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Sounds Of Petrópolis ペトロポリスの音楽家たちを訪ねて

リオの中心部から車で1.5時間。ペトロポリスの山々は、古くからカリオカたちにとって大切な場所だったという。ここに拠点を構える著名ミュージシャンを訪ね歩き、山々がもつオーラと音楽創造の関係について、僕らは会話を重ねた。 多 […]

11/15/2016

リオの中心部から車で1.5時間。ペトロポリスの山々は、古くからカリオカたちにとって大切な場所だったという。ここに拠点を構える著名ミュージシャンを訪ね歩き、山々がもつオーラと音楽創造の関係について、僕らは会話を重ねた。
多くの名盤を生み出したトム・ジョビンだが、73年発表の『Matita Pere』を最高傑作に挙げるファンは少なくない。このアルバムに収められた曲のなかでも、とりわけ『三月の水』は屈指の傑作。不思議なリズムに乗って、歌詞にはこんな言葉がズラリと並ぶ。「小石」「切り株」「人生」「夜」「死」「銀色」「空の鳥」「薪」「朝の光」、そして終盤の締めくくりに置かれた一節が、「夏を終わらせる三月の水」。なんともミステリアスだが、優しく弾むメロディと言葉の断片が、たしかにひとつのストーリーを紡ぐ。頭に浮かぶのは海辺のにぎやかなシーンではなく、もっと静謐で神秘的な情景。その実、ジョビンは海抜800mを超える山の別荘でこの曲をつくったのだ。その別荘がある高原エリア、ペトロポリスを僕らは目指した。200年以上も前からカリオカにとっての避暑地であり、音楽の創造におけるヒントが潜む場所。ここには今でも多くのミュージシャンが家を構えているという。
まず初めに会ったのはハープ奏者のクリスティーナ・ブラガ。コーヒー・バレーとも呼ばれる豊かな森の奥、豪華なゲストハウスで、彼女と語らう。
「カポエィラは、かつてこの地で労働に従事していたアフリカ人奴隷が、母国を偲んで歌い踊られたもの。今では格闘技として知られるこの音楽だって、リズムをよく聴いているとボサノヴァに影響を与えたことが理解できる。ブラジルにはポルトガル人をはじめ、歴史上、じつに多くの人種が移住してきた。だからこそ、あらゆるものを受け入れ、取り込み、最良の道を探していくという精神が生きている。だから、ショーロやサンバ、その他のさまざまなジャンルを呑み込んでできたボサノヴァは、いかにもブラジルらしい音楽だといえるかもしれない」
近くの村から民族音楽を演奏するバンド「Caninha Verde」を招き、僕らにその音楽を紹介してくれたクリスティーナ。200年以上前から地元で愛されるシンプルな歌と踊りは、ポルトガルから伝わってきたメロディとアフリカのリズムが一体化したものだという。
「彼らはもともとサトウキビをスティックにして、打楽器として利用していた。使えるものはなんでも利用して、新しい音楽を生み出してしまうのがブラジル人。この3拍子のスイングも、ずっと聴いていると、ボサノヴァのリズムにシンクロしてくるでしょう。こんな風にボサノヴァからは壮大な歴史さえ感じられる。アフリカからの影響は、あらゆるブラジル音楽に薫る、重要なフレーバーだと思う」
緑が豊かでたくさんの新鮮な食物が手に入るペトロポリス。加えて、夏でも涼しく過ごせる環境ゆえ、多くのクリエイターがこの土地での時間を大切にする、とクリスティーナは教えてくれた。彼女が奏でるハープの音色を耳に残しながら、僕らは次の場所へと向かう。
「家はリオの街なかにあるんだけど、週に4日はペトロポリスの別荘で過ごすんだ。ここでは集中して、いろいろなことを考えられるからね」
こう話すのはサックス奏者のマウロ・セニージ。長年、ジャズ畑でプレイを続けているが、ボサノヴァへの愛情ももちろん深い。
「多くの影響を受けたボサノヴァだけど、ジャズとの距離は特に近い。メロディの構成は異なるけど、スピリチュアルな即興的思考、リッチなハーモニーは同じ感覚だ。リオでは今でも、それぞれがいい影響を与え合っていると思うね」 
リオの喧噪とペトロポリスの静けさ。このギャップを楽しみながら、創作を続け、技術を磨いているというマウロ。そんな彼に、ブラジル人ミュージシャンの特徴を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「いちばんの違いは、ブラジルでは独学を大事にするってところだ。ブラジルでは血に流れるスイングを大切にするっていうか、自分らしさは何かということを誰もが考えている。学校で習ったことをそのままプレイしても、みんな同じ音になっていくよね。いい演奏ができたとき、褒め言葉としてよく「So Beautiful、So Different」と言われる。テクニックなんてどうでもよくて、他人とは異なる窓を開けて、開けて、開け続けることが重要なんだ。だからブラジルではいい音楽が生まれ続けるんじゃないかな」
今では、経済の中心がサンパウロに移り、リオで開催される音楽フェスやクラブの数もめっきり減ったと嘆くマウロ。それでも彼はリオに住み続けたいとにこやかに言う。
「音楽をはじめ、文化的にもサンパウロは発展している。だけど交通渋滞とか公害はちょっと厳しいよね。海と山がリオのブライドだし、こういう環境が名曲を生んできた。住む場所はリオ以外、考えられないね」
マウロと同様、フランシス・ハイムもペトロポリスで創作を楽しむひとり。これまでクラシックの世界で多大な業績を上げてきた音楽家だ。彼もリオの中心部に家をもち、ペトロポリスの別荘で週末を過ごすことが多い。交響曲、映画音楽の制作やボサノヴァミュージシャンとのセッションも多いフランシス。美しい緑に囲まれた別荘で、日々の創作について、言葉を交わした。
「ここではあまり音楽を聞かず、頭のなかでイメージすることとか、歌詞の制作に集中している。ものをつくるには静かな時間も大切だからね。こういう山のなかで過ごしているから、最近はどんどん、自然について歌詞を書くことが多くなってるよ。クリエイティブな空気が、この山にはつねに漂っている」 
1950年代後半、スイスでエンジニアリングを学んでいたというフランシス。本格的に音楽の世界へ入るきっかけはやはりボサノヴァだった。
「スイスにいたとき、ジョビンの曲を初めて聴いて、すぐにブラジルへ帰国しなきゃいけないと直感したんだ。私の親も音楽をやれと言うものだから、私もその気になってね。だから私の基礎はスイスでよく聴いていたクラシックと、ボサノヴァのリズムなんだ。交響曲を作曲、演奏するときだって、ボサノヴァフィーリングを意識している。ジョビンのラジカルなリズムとハーモニー。そしてジョアン・ジルベルトのシンプルで独特の奏法。そしてスイスでよく聴いたストラヴィンスキー指揮の演奏や数々の交響曲。それらが一体となって、私のなかに生きているんだ。今でもね」
6歳のときからピアノを始めたというフランシス。当初は音楽の道へ進むことなど考えてなかったというが、その進路はボサノヴァによって大きく影響を受けた。ボサノヴァの登場以降、彼のピアノに対する考え方も変わったという。
「ボサノヴァの解釈は人それぞれだけど、ブラジルの音楽家なら誰もがこの音楽から何かを吸収している。その影響力は計り知れないし、どれだけ時が経ってもこの国に波及し続けると思うよ」
ペトロポリスの丘で、僕らは多くのミュージシャンから数々の印象的な言葉をもらった。そしていよいよ、ジョビンが住んでいたという土地、ポッソ・フンドに辿り着く。『三月の水』や『パサリン』などの名曲が生まれた伝説の別荘。周囲からは、鳥の声や川のせせらぎ、木々の揺れる音が渾然一体となって耳に届いた。生前、「森に入れば、アイデアが自然と頭に降る」という言葉を残したジョビン。リオが誇る自然は、決して海だけではない。この豊かな緑があるからこそ、ジョビンをはじめ、音楽家たちは閃き続けてきたのだ。たしかにここでは、大地や川の躍動、火の暖かさや恐さ、さまざまな動物と植物の生死が間近に感じられる。リオから生まれた多くの名曲の源泉は、この山々にある。ジョビンが毎朝、ピアノを弾いていたという陽当たりのいい部屋で、僕らはたしかに納得できた。
» PAPERSKY #50 Rio de Janeiro | Bossa Nova Issue