:50:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Mick Nomura</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ランプヤン山は、バリ三大霊峰のひとつ。そしてその頂上にあるランプヤン寺院は、バリ三大寺院のひとつだ。バリの人にとってここがどれほど重要な場所か、推して知るべしだろう。バリ東部にあるその天空の寺院へ瞑想トレッキングツアーができると聞き、それをすることが当然のように思えた私たちはある朝、頂上を目指して出発した。頂までは1,500段の階段を昇る道が一般的だが、私たちはガイドのムディさんオリジナルのルート、いわば獣道へ。パンダナス、レモングラス、マホガニー、バニラ、クローブなどが自生するジャングルの途中、ときどき視界が開けると、けっこう標高が高いところまで来たんだということがわかる。何度めかの広い視界になったとき、石の社が建つぽっかりとフラットな空間に出た。ここで最初の瞑想をして、寺院へ行くために浄化するという。目を閉じているとき、じりじりと肌を焼くような感触があった。いつのまにか雨上がりの空からドラマチックに強い陽が射し、ここがランプヤン、つまり神の光という名をもつ場所だと気がついてハッとする。 ほとんど垂直に思える斜面をよじ登り、ようやっと寺院に到着。参拝者が数多くいるはずなのに、なぜか人の気配はなく、僧侶の姿さえなかった。立ちこめる霧がミステリアスな雰囲気を助長する。木陰からこちらを見守る猿の険しい視線に、姿勢を正される思いがする。登山の過程でクリーンにし、準備が調った私たちは、ふたたび目を閉じ、座禅を組んで静かに内観する──。なんだかとても敬虔な気持ちになって目を開けたら、いつのまにか至近距離に犬が2匹、これ以上ないくらいのだらしない姿で寝そべっていて、思わず笑ってしまった。 Pura Lempuyang Mudi Goes to the Mountain Butan Manggis Karangasem 80871, Bali ☎0363 41464 www.mudigoestothemountain.com This story originally appeared in Papersky No.30.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ランプヤン山は、バリ三大霊峰のひとつ。そしてその頂上にあるランプヤン寺院は、バリ三大寺院のひとつだ。バリの人にとってここがどれほど重要な場所か、推して知るべしだろう。バリ東部にあるその天空の寺院へ瞑想トレッキングツアーができると聞き、それをすることが当然のように思えた私たちはある朝、頂上を目指して出発した。頂までは1,500段の階段を昇る道が一般的だが、私たちはガイドのムディさんオリジナルのルート、いわば獣道へ<span id="more-9742"></span>。パンダナス、レモングラス、マホガニー、バニラ、クローブなどが自生するジャングルの途中、ときどき視界が開けると、けっこう標高が高いところまで来たんだということがわかる。何度めかの広い視界になったとき、石の社が建つぽっかりとフラットな空間に出た。ここで最初の瞑想をして、寺院へ行くために浄化するという。目を閉じているとき、じりじりと肌を焼くような感触があった。いつのまにか雨上がりの空からドラマチックに強い陽が射し、ここがランプヤン、つまり神の光という名をもつ場所だと気がついてハッとする。</p>
<p>ほとんど垂直に思える斜面をよじ登り、ようやっと寺院に到着。参拝者が数多くいるはずなのに、なぜか人の気配はなく、僧侶の姿さえなかった。立ちこめる霧がミステリアスな雰囲気を助長する。木陰からこちらを見守る猿の険しい視線に、姿勢を正される思いがする。登山の過程でクリーンにし、準備が調った私たちは、ふたたび目を閉じ、座禅を組んで静かに内観する──。なんだかとても敬虔な気持ちになって目を開けたら、いつのまにか至近距離に犬が2匹、これ以上ないくらいのだらしない姿で寝そべっていて、思わず笑ってしまった。</p>
<p>Pura Lempuyang</p>
<p>Mudi Goes to the Mountain<br />
Butan Manggis<br />
Karangasem 80871, Bali<br />
☎0363 41464<br />
<a href="http://www.mudigoestothemountain.com" target="_blank">www.mudigoestothemountain.com</a></p>
<p><em>This story originally appeared in<a href="http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680322/b/260262/ap-kneehighmedia" target="_blank"> Papersky No.30</a>.</em></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/09/bali_greentour_2.jpg" alt="" title="bali_greentour_2" width="528" height="351" class="alignnone size-full wp-image-9748" /></p>
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		<title>絶勝の地、キンタマーニ高原へ｜BALI Green Traveler (1)</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/10/03/sunrise-trekking-tour/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/10/03/sunrise-trekking-tour/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Oct 2011 23:50:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Mick Nomura</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[bali]]></category>
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		<category><![CDATA[バリ]]></category>

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		<description><![CDATA[地球には、人間と同じようにチャクラが存在するといわれる。富士山やウルル、チチカカなど世界の名勝地が名を連ねるなか、第一チャクラに位置するのがじつは、バトゥール山らしい。最近では2000年に噴火し、溶岩流の跡が生々しく残る1,717mの活火山のたもとには、三日月形をしたカルデラのバトゥール湖が広がる。しかし午前３時、街頭などひとつもない真の闇では、目先の状況さえよくつかめない。部外者の私たちを警戒する犬たちに吠えたてられながら、ヘッドライトの灯だけを頼りに入山する。登山標識もなにもない。ガイドによればここは、地元の人が使うルートのようだ。闇のなかになにかが息を潜めているようで、私たちは黙々と、上を目指して地面を踏みしめた。 自分の身体が高度へ上がるのに比例して、あたりの闇の色が薄くなる。いつのまにか森林は消え、ときどき高山植物が生えるだけのごつごつとした山肌になっていた。振り返ると、はるか下方にはぽつぽつとともる人の暮らしの灯り、その上を厚い雲が覆い、雲間からはアバン山が突きでている。モノトーンのグラデーションが美しかった。ラストスパート。息を切らして黒い火山灰に覆われた急勾配の先が頂だった。別ルートでひと足早く到着した人たちが、コーヒーを飲んでくつろいでいる。バリではどこにでも犬がいるが、ここでさえ、おこぼれをもらおうと犬がトレッカーたちの足の間を歩きまわっていた。やがて、太陽が雲の向こうから顔を覗かせる。刻々と光に満たされるチャクラからの景色に、闇のなか４時間の苦行を経た私たちは、降参してしまうしかなかった。 Gunung Batur di Kecamatan Kintamani Mudi Goes to the Mountain Butan Manggis Karangasem 80871, Bali ☎ 0363 41464 www.mudigoestothemountain.com This story originally appeared in Papersky No.30.]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>地球には、人間と同じようにチャクラが存在するといわれる。富士山やウルル、チチカカなど世界の名勝地が名を連ねるなか、第一チャクラに位置するのがじつは、バトゥール山らしい。最近では2000年に噴火し、溶岩流の跡が生々しく残る1,717mの活火山のたもとには、三日月形をしたカルデラのバトゥール湖が広がる。しかし午前３時、街頭などひとつもない真の闇では、目先の状況さえよくつかめない。部外者の私たちを警戒する犬たちに吠えたてられながら、ヘッドライトの灯だけを頼りに入山する。登山標識もなにもない。ガイドによればここは、地元の人が使うルートのようだ<span id="more-9741"></span>。闇のなかになにかが息を潜めているようで、私たちは黙々と、上を目指して地面を踏みしめた。</p>
<p>自分の身体が高度へ上がるのに比例して、あたりの闇の色が薄くなる。いつのまにか森林は消え、ときどき高山植物が生えるだけのごつごつとした山肌になっていた。振り返ると、はるか下方にはぽつぽつとともる人の暮らしの灯り、その上を厚い雲が覆い、雲間からはアバン山が突きでている。モノトーンのグラデーションが美しかった。ラストスパート。息を切らして黒い火山灰に覆われた急勾配の先が頂だった。別ルートでひと足早く到着した人たちが、コーヒーを飲んでくつろいでいる。バリではどこにでも犬がいるが、ここでさえ、おこぼれをもらおうと犬がトレッカーたちの足の間を歩きまわっていた。やがて、太陽が雲の向こうから顔を覗かせる。刻々と光に満たされるチャクラからの景色に、闇のなか４時間の苦行を経た私たちは、降参してしまうしかなかった。</p>
<p>Gunung Batur di Kecamatan Kintamani</p>
<p>Mudi Goes to the Mountain<br />
Butan Manggis<br />
Karangasem 80871, Bali<br />
☎ 0363 41464<br />
<a href="http://www.mudigoestothemountain.com" target="_blank">www.mudigoestothemountain.com</a></p>
<p><em>This story originally appeared in<a href="http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680322/b/260262/ap-kneehighmedia" target="_blank"> Papersky No.30</a>.</em></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/09/bali_greentour_1.jpg" alt="" title="bali_greentour_1" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-9746" /></p>
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		<title>“知らせたい”本能｜石川次郎</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/09/19/jiro-ishikawa/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/09/19/jiro-ishikawa/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 18 Sep 2011 23:50:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>PAPERSKY</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[interview]]></category>

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		<description><![CDATA[石川次郎さんと話していると“面白い&#8221;という単語が何度も出てくる。『POPEYE』の創刊に加わり、『BRUTUS』『Tarzan』『GULLlVER』など数多くの雑誌の編集長を務めた人。『POPEYE』『BRUTUS』は高度成長期における若者文化の担い手としての雑誌の地位を確立し、また『Tarzan』では専門性に特化した雑誌作りのお手本を示した。そう、彼の手がけた雑誌はすべて時代のニーズを捉え、ひとつの時代を創ってきたのだ。そのキャリアは間違いなく日本のメディアの歴史の中でも燦然たる煌きを放っているけれど、その根本は“面白いことをやりたい&#8221;という、ただそれだけだ。雑誌の世界では海外取材による記事作りがまだ一般的ではなかった1960年代から、精力的に世界中を廻り、伝え続けてきた彼は、現在も編集者として“面白いこと&#8221;を探求し続けている。そんな「海外取材」を開拓してきたパイオニアに、旅とメディアとの関わりについて語ってもらった。 　 とにかく外国に行きたいなって思ってて ——石川さんは小さい頃、どんな子供だったんでしょうか。 石川：僕は1941年生まれなんだけど、1941年って、まさに太平洋戦争が始まった年なんだ。それで戦争が終わった時が5歳ぐらいでしょ。だから物心ついた時は戦後のゴタゴタの真っ只中だったんだ。今から考えるとすごく面白い時代に生まれたなあと思う。その時代ってそれまでないものがどっと日本に入ってきたんだ。駐留軍が日本に上陸してきて、彼らと一緒にアメリカの大衆文化が流れ込んできた。ラジオの番組だったり、雑誌だったり、レコードだったり。 ——刺激的な時代だったでしょうね。 石川：僕には姉が多くて、彼女たちがアメリカの雑誌を定期購読していた。だから僕が小学校の時には家に大判の『LlFE』誌が山積みになっていた。僕もそういうのをチラチラ眺めていて、その辺からプリント・メディアが好きになったのかもね。ラジオではFENが元気で、アメリカのポピュラー・ミュージックがしょっちゅう流れてきたから、小学校の高学年ぐらいからはそういう音楽をいつも聴いていた。だから僕は物心ついた時からアメリカ文化にどっぷり漬かっていたんだ。今の仕事の原点ってその辺にあるんじゃないかなあって時々思う。そういう時代って、今からすると想像しにくいでしょう。 ——そうですね、今は卒業旅行に海外へ行くのが当たり前だったりしますし…。 石川：僕たちの時代は、1964年に海外旅行が自由化されるまで普通の人が観光旅行で外国に行くことができなかったんだよね。外国に興味を持つと言っても、映画を見るとか、ラジオを聞くとか、外国の雑誌を古本屋さんで買うとか、そのくらいのことしかできなかった。だから全然違う世界が海の向こうにはあるんだなって、僕は気になって気になって仕方なくてね。 ——初めて海外に行ったのは？ 石川：23歳の時。海外旅行が自由化されたのは、ちょうど僕が学校を卒業した年だったんです。 ——どういうきっかけで海外に行かれたんですか？ 石川：当時僕はとにかく何らかの方法で外国に行きたいなって思ってた。卒業する年に海外旅行が自由化されるなんて、これは何かの偶然だろう！と。だから僕は何のためらいもなく旅行業界に飛び込んだ。それが一番手っ取り早く外国に行く方法かなって思ってね。そこは海外旅行専門の小さな旅行会社で、案の定すぐに外国に行けた。一番最初は香港と台湾とタイに行った。 ——初めて外国に行ってみて、どうでした？ 石川：本当はアメリカに行きたかったんだ(笑) 。香港とか台湾とかタイとか、実はあんまり興味がなかった。もちろん行って珍しいものもたくさん見たけど、アジアだったから、あんまり外国という気はしなかった。しかも旅行会社での仕事の旅って、例えば偉い先生なんかと一緒に行ったりするでしょ、全然“自分の旅&#8221;じゃないんだ。 ——そういう意味で初めて“自分の旅&#8221;ができたのは？ 石川：それはやっぱり雑誌の編集者になってから。僕は旅行会社から出版社というまったく違う業界に転職したんだよね。なんで？って不思議に思うこともあるんだけど。ただ結果として旅行会社にいた2年間は全然無駄にならなかった。僕は26歳の時、平凡出版(現マガジンハウス)の『平凡パンチ』っていう編集部に入って、編集者としてゼ口からスター卜したんだ。で、その時の編集長がとても面白いことを言い出した。「これからは『平凡パンチ』も独自で海外取材をしよう」って。それまでの雑誌って海外の記事は通信社から写真やテキス卜を買うのが普通だったんです。それで編集長が周りを見回して、お前は編集者としては素人だけど、外国行ったことがあるだろうって、いきなり海外取材の担当にさせられた。だから「じゃあ、アメリカに行かせて下さい！」って。夢にまで見たアメリカ。それが一番最初の“自分の旅&#8221;だったね。1968年のことです。 　 ハプニングが起こらないとつまらない ——その後色々な雑誌で海外取材されているわけですけど、やっていると時代の変化を肌で感じますよね？ 石川：もちろん。今は雑誌やテレビの海外取材ってどこにでも現地のコーディネーターがいて、行く前に全部お膳立てが済んでいて、行ったらそのとおりに取材するっていうのが当たり前になっている。だけど僕らが海外取材に行き始めた時は、コーディネーターなんて世界中どこにもいなかった。何が面白いかも全て自分で探して、取材をするための交渉もインタビューも自分でやらなきゃいけなかった。最初のアメリカは僕とイラストレーターと二人で行ったんだけど、たった二人で、全部機材を持って、アメリカ中1ヶ月ぐらい取材してまわったんだ。それはもう苦労の連続だったけど、実に面白かったね。僕の海外取材の原点だし、もしかすると今みたいに一般雑誌が海外取材をするきっかけだったかもしれない。 ——苦労したこともたくさんありますよね？ 石川：それはもう、たくさんある。まだデビューしたばかりの加納典明と一緒にニューヨークに行ったんだけど、彼がどうしても黒人の男女のカップルを撮りたいって言うんだ。しかもそのカップルが愛し合っているところをって。困ったこと言う奴だなって思ったんだけど(笑)、同時に面白いなと思って。それで黒人街、ハーレムに行って、モデルになってくれる人を探すところから始めたんです。当時は犯罪も多くて危険な街だったけど、そこを歩き回りながら「誰かかっこいいカップルいませんか？」って、色々な人に聞いて探しまわったんだよ。今考えるとよくそんなことできたなって思うよ(笑)。でも結果としてはその日のうちにモデルになってくれるカップルを探せて、加納典明は一生懸命写真を撮った。黒人の、本当に綺麗なカップルだったんだけど、写真としてはやっぱりすごく際どかったんだね。それがね、ボツにされたんだ。ほとんど編集長とつかみ合いのケンカになりそうなぐらいやりあったんだけど。写真の質はすごくいいし、いい仕事ができたなって思ってたから、一言でボツにされたのが、悔しくってね。そういう思い出は本当にいくらでもある。 ——取材のテーマっていうのは、どういうふうに見つけているんですか？ 石川：行く前からテーマを決めて乗り込んで行くこともあるけど、とにかく場所だけ決めて、っていうこともあったなあ。日本でテーマを探すってあまり意味がないと思うんだ。結局現地で探したほうがニュースとしてはホットだし、今知らせることって現地じゃなきゃ見つからない。だからあんまりテーマを決めていかない方が面白い。逆に言うと、ハプニングが起こらないとつまらない。 　 テレビに出ながら雑誌のことばっかり考えてた ——当時から考えると今はテレビと雑誌のメディアの違いってすごくありますよね？ 石川：そう、テレビと雑誌って全然違う。僕が、最初に雑誌の編集者になった時は、とにかく雑誌っていうのは100万部以上売れなきゃいけないっていうメディアだったの。部数が多いことイコール正しい雑誌、成功している雑誌。でも時代とともに雑誌も変質せざるをえなかった。それぞれの雑誌がターゲットを決めて読者をつかまえるっていう方法に。それはどうしてかっていうとテレビの存在があった。最初、僕らはテレビを大したメディアだと思わなかったんだ。だけど、ある時から「テレビ、っていうのはヤバイぞ」と感じるようになった。映像も音声もどんどん良くなる、そしてものすごい普及率だったから。雑誌編集者みんなが何とか対抗しなくちゃって思ってたよ。だってテレビと雑誌がマスを対象に同じことをやっていたんだから。テレビにはいまだに“視聴率&#8221;っていう金科玉条があるでしょ。雑誌にも発行部数があるけど、それだけが雑誌の価値じゃないよっていうところに持っていかないと、テレビに負けるなっていう予感があった。要はテレビができないことを雑誌がやろうって、みんなそう考えた。だから雑誌って読者がどんどん細分化されていったよね。今なんて女性誌のターゲッ卜なんて5歳刻みであったりする。 ——ただ、石川さんご自身もテレビ「トゥナイト2」にレギュラー出演されていましたよね。 石川：そうなんだよね。それだけが僕の人生で予想もしてなかったこと(笑) 。8年間もレギュラーで出ちゃうなんて。僕は会社を辞めたのが51歳で、周りからは「バカなことをするな」って言われたんだ。常識的に考えると辞めない年代で辞めたんだけど、でも自分が編集者として一人でどのぐらいできるか試したかった。そしたらなんとテレビから声がかかって… 。最初は企画を担当してくれっていう話だと思ってたの。でも、実際話を聞いたら出演交渉だった。参ったなぁって、最初はお断りした。僕にはやりたいことが他にあるし、できるわけないじゃないって。でも周りが面白がっちゃって。50過ぎて会社辞めて飯食えるかわかんないのに、いい話じゃない？なんて、無責任に僕に出演を勧めるわけ(笑)。じゃあ1年ぐらいやってみるかって引き受けたのが運のつき、その後8年もやっちゃうなんて。だからあれで人生だいぶ狂いましたよ(笑) 。 ——出演していて、どんなところが面白かったんですか？ 石川：僕、テレビに出ながら雑誌のことばっかり考えてた。「テレビの弱みはどこにあるんだろう」ってそればっかり探してて。内部にいるとそれはすごくよくわかったし、勉強になった。テレビにはできなくて雑誌だからできることって山ほどあるなって。もちろんその逆もあるけどね。だから今後雑誌がどの方向に行くべきかなんて、頭の中に色々ある(笑)。 ——石川さんがそこまで思う雑誌の面白さって？ 石川：それはテレビと比べてっていう言い方しかできないけど、テレビは成功すればするほど制約が多くなるんですよ。やっぱりスポンサーがしっかりサポートしなければいけない、そのためには視聴率をとらなければいけないって。例えば本当は必要のない人気タレン卜さんを出さなきゃいけないとか。雑誌にはそれは必要ないと思う。雑誌のほうがもっとピュアに作れるところがあると思う。もちろん発行部数って大切だけど、今は昔ほど発行部数を求められてないし、少部数でも評価される。それよりもいかに読者、それも良質な読者を抱えているかっていうところが大切だったりする。量より質、それが、雑誌です。 　 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/09/19/jiro-ishikawa/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>石川次郎さんと話していると“面白い&#8221;という単語が何度も出てくる。『POPEYE』の創刊に加わり、『BRUTUS』『Tarzan』『GULLlVER』など数多くの雑誌の編集長を務めた人。『POPEYE』『BRUTUS』は高度成長期における若者文化の担い手としての雑誌の地位を確立し、また『Tarzan』では専門性に特化した雑誌作りのお手本を示した。そう、彼の手がけた雑誌はすべて時代のニーズを捉え、ひとつの時代を創ってきたのだ。そのキャリアは間違いなく日本のメディアの歴史の中でも燦然たる煌きを放っているけれど、その根本は“面白いことをやりたい&#8221;という、ただそれだけだ。雑誌の世界では海外取材による記事作りがまだ一般的ではなかった1960年代から、精力的に世界中を廻り、伝え続けてきた彼は、現在も編集者として“面白いこと&#8221;を探求し続けている。そんな「海外取材」を開拓してきたパイオニアに、旅とメディアとの関わりについて語ってもらった<span id="more-6525"></span>。<br />
　</p>
<p><strong>とにかく外国に行きたいなって思ってて</strong></p>
<p>——石川さんは小さい頃、どんな子供だったんでしょうか。</p>
<p>石川：僕は1941年生まれなんだけど、1941年って、まさに太平洋戦争が始まった年なんだ。それで戦争が終わった時が5歳ぐらいでしょ。だから物心ついた時は戦後のゴタゴタの真っ只中だったんだ。今から考えるとすごく面白い時代に生まれたなあと思う。その時代ってそれまでないものがどっと日本に入ってきたんだ。駐留軍が日本に上陸してきて、彼らと一緒にアメリカの大衆文化が流れ込んできた。ラジオの番組だったり、雑誌だったり、レコードだったり。</p>
<p>——刺激的な時代だったでしょうね。</p>
<p>石川：僕には姉が多くて、彼女たちがアメリカの雑誌を定期購読していた。だから僕が小学校の時には家に大判の『LlFE』誌が山積みになっていた。僕もそういうのをチラチラ眺めていて、その辺からプリント・メディアが好きになったのかもね。ラジオではFENが元気で、アメリカのポピュラー・ミュージックがしょっちゅう流れてきたから、小学校の高学年ぐらいからはそういう音楽をいつも聴いていた。だから僕は物心ついた時からアメリカ文化にどっぷり漬かっていたんだ。今の仕事の原点ってその辺にあるんじゃないかなあって時々思う。そういう時代って、今からすると想像しにくいでしょう。</p>
<p>——そうですね、今は卒業旅行に海外へ行くのが当たり前だったりしますし…。</p>
<p>石川：僕たちの時代は、1964年に海外旅行が自由化されるまで普通の人が観光旅行で外国に行くことができなかったんだよね。外国に興味を持つと言っても、映画を見るとか、ラジオを聞くとか、外国の雑誌を古本屋さんで買うとか、そのくらいのことしかできなかった。だから全然違う世界が海の向こうにはあるんだなって、僕は気になって気になって仕方なくてね。</p>
<p>——初めて海外に行ったのは？</p>
<p>石川：23歳の時。海外旅行が自由化されたのは、ちょうど僕が学校を卒業した年だったんです。</p>
<p>——どういうきっかけで海外に行かれたんですか？</p>
<p>石川：当時僕はとにかく何らかの方法で外国に行きたいなって思ってた。卒業する年に海外旅行が自由化されるなんて、これは何かの偶然だろう！と。だから僕は何のためらいもなく旅行業界に飛び込んだ。それが一番手っ取り早く外国に行く方法かなって思ってね。そこは海外旅行専門の小さな旅行会社で、案の定すぐに外国に行けた。一番最初は香港と台湾とタイに行った。</p>
<p>——初めて外国に行ってみて、どうでした？</p>
<p>石川：本当はアメリカに行きたかったんだ(笑) 。香港とか台湾とかタイとか、実はあんまり興味がなかった。もちろん行って珍しいものもたくさん見たけど、アジアだったから、あんまり外国という気はしなかった。しかも旅行会社での仕事の旅って、例えば偉い先生なんかと一緒に行ったりするでしょ、全然“自分の旅&#8221;じゃないんだ。</p>
<p>——そういう意味で初めて“自分の旅&#8221;ができたのは？</p>
<p>石川：それはやっぱり雑誌の編集者になってから。僕は旅行会社から出版社というまったく違う業界に転職したんだよね。なんで？って不思議に思うこともあるんだけど。ただ結果として旅行会社にいた2年間は全然無駄にならなかった。僕は26歳の時、平凡出版(現マガジンハウス)の『平凡パンチ』っていう編集部に入って、編集者としてゼ口からスター卜したんだ。で、その時の編集長がとても面白いことを言い出した。「これからは『平凡パンチ』も独自で海外取材をしよう」って。それまでの雑誌って海外の記事は通信社から写真やテキス卜を買うのが普通だったんです。それで編集長が周りを見回して、お前は編集者としては素人だけど、外国行ったことがあるだろうって、いきなり海外取材の担当にさせられた。だから「じゃあ、アメリカに行かせて下さい！」って。夢にまで見たアメリカ。それが一番最初の“自分の旅&#8221;だったね。1968年のことです。</p>
<p>　<br />
<strong>ハプニングが起こらないとつまらない</strong></p>
<p>——その後色々な雑誌で海外取材されているわけですけど、やっていると時代の変化を肌で感じますよね？</p>
<p>石川：もちろん。今は雑誌やテレビの海外取材ってどこにでも現地のコーディネーターがいて、行く前に全部お膳立てが済んでいて、行ったらそのとおりに取材するっていうのが当たり前になっている。だけど僕らが海外取材に行き始めた時は、コーディネーターなんて世界中どこにもいなかった。何が面白いかも全て自分で探して、取材をするための交渉もインタビューも自分でやらなきゃいけなかった。最初のアメリカは僕とイラストレーターと二人で行ったんだけど、たった二人で、全部機材を持って、アメリカ中1ヶ月ぐらい取材してまわったんだ。それはもう苦労の連続だったけど、実に面白かったね。僕の海外取材の原点だし、もしかすると今みたいに一般雑誌が海外取材をするきっかけだったかもしれない。</p>
<p>——苦労したこともたくさんありますよね？</p>
<p>石川：それはもう、たくさんある。まだデビューしたばかりの加納典明と一緒にニューヨークに行ったんだけど、彼がどうしても黒人の男女のカップルを撮りたいって言うんだ。しかもそのカップルが愛し合っているところをって。困ったこと言う奴だなって思ったんだけど(笑)、同時に面白いなと思って。それで黒人街、ハーレムに行って、モデルになってくれる人を探すところから始めたんです。当時は犯罪も多くて危険な街だったけど、そこを歩き回りながら「誰かかっこいいカップルいませんか？」って、色々な人に聞いて探しまわったんだよ。今考えるとよくそんなことできたなって思うよ(笑)。でも結果としてはその日のうちにモデルになってくれるカップルを探せて、加納典明は一生懸命写真を撮った。黒人の、本当に綺麗なカップルだったんだけど、写真としてはやっぱりすごく際どかったんだね。それがね、ボツにされたんだ。ほとんど編集長とつかみ合いのケンカになりそうなぐらいやりあったんだけど。写真の質はすごくいいし、いい仕事ができたなって思ってたから、一言でボツにされたのが、悔しくってね。そういう思い出は本当にいくらでもある。</p>
<p>——取材のテーマっていうのは、どういうふうに見つけているんですか？</p>
<p>石川：行く前からテーマを決めて乗り込んで行くこともあるけど、とにかく場所だけ決めて、っていうこともあったなあ。日本でテーマを探すってあまり意味がないと思うんだ。結局現地で探したほうがニュースとしてはホットだし、今知らせることって現地じゃなきゃ見つからない。だからあんまりテーマを決めていかない方が面白い。逆に言うと、ハプニングが起こらないとつまらない。</p>
<p>　<br />
<strong>テレビに出ながら雑誌のことばっかり考えてた</strong></p>
<p>——当時から考えると今はテレビと雑誌のメディアの違いってすごくありますよね？</p>
<p>石川：そう、テレビと雑誌って全然違う。僕が、最初に雑誌の編集者になった時は、とにかく雑誌っていうのは100万部以上売れなきゃいけないっていうメディアだったの。部数が多いことイコール正しい雑誌、成功している雑誌。でも時代とともに雑誌も変質せざるをえなかった。それぞれの雑誌がターゲットを決めて読者をつかまえるっていう方法に。それはどうしてかっていうとテレビの存在があった。最初、僕らはテレビを大したメディアだと思わなかったんだ。だけど、ある時から「テレビ、っていうのはヤバイぞ」と感じるようになった。映像も音声もどんどん良くなる、そしてものすごい普及率だったから。雑誌編集者みんなが何とか対抗しなくちゃって思ってたよ。だってテレビと雑誌がマスを対象に同じことをやっていたんだから。テレビにはいまだに“視聴率&#8221;っていう金科玉条があるでしょ。雑誌にも発行部数があるけど、それだけが雑誌の価値じゃないよっていうところに持っていかないと、テレビに負けるなっていう予感があった。要はテレビができないことを雑誌がやろうって、みんなそう考えた。だから雑誌って読者がどんどん細分化されていったよね。今なんて女性誌のターゲッ卜なんて5歳刻みであったりする。</p>
<p>——ただ、石川さんご自身もテレビ「トゥナイト2」にレギュラー出演されていましたよね。</p>
<p>石川：そうなんだよね。それだけが僕の人生で予想もしてなかったこと(笑) 。8年間もレギュラーで出ちゃうなんて。僕は会社を辞めたのが51歳で、周りからは「バカなことをするな」って言われたんだ。常識的に考えると辞めない年代で辞めたんだけど、でも自分が編集者として一人でどのぐらいできるか試したかった。そしたらなんとテレビから声がかかって… 。最初は企画を担当してくれっていう話だと思ってたの。でも、実際話を聞いたら出演交渉だった。参ったなぁって、最初はお断りした。僕にはやりたいことが他にあるし、できるわけないじゃないって。でも周りが面白がっちゃって。50過ぎて会社辞めて飯食えるかわかんないのに、いい話じゃない？なんて、無責任に僕に出演を勧めるわけ(笑)。じゃあ1年ぐらいやってみるかって引き受けたのが運のつき、その後8年もやっちゃうなんて。だからあれで人生だいぶ狂いましたよ(笑) 。</p>
<p>——出演していて、どんなところが面白かったんですか？</p>
<p>石川：僕、テレビに出ながら雑誌のことばっかり考えてた。「テレビの弱みはどこにあるんだろう」ってそればっかり探してて。内部にいるとそれはすごくよくわかったし、勉強になった。テレビにはできなくて雑誌だからできることって山ほどあるなって。もちろんその逆もあるけどね。だから今後雑誌がどの方向に行くべきかなんて、頭の中に色々ある(笑)。</p>
<p>——石川さんがそこまで思う雑誌の面白さって？</p>
<p>石川：それはテレビと比べてっていう言い方しかできないけど、テレビは成功すればするほど制約が多くなるんですよ。やっぱりスポンサーがしっかりサポートしなければいけない、そのためには視聴率をとらなければいけないって。例えば本当は必要のない人気タレン卜さんを出さなきゃいけないとか。雑誌にはそれは必要ないと思う。雑誌のほうがもっとピュアに作れるところがあると思う。もちろん発行部数って大切だけど、今は昔ほど発行部数を求められてないし、少部数でも評価される。それよりもいかに読者、それも良質な読者を抱えているかっていうところが大切だったりする。量より質、それが、雑誌です。</p>
<p>　<br />
「それが面白いかどうか」っていうところが大事</p>
<p>——石川さんが出演するBS朝日の番組もスター卜しますね。</p>
<p>石川：僕は今、BS放送が面白くて仕方ないんだ。地上波で8年もお世話になりながらこんなことを言うのもおかしいけど(笑)。BSってまだまだ地味な存在で、どこの局も経営的には苦労してる。でも僕の友達たちの中にはBSのほうが面白いよって言う人がけっこう増えた。まだまだ実験的なことができるし、ある意味すごく雑誌的なんだよね。一つのテーマを深く追求できるっていうところが、ね。</p>
<p>——番組的にはどういう内容ですか？</p>
<p>石川：「アジアだけの旅行番組作りたい」って言ったんだ。ただの物見遊山だけじゃなくて、一つのテーマにこだわった番組をやりたいの。この前はベトナムに行ったんだけど、そこで何をしたかっていうと、「ヌックマム」ってあるでしょ。それだけを深く深く取材しました。</p>
<p>——すごくディープですね。</p>
<p>石川：でしょう。それだけで番組を作るなんて、地上波ではできないんだ。もちろん地上波で面白いテーマでやっている番組もあるんだけど、たいていは若い女性タレン卜が出てくる。そういう女性たちがキャーキャ一言ってるのって、なんだか抵抗があるんだよね。ただ、BSはそんなにタレン卜さんを使うお金がないから、僕たちのようなおじさんにもチャンスがあるというわけ(笑) 。</p>
<p>——石川さんは本当に色々なことをされていますが、そのエネルギーはどこから出てくるんでしょう？</p>
<p>石川：やってること全部が面白いことだから。引き受けている仕事は、自分で「できるな」って感じないと引き受けないし、「それが面白いかどうか」っていうところが二番目の物指し。だからもし疲れても、それは自分が面白がって疲れてるんだから仕方ない、と。BSの旅番組もかなり強硬スケジュールだったけど、どんどん元気になっていったね(笑) 。</p>
<p>——根本的に旅が好きなんでしょうね。</p>
<p>石川：それもあるんだろうけど、僕はどうやら“知らせたい&#8221;っていう本能を持っているみたいなんだ。自分が面白いと思ったことは何らかの方法で人に伝えたいんだ。時には友達を連れて行って、「どうだ、これ面白いだろう」って見せることもある。それで友達が面白がってくれたらそれだけで納得するっていう(笑) 。</p>
<p>——次に行ってみたい国、やってみたいこともたくさんあるんじゃないですか？</p>
<p>石川：それはもうたくさんある。ここ10年アジアにハマっていて、アジアが面白くて仕方ない。それぞれの国が、すごい勢いで変わっているんだよね。それを目撃しておきたいと思うようになった。アジアなら週末でも行けるでしょう。だから「トゥナイト2」をやりながらも、年間70日間ぐらいアジアに行っていた。でもまだまだ終わってないんだ。気が遠くなるよ(笑) 。これからインドも行きたいし、ミャンマーやカンボジアも見たいし、中国にももっと行きたいと思ってる。</p>
<p>　<br />
<strong>ネットワークを使いたかった</strong></p>
<p>——実際『GULLlVER』という旅行雑誌も作っていましたよね。</p>
<p>石川：うん、僕は日本の旅雑誌って、どうしてインターナショナルに通用するものができないのかなっていつも思ってるんだ。欧米にはいわゆるトラベル・ライターとか、トラベル・フォトグラファーがたくさんいる。ところが日本ではあんまり仕事の場がないんだよね。それはメディアがないから。で、日本にも必要でしょうということで1989年に『GULLlVER』をやらせてもらったの。</p>
<p>——一般的な観光地だけでなくディープなところも紹介されていたし、その紹介の仕方も面白かったと思います。</p>
<p>石川：『GULLlVER』に関しては、毎回、日本から取材チームを出すっていうことを考えてなかったの。雑誌を作る前に僕はロンドンとパリとニューヨークとロサンジェルスに行って、ホテルに3 日間ぐらい缶詰になって、そこにトラベル・ジャーナリストを呼んだんだ。そしたらライタ一、写真家、イラストレーター…本当に色々な人が売り込みに来るわけ。ちゃんとそういうトラベル・ジャーナリズムの世界があるんだ。僕はその人たちとのネットワークを使って『GULLlVER』を作りたかった。ただ、15年前は早過ぎたね。でも、今はもういけると思う。そういう意味では僕は『PAPERSKY』には非常に期待してますよ。今までの旅行雑誌にない何かがあるし、僕なんかが発想できないことをやっているっていう気がする。パッと見てすぐに、「あ、これは日本人だけで作っている雑誌じゃないな」と思ったしね。</p>
<p>　<br />
石川次郎 ｜エディトリアル・ディレクター<br />
1941年東京生まれ。1964年に早稲田大学卒業後、海外旅行専門のトラベル・エージェントに勤務。1967年、平凡出版株式会社に入社。『平凡パンチ』誌で編集者生活のスター卜を切る。『Made in USA』、『SKI LIFE』など実験的雑誌づくりを経て、1976年の『POPEYE』創刊に加わる。引き続き『BRUTUS』『Tarzan』『GULLlVER』などを創刊。各誌の編集長を歴任する。1993年同社退社。同年4月、企画・編集プロタフションJI inc (株式会社ジェイ・アイ) を設立。メンバーシップ・マガジン『SEVEN SEAS』(アルク刊)、『Travel Style』(世界文化社刊)などの編集長を務める。また、六本木ヒルズ内にある「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」や川崎の「LA CITTA DELLA」などの商業施設のプロデュースも手掛ける。企画にも携わっているBS朝日の番組「男たちの食宴」「亜細亜見聞録」に出演。</p>
<p>　<br />
このインタビューは<a href="http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680322/b/14840/ap-kneehighmedia" target="_blank">PAPERSKY No.14</a>（2006年7月）に収録されています。<br />
インタビュー&#038;構成 松岡絵里<br />
Interview &#038; Text: Eri Matsuoka</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2010/11/ishikawajiro.jpg" alt="" title="ishikawajiro" width="528" height="350" class="alignleft size-full wp-image-6527" /></p>
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		<title>KWANGHO LEE｜自然を想い、素材に命を吹き込むクラフトマン</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/04/20/kwangho-lee/</link>
		<comments>http://www.papersky.jp/2011/04/20/kwangho-lee/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 20 Apr 2011 00:00:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>上野勝義</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[jp]]></category>
		<category><![CDATA[art]]></category>
		<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[Korea]]></category>

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		<description><![CDATA[2010年秋、東京ミッドタウンホールで行われたデザインの祭典「DESIGN TIDE TOKYO 2010」。世界から大勢のデザイナーが集まった会場で、黙々と作品を作り続けるKwangho Lee本人に出会った。世界各国の家具見本市に作品を出展し、 近年目覚ましい活躍を見せている韓国のクラフトデザイナーだ。学生時代に金属工芸を学んだ彼は、ソウルに工房を構え、ごくありふれた工業素材を用いて、手仕事で制作を行う。ある時は真っ赤に熱した鉄線で巨大な発泡スチロールを紙のように薄く切り出し、またある時は束になった途方もない長さの電気コードをひたすら結び続ける。人工的で無機質な素材を手にとり、どこか懐かしいような、それでいて生命力を感じさせる作品を生み出している。 この電気コードを使った「KNOT, beyond the inevitable」シリーズの作品は、昨年イスラエルのDesign Museum Holonのオープニング展覧会「The State of Things」にも出展され、私はそこで初めてKwanghoの作品を目にした。ずんぐりした大きな塊のようなものが宙に吊り下がっていて、１つ１つの編み目が細胞のように結びつき、中央の電球を飲み込むようにしてランプシェードの形を作っている。足下に目をやると、木の根のようにばらけた１本１本のコードが、床を這うようにして壁の１点に集まり、そこでまた細かく編み込まれて天井へと向かう。その先端に先ほどのランプがぶら下がっている。まるで生き物のようなディティールを持った、強烈な存在を感じさせるスケール感豊かな造形作品だった。 東京での展示を終えた後も、ミラノデザインウィーク、オブジェクト・ロッテルダム、メゾン・ド・オブジェ、デザイン・マイアミ…世界の名だたる家具見本市に出展し、活躍の場を大きく広げてきたKwangho。そんな彼に、これまでの実績やモノ作りについての考え、そして今後の活動について話を聞いた。 ——ここ数年、貴方の作品は世界のあちこちに出展され、沢山の人達の目に触れるようになった。今日のような活躍を学生時代から想像していた？ 「いや、この年齢でこれほど国際的に作品を発表していくことになるとは思ってもみなかったよ。 それに特別こういうことを目標にしていたわけじゃないんだ。僕が若い時に考えていた事は、今やっている事にベストを尽くすこと、そしてそれを熱意を持って続けていくことだった。多分ちょっとした運もあったんだと思う」 ——韓国と他の外国とで、人々の作品に対する反応や見方にどんな違いがある？ 「母国でも海外でも、 人々が興味を持つのは、 僕の作品が「手仕事による工芸品」であるからだと思う。ただ、作品の持つ美しさについて評価されることは、外国の方がずっと多い。韓国では次々と量産品が生み出されて皆がそれを使う、大量生産の考え方がまだまだ幅を利かせてるからかもしれない」 ——少年期に暮らした農村での記憶が作品作りのインスピレーションになっている、と以前聞かせてもらったね。今、子供の頃に暮らしていた場所（ソウル郊外の農村地帯）に戻ると、どんな事を感じる？ 「小さい頃に見た景色とか、当時の暮らしの記憶とかは、今でも僕にとってすごく重要だし、それが作品作りのモチベーションになっている。 確かに今見える風景は、かつて自分が住んでいた頃とは随分変わってしまったけれど…そういう変化を目の当たりにすることで、過去の記憶と今の自分とがより一層強い結びつきを持てるような気もするんだ。あの頃、自然っていうものがどんなに身近なものだったかを実感したり、自分のルーツをより深く顧みたり…家族のこと、周りの環境との関わりとかをね」 ——「自然」と「もの作り」の関係についてはどう思う？「自然らしさ」を謡うために「自然そのまま」の素材が使われることが多いけれど、 今の作り手は、「モノ」の方に素材を無理矢理当てはめてしまっているケースが少なくない。 「そうだね…まず、自然っていうものは本来それ自体が美しいものなんだ。そして、人の手が入っていない、あるがままの状態でこそ自然は一番美しいんだと思う。大事なことは、自然に対する関わり方・向き合い方じゃないだろうか。モノが無いから、モノを作らなくちゃいけない…いま僕らが生きているのは、もうそんな時代じゃないんだから」 ——金属の表面に傷や色を吹き付けて加工した Enameled skin Copper Seriesなどもそうだけど、貴方の作品には「手仕事のプロセス」がある意味で粗っぽく残されている。また一方では、自然からインスピレーションを受けながらも、実際の作品に使われるのは人工的な素材、工業素材が中心だね。こうした素材の選択や手仕事についての考えを聞かせてほしい。 「僕の作品作りにとって、一番重要なのは祖父（数年前に他界）の存在。僕の祖父は有名な農家で、身近にある素材…干し草やモロコシなんかを使って、様々な家具や暮らしの道具を自分で作っていたんだ。僕は昔からそうした道具に囲まれて育ってきた。今の僕がやっているのは、かつて祖父が農村でやっていたように、今自分が住んでいる街で手に入る素材を使って、新しい役割を持ったモノを作り出そう、ということなんだ。ただ何かを自分の哲学として語るのはまだ早すぎると思うけどね…多分10年ぐらいのうちには言えるんじゃないかな」 ——今後の活動と、いま興味を持っていることについて教えてほしい。 「作品作りも勿論大事だけれど、身の回りにある環境も同じぐらい大事だってことを最近すごく実感した。今取り組んでいるのは、それぞれの地域に特有の産業・食・文化を探し出して記録していくこと。韓国の各地域を巡って、各々の場所で育まれてきた独自の生活・文化についてスタディを続けている。何代にもわたって伝えられてきた慣習や、残されてきた風景について詳しく調べて、身近な自然素材にどうアプローチするべきかの研究を続けているんだ。そして、それぞれの地域に馴染みの深い素材や、自然素材を使って、実用的なモノを作っていきたい。&#8221;自分の手で作ったもので、暮らしを豊かにする&#8221; — その価値や喜びをもう一度解釈し直したいんだ。 ひたすら発展を目指して、ゴールの無い都市化に突き進んでいく…そんな時代で忘れられてかけているメッセージをね」 &#8230; <a href="http://www.papersky.jp/2011/04/20/kwangho-lee/"><br />続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2010年秋、東京ミッドタウンホールで行われたデザインの祭典「DESIGN TIDE TOKYO 2010」。世界から大勢のデザイナーが集まった会場で、黙々と作品を作り続けるKwangho Lee本人に出会った。世界各国の家具見本市に作品を出展し、 近年目覚ましい活躍を見せている韓国のクラフトデザイナーだ。学生時代に金属工芸を学んだ彼は、ソウルに工房を構え、ごくありふれた工業素材を用いて、手仕事で制作を行う。ある時は真っ赤に熱した鉄線で巨大な発泡スチロールを紙のように薄く切り出し、またある時は束になった途方もない長さの電気コードをひたすら結び続ける。人工的で無機質な素材を手にとり、どこか懐かしいような、それでいて生命力を感じさせる作品を生み出している<span id="more-7886"></span>。</p>
<p>この電気コードを使った「KNOT, beyond the inevitable」シリーズの作品は、昨年イスラエルのDesign Museum Holonのオープニング展覧会「The State of Things」にも出展され、私はそこで初めてKwanghoの作品を目にした。ずんぐりした大きな塊のようなものが宙に吊り下がっていて、１つ１つの編み目が細胞のように結びつき、中央の電球を飲み込むようにしてランプシェードの形を作っている。足下に目をやると、木の根のようにばらけた１本１本のコードが、床を這うようにして壁の１点に集まり、そこでまた細かく編み込まれて天井へと向かう。その先端に先ほどのランプがぶら下がっている。まるで生き物のようなディティールを持った、強烈な存在を感じさせるスケール感豊かな造形作品だった。</p>
<p>東京での展示を終えた後も、ミラノデザインウィーク、オブジェクト・ロッテルダム、メゾン・ド・オブジェ、デザイン・マイアミ…世界の名だたる家具見本市に出展し、活躍の場を大きく広げてきたKwangho。そんな彼に、これまでの実績やモノ作りについての考え、そして今後の活動について話を聞いた。</p>
<p>——ここ数年、貴方の作品は世界のあちこちに出展され、沢山の人達の目に触れるようになった。今日のような活躍を学生時代から想像していた？<br />
「いや、この年齢でこれほど国際的に作品を発表していくことになるとは思ってもみなかったよ。 それに特別こういうことを目標にしていたわけじゃないんだ。僕が若い時に考えていた事は、今やっている事にベストを尽くすこと、そしてそれを熱意を持って続けていくことだった。多分ちょっとした運もあったんだと思う」</p>
<p>——韓国と他の外国とで、人々の作品に対する反応や見方にどんな違いがある？<br />
「母国でも海外でも、 人々が興味を持つのは、 僕の作品が「手仕事による工芸品」であるからだと思う。ただ、作品の持つ美しさについて評価されることは、外国の方がずっと多い。韓国では次々と量産品が生み出されて皆がそれを使う、大量生産の考え方がまだまだ幅を利かせてるからかもしれない」</p>
<p>——少年期に暮らした農村での記憶が作品作りのインスピレーションになっている、と以前聞かせてもらったね。今、子供の頃に暮らしていた場所（ソウル郊外の農村地帯）に戻ると、どんな事を感じる？<br />
「小さい頃に見た景色とか、当時の暮らしの記憶とかは、今でも僕にとってすごく重要だし、それが作品作りのモチベーションになっている。 確かに今見える風景は、かつて自分が住んでいた頃とは随分変わってしまったけれど…そういう変化を目の当たりにすることで、過去の記憶と今の自分とがより一層強い結びつきを持てるような気もするんだ。あの頃、自然っていうものがどんなに身近なものだったかを実感したり、自分のルーツをより深く顧みたり…家族のこと、周りの環境との関わりとかをね」</p>
<p>——「自然」と「もの作り」の関係についてはどう思う？「自然らしさ」を謡うために「自然そのまま」の素材が使われることが多いけれど、 今の作り手は、「モノ」の方に素材を無理矢理当てはめてしまっているケースが少なくない。<br />
「そうだね…まず、自然っていうものは本来それ自体が美しいものなんだ。そして、人の手が入っていない、あるがままの状態でこそ自然は一番美しいんだと思う。大事なことは、自然に対する関わり方・向き合い方じゃないだろうか。モノが無いから、モノを作らなくちゃいけない…いま僕らが生きているのは、もうそんな時代じゃないんだから」</p>
<p>——金属の表面に傷や色を吹き付けて加工した Enameled skin Copper Seriesなどもそうだけど、貴方の作品には「手仕事のプロセス」がある意味で粗っぽく残されている。また一方では、自然からインスピレーションを受けながらも、実際の作品に使われるのは人工的な素材、工業素材が中心だね。こうした素材の選択や手仕事についての考えを聞かせてほしい。<br />
「僕の作品作りにとって、一番重要なのは祖父（数年前に他界）の存在。僕の祖父は有名な農家で、身近にある素材…干し草やモロコシなんかを使って、様々な家具や暮らしの道具を自分で作っていたんだ。僕は昔からそうした道具に囲まれて育ってきた。今の僕がやっているのは、かつて祖父が農村でやっていたように、今自分が住んでいる街で手に入る素材を使って、新しい役割を持ったモノを作り出そう、ということなんだ。ただ何かを自分の哲学として語るのはまだ早すぎると思うけどね…多分10年ぐらいのうちには言えるんじゃないかな」</p>
<p>——今後の活動と、いま興味を持っていることについて教えてほしい。<br />
「作品作りも勿論大事だけれど、身の回りにある環境も同じぐらい大事だってことを最近すごく実感した。今取り組んでいるのは、それぞれの地域に特有の産業・食・文化を探し出して記録していくこと。韓国の各地域を巡って、各々の場所で育まれてきた独自の生活・文化についてスタディを続けている。何代にもわたって伝えられてきた慣習や、残されてきた風景について詳しく調べて、身近な自然素材にどうアプローチするべきかの研究を続けているんだ。そして、それぞれの地域に馴染みの深い素材や、自然素材を使って、実用的なモノを作っていきたい。&#8221;自分の手で作ったもので、暮らしを豊かにする&#8221; — その価値や喜びをもう一度解釈し直したいんだ。 ひたすら発展を目指して、ゴールの無い都市化に突き進んでいく…そんな時代で忘れられてかけているメッセージをね」</p>
<p>　<br />
Kwangho Lee<br />
1981年、韓国・ソウル郊外の生まれ。現在はソウル市内に在住。Hongik（ホンギク）大学で金属工芸を専攻し、2007年卒業。 小さい頃から自分で物を作るのが好きで、 農村での暮らしの中、祖父が畑や森にあるもので手作りした道具に囲まれて育つ。その頃の記憶が今に通じるモノ作りの原点となり、かつて祖父がしていたように、身近にある素材を手にとり、 新たな意味や機能を持つモノに生まれ変わらせている。そうした行為は過去に消えてしまったものではなく、今でもかけがえの無い価値を持つと信じて。</p>
<p>オフィシャルサイト：<br />
<a href="http://www.kwangholee.com/">http://www.kwangholee.com/</a><br />
Converse TaiwanがKwanghoを取材したビデオ：<br />
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=ih28t35pLFI">http://www.youtube.com/watch?v=ih28t35pLFI</a><br />
DESIGN TIDE TOKYO 2010 出展者紹介：<br />
<a href="https://designtide.jp/tide2010/exhibition/">https://designtide.jp/tide2010/exhibition/</a></p>
<p>写真クレジット：<br />
1) Enameled skin Copper Series／工房にて<br />
2) KNOT, beyond the inevitable<br />
3) Styrofoam Sofa<br />
4) マーケットで素材を探す<br />
5) ソウル郊外、子供時代を過ごした場所の風景</p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/04/pic01_studio.jpg" alt="" title="pic01_studio" width="528" height="350" class="alignnone size-full wp-image-7888" /></p>
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		<title>ARIKO写真展「OM」</title>
		<link>http://www.papersky.jp/2011/04/06/ariko-om/</link>
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		<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 00:10:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TEAM YUM YUM</dc:creator>
				<category><![CDATA[asia]]></category>
		<category><![CDATA[jp]]></category>
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		<category><![CDATA[india]]></category>
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		<category><![CDATA[インド]]></category>

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		<description><![CDATA[本誌アイスランド特集(No.27)を撮影してくれている写真家のARIKOさんが、4月8日からgallery TARGET にて写真展「OM」を開催します。2009年より撮りはじめたこのシリーズは、インドのいろいろな聖地で出逢った外国人と時間を過ごしながら撮ったもの。 「インドに行きたいと始めて思ったのは、サイババの本を読んだ19歳の時だった。手から不思議な粉を出し、なんでも願い事をかなえてしまえるサイババの話を読んだとき、会いに行かなければという衝動にかられた。見えない世界をあたりまえに信じ、賢人、聖人、秘伝がたくさん生まれてきた国インド。何千何万人という数の人をハグし続けるアマチアンマ。60年代のニューエイジたちが夢中になり、亡き今も人気があり霊的世界とセックスを繋げた教えで有名なグルオショウ。南インドにある60年代から存在するユートピア思想コミュニティー、オーラヴィル。クリシュナの聖地のヴリンダーヴァン。70年代にビートルズがグルに会いに来ていたリシケシは、今でも数多くのヨガアシュラムがある聖地。いろんな聖地でいろいろなスピリチュアル体験ができるインド。そんなインドで出逢った旅人達との時間は、他の場所にはない特別で居心地の良い、かたちのないコミュニティーのような場があった」by 稲岡亜里子（ARIKO） 稲岡亜里子（ARIKO）写真展「OM」 2011年4月8日（金）～4月23日（土） GALLERY TARGET レセプション：2011年４月８日（金）19:00 ～ 21:00 東京都渋谷区神宮前2-32-10 Tel: 03-3402-4575 12:00 ～ 19:00 (祝日／日曜日休廊) www.gallery-target.com]]></description>
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<p>「インドに行きたいと始めて思ったのは、サイババの本を読んだ19歳の時だった。手から不思議な粉を出し、なんでも願い事をかなえてしまえるサイババの話を読んだとき、会いに行かなければという衝動にかられた。見えない世界をあたりまえに信じ、賢人、聖人、秘伝がたくさん生まれてきた国インド<span id="more-7835"></span>。何千何万人という数の人をハグし続けるアマチアンマ。60年代のニューエイジたちが夢中になり、亡き今も人気があり霊的世界とセックスを繋げた教えで有名なグルオショウ。南インドにある60年代から存在するユートピア思想コミュニティー、オーラヴィル。クリシュナの聖地のヴリンダーヴァン。70年代にビートルズがグルに会いに来ていたリシケシは、今でも数多くのヨガアシュラムがある聖地。いろんな聖地でいろいろなスピリチュアル体験ができるインド。そんなインドで出逢った旅人達との時間は、他の場所にはない特別で居心地の良い、かたちのないコミュニティーのような場があった」by 稲岡亜里子（ARIKO）</p>
<p>稲岡亜里子（ARIKO）写真展「OM」<br />
2011年4月8日（金）～4月23日（土）<br />
GALLERY TARGET<br />
レセプション：2011年４月８日（金）19:00 ～ 21:00<br />
東京都渋谷区神宮前2-32-10     Tel: 03-3402-4575<br />
12:00 ～ 19:00 (祝日／日曜日休廊)<br />
<a href="http://www.gallery-target.com">www.gallery-target.com</a></p>
<p><img src="http://www.papersky.jp/wp-content/uploads/2011/04/ariko-OM.jpg" alt="" title="ariko-OM" width="528" height="350" class="alignleft size-full wp-image-7836" /></p>
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