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WORKING FISHERMAN vol.9 大野漁協 島田水産 島田泰昌さん

ノルウェー発祥のアウトドアブランド、ヘリーハンセンは、1877年、商船隊の隊長だったヘリー・J・ハンセンが、極寒の海で働く漁師のために、激しい雨や雪、寒さなどから身体を保護する防水ウェアをつくったのがはじまりだった。「H […]

08/02/2018

ノルウェー発祥のアウトドアブランド、ヘリーハンセンは、1877年、商船隊の隊長だったヘリー・J・ハンセンが、極寒の海で働く漁師のために、激しい雨や雪、寒さなどから身体を保護する防水ウェアをつくったのがはじまりだった。「HELLY HANSEN × PAPERSKY WORKING FISHERMAN」は、各地で活躍する若い世代の漁師を訪ね、漁師という職業の魅力や仕事にかける想いを通して、創業時より変わらないヘリーハンセンの精神を再確認していくシリーズ企画。第9回目は、広島県廿日市市の大野瀬戸へ。
広島市の西に隣接し、瀬戸内海に面した港町・廿日市市。広島の牡蠣は生産量日本一を誇り、牡蠣の養殖は300年以上の歴史を持つ。広島湾は満潮と干潮の差による大きな干潟が形成されることや、中国山地から海に流れ込む河川水がほどよい塩分濃度や豊富な植物プランクトンをもたらすことで、良質の牡蠣が育つ環境が整っているのだ。島田泰昌さんは高校卒業後、18歳で牡蠣漁師になった。現在は「島田水産」3代目として、牡蠣の養殖と販売をするかたわら、牡蠣小屋の運営にも力を注いでいる。
「子どもの頃から父の仕事の手伝いをしていたので、いずれ漁師になるものだと思っていました。高校の時には、早朝に牡蠣を獲った後に登校する日もあったほどです。家族経営で従業員も少なかったし、誰かが怪我をしたからと授業中に呼び出されて、しばらく代わりに漁に出たこともありました。高校卒業後は、家業の牡蠣漁師の道へ。最初は父と二人で漁に出て、いろいろ教えてもらっていましたが、18歳の時から、いつか父が倒れるかもしれない、いざという時は自分がやっていかなきゃいけない、という思いをずっと持って仕事をしていた気がします。4年ほど前からは、牡蠣の筏の動かしかたも、水揚げも任せてもらえるようになりました。
牡蠣の水揚げ期間は、10月2日の解禁日から5月末ごろまでで、水温が下がりきった2月頃が一番おいしいです。冬の海は寒くて冷たいですが、とにかくつらいのを我慢しながら作業しています。水に濡れた手が冷たくなりすぎて、痛くなることも。海の上に湯気が立つぐらい、気温より水温の方が温かくなるから、むしろ水に手をつけたくなるほどです。
広島の牡蠣といえば、以前は牡蠣打ちをしたむき身が主流で、殻付きは珍しかったのが、近年のオイスターバーの人気もあり、殻付きのものの付加価値が上がっています。最近は市場やスーパーでもなかなか売れないので、料理店に直接卸したり、牡蠣小屋で食べたお客さんがネットで注文してくれることが多いですね。年によって種の獲れる量が変わっていて、最近は2、3年に1度は不漁で困っています。海の浄化施設の技術が高まったことで、海がきれいになりすぎて、菌やプランクトンが減少していることが原因なのではと思います。
牡蠣小屋は10年ほど前から始めましたが、当時は広島の牡蠣といえば、料亭などの高級店でしか食べられず、家族や友人と気軽に行けて食べられる店がほとんどなかったんですが、平清盛のドラマが放映された頃から、県外からだけでなく、東南アジアやヨーロッパからのお客さんも増えていきました。その分、獲る牡蠣の量も増えて、今が一番忙しくなっています。
将来的には、いつか「牡蠣船」を復活させることが夢です。江戸の頃から、広島で獲れた牡蠣を船で運ぶ牡蠣船を経営していて、かつては京都の鴨川沿いで高級牡蠣料理店「かき春」として営業していたこともあるのですが、2001年に祖父の兄弟の代で閉店してしまって。子どもの頃に父から牡蠣船の話を聞かされていたので、先代より受け継いだ牡蠣船の看板を掲げて、たくさんの人に自分のつくった牡蠣を使った牡蠣料理を食べてもらいたいですね。」

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