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  • Photography: Katuhide Fujio

玉井太朗/スノーボーダー、サーファー | PAPERSKY Interview

, 2019/09/11

北海道・ニセコを拠点に自らのスノーボードブランド「GENTEMSTICK」を運営する玉井太朗さん。スノーボーダーでありサーファーでもある玉井さんはこの地で日々、雪や波と向き合い、ボードカルチャーの真髄を極めようとしている。彼がなぜニセコの地を選んだのか、そして、現在どのようなライフスタイルを実践しているのかなどについて訊いた。
 
—まず、なぜ玉井さんがアウトドアスポーツに興味をもつようになったのか、教えてください。

祖父は東京のどまんなかに住んでいながら趣味がハンティングという人で、生粋のアウトドアマンだった。小さいころから鉄砲打ちや釣りによく連れていってもらっていたんです。父も非常に行動力のある人で、学校を休んで一緒にアウトドアへ出かけるっていうことも僕にとっては普通でした。そうやってアウトドアで遊ぶうちに、特に釣りが好きになっていったんです。家族と一緒に行う釣りは、人のいない場所を探して、道具も自分たちでつくるというやり方。いつも誰もいない場所で遊んで、自分だけのパラダイスを探しているという感覚でした。
 
—スノーボードやサーフィンに目覚めていった経緯について教えてください。

父が家族とともにレストランを経営したり、英会話教室を運営したりと、いろいろなことに関わっていて。自宅が東京・新宿の舟町だったこともあって、家族のまわりにはマスコミ関係者や流行に敏感なおもしろい大人、本気で遊ぶ人たちが集まってきていたんです。ヘリスキーのためにカナダへ行く人とか、ハードコアな渓流釣りをする人とか、サーフィンしている人などと接するなかで、僕もパウダーを滑ったり、波乗りをしたりするようになっていって。雪山ではもっぱらスキーでしたが、1974年にたまたま見た16mmフィルムでスノーボードに出会ってしまい、直感的に運命を感じていつか始めるだろうと思っていました。1980年代に入ってボードを手に入れると、のめり込むようにして滑り始めたんです。
 
—現在、拠点としている北海道・ニセコの雪山と初めて出会ったときのストーリーについて聞かせてください。

80年代初頭はまだスノーボード人口なんて100人いるかいないかだったし、業界ができるかどうかという時代だった。僕はそのころからスキーやスノーボードで真剣に雪山を滑っていて、メーカーの開発にも関わるようになっていたんです。そうやってあちこちの山を滑っていた90年ごろ、『スノーイング』という雑誌の取材で北海道を旅行してくれないかという誘いがあった。そのとき、ステイしたのが比羅夫だったんです。それでニセコのスキー場へ行き、まずは雪山をじっくり見て、歩いてみた。夏のニセコには釣りをしにきたことがあったんですが、実際に雪山の斜面に立ってみて、これはちょっと大変なことになったなと思いましたね。瞬間的にこの山のすばらしさを感じ取ってしまったんです。そのころはまだスキーヤーが優先でスノーボードが禁止されている山も多い時代だったんですが、僕のなかではなんとかこのニセコでスノーボードを自由に楽しめるようにできないかという模索が始まっていきました。
 
—その後、ニセコに移住してしまった決め手はなんだったのでしょう?

僕がニセコの雪山を初めて知ったとき、たまたまステイした宿のオーナーの友人がスノーボードスクールを始めようとしていたタイミングだったんです。それでスクール設立の手伝いをしてくれないかと持ちかけられ、これは渡りに船だなと。その流れでスクールを立ち上げる準備が終わり、いよいよシーズンが始まったんですけどひと粒も雪が降らない(笑)。12月23日までまったくです。どうなってんだと思ったら直後の3日間、ドカ雪が降ってもちろん滑ろうということになった。その日からですね。もういつまでステイしようとか移住の決意とか、そういうレベルじゃなく、とにかく滑ることに夢中で。ニセコがもつ真のポテンシャルを目の当たりにして、その日から僕の拠点が自然とこの場所に移っていった感覚です。
 
—ニセコの雪山の魅力について、具体的に教えてください。

いい雪質、いい山っていうのはいくらでもある。だけどニセコのようにチャンスが多い場所って僕の経験では他にないと思っているんです。端的にいえば、内陸と違って湿度が高い。たとえばカナダやシベリアと比べたら湿度の点でまったく異なる雪が降る。たとえばスキー場で、一度雪が降って、その後1週間降らなかったとしますよね。すると多くの滑り手が斜面を滑って、きれいだった雪面がガタガタに荒れるわけです。その後、また低気圧がやって来て新雪が積もるわけですが、湿度が低いと雪が軽くて浮力が少ないので、その上を滑ると深く潜ることになる。すると荒れて硬くなった古い雪の斜面にスキーやボードの板が当たって滑り辛くなるわけです。でも、湿度があれば浮力が出て深く潜り込まないので、上に積もった新しい層だけを滑ることができる。つまりニセコでは、ほとんど毎日、フレッシュな状態の雪を楽しめる。その個性を理解している人間が世界中から集まってくるんです。極端にいえばカナダでは降るとすごいけど、ニセコは適度に毎日いい感じ。僕は板の開発をしているので、コンスタントにいいコンディションというのは何より魅力なんです。
 
—玉井さんは自らのスノーボードブランド「GENTEMSTICK」を運営していますよね。なぜ滑るだけにとどまらず、板の開発をしようと思ったのですか?

シンプルにいえば、自分に合う板がマーケットにはなかったから。スノーボードが爆発的なブームになったとき、各メーカーは言ってみればスキー板の幅広版といった印象の板に、いかにもなグラフィックをつけてスノーボードとして大量に販売しました。それが大きなビジネスにつながったからです。でもこうした製品は僕の理想としていたボードと遠くかけ離れていた。当然、スノーボードの開発にはスキー板と異なる考え方が必要です。特に安全面で問題のある板ばかりに見えたので自分でつくることにしたわけです。もちろんニセコの山がスノーボードの開発にとって最高の場所だってことも影響しましたね。
 
—スキーとスノーボードの違いをどのように捉えていますか?

板で斜面をどう捉えるかっていう方法がまったく違いますよね。スキーは雪山の移動手段として生まれたので動き方、動ける範囲も異なります。言ってみればスキー板は文字を書くペンのような道具で、スノーボードは筆。どちらが良いとか悪いということでもない。もちろん筆で文字を描くことはできるんですけど、僕らはこの板で絵を描くんです。生活に必要な道具ではなく、ちょっとアートに近いのかな。雪山に絵を描くためにはスノーボードのほうが断然、向いている。だからスノーボードはスキー板の延長といった考えではつくれないし、スケートボードの雪バージョンでもない。どういう板なら雪山の地形を立体的に捉えられるか、どうすればもっと簡単に扱えて自由に自己表現できるかっていう部分を探っていくのが、スノーボードを開発していくうえで大切なことだと考えています。
 
—「GENTEMSTICK」のスノーボードにはユニークな素材が多く使用されていますね。特にこだわっている素材とその理由について教えてください。

たとえば竹は優れた素材として注目し、スノーボードの材として利用しています。竹はバネのように元の形状に戻ろうとする反発力、戻ってきたときのエネルギーをピタッと止める復元力に優れているんです。釣り竿では古くから竹が使われていますよね。釣りをしていると竹の強さ、しなやかさが理解できると思います。強引に引き上げなくても竹がしなってスムーズに魚を釣り上げられますから。この優れた性質をスノーボードにも活かしたくて我流で研究を重ねてきました。最新の素材と比べると竹は重いので、今でも竹と何を組み合わせればいい板になるかを模索しています。
 
—ニセコでスノーボードやサーフィンを楽しむライフスタイルについて聞かせてください。

サーフィンの場合、未開のポイントだらけで、いい波を求めていろいろな場所を探すというスタイルを楽しんでいました。スノーボードにしても昔はどこの山にも人がほとんどいなくて、いいコンディション、いい斜面を自分だけの力で探すという感覚でした。あらゆる自然環境を鑑みて、どこか最適なスポットかをイメージし、そこにアプローチする。サーフィンもスノーボードもつくづくハンティングのように獲物を探すのと似た部分があるなと思っています。どちらも何かを征服するという欲求を満たしてくれるわけで、夢中になって続けていると、自分は山の一部、地球の一部だってことに気がつく。こんなに楽しいことをやっているだけで、それほど大切なことに気づけるのはすばらしいなって。今では北海道の山も海も人が多くなって、以前とは状況も変わりましたけど、楽しさに変わりはない。北海道の海や山で夢中になって楽しみながら、いかに社会的な生活を送るか。これが今でも大きな課題です(笑)。
 
—玉井さんはニセコに拠点を置きながら世界や日本各地に旅をしています。旅の魅力について教えてください。

まだ見ぬものを探したい、どこかにある最高の世界を見つけたいっていう気持ちが以前はつねにありました。でも現在は自分のつくる道具や発信する情報で多くの人をサポートしたいという気持ちのほうが強く、最高の場所を探すために旅をすることはほとんどありません。今、旅をするとしたら世界中の知人を訪ねて元気でやっているかを確認するためですね。仲間たちそれぞれが選んだパラダイスを訪ねていく旅です。
 
—ニセコ以外の道内で、サーフィンやスノーボードを楽しむうえで、玉井さんだけが知っている最高の場所はありますか?

うーん、まあ、秘密ですかね(笑)。これ以上、言えないな(笑)。というか、僕は人がいなくて何もない場所であればじつはどこでも好きなんです。北海道にはそんな場所がまだまだいっぱいある。自分だけのパラダイスは誰でも探せますよ。
 
玉井太朗 Taro Tamai
スノーボーダー、サーファー、スノーボード・シェイパー
1962年、東京四谷生まれ。ニセコ定住を決意した後、自らのスノーボードブランド「GENTEMSTICK」を立ち上げ、ボードの開発をスタート。現在は映像作品の制作、空間デザイン、エッセイや写真集の発表など行動領域を拡大している。パタゴニア・アンバサダーの活動では、ボードカルチャーの奥深さや環境保全の重要性を広く一般に伝える。









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ニセコ
place
北海道

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