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旅のパートナー・伊藤ゴローさんと巡るブラジルの旅

1950年代後半、リオデジャネイロで革新的な音楽が生み出された。太陽と海と山々の緑、人々の情熱によって育まれた音楽はいつしかボサノヴァと呼ばれ、世界中のリスナーを夢中にさせていく。そんな歴史の痕跡を確かめに、ブラジルを目 […]

05/06/2016

1950年代後半、リオデジャネイロで革新的な音楽が生み出された。太陽と海と山々の緑、人々の情熱によって育まれた音楽はいつしかボサノヴァと呼ばれ、世界中のリスナーを夢中にさせていく。そんな歴史の痕跡を確かめに、ブラジルを目指した。パートナーは音楽家の伊藤ゴローさん。1日に何杯もの珈琲を飲みながら、ボサノヴァの精神を探る旅は続いていく。
ボサノヴァといえば海辺で聞くもの。といったステレオタイプなイメージが、多くの日本人には定着しているだろう。砂浜の感触、太陽のヴォルテージ、潮の香り。リオの海辺を歩いていると、ボサノヴァのメロディと歌詞がどれだけこの街にフィットしているか、すぐに気づける。ただ、事実はそうシンプルでもない。1950年代後半、たしかにボサノヴァはこの街で生まれた。でも、この革新的な音楽は、海辺の恋やブラジル人特有のサウダージ(郷愁)を気持ちよく聞かせるためだけに、つくられたものではなかった。その創造の核心に存在したスピリッツ、今もリオに受け継がれるボサノヴァフィーリングとはどのようなものか。そんな好奇心のアンテナをセットし、僕らは熱気の充満する街をひたすら巡った。毎日のように、ボサノヴァを愛し続けるミュージシャンたちに会い、活気溢れるレコード店を探索し、汗にまみれれば目の前の海へ。そんな日々を続けている間に、頭のなかにこびりついていた先入観は溶け去り、ボサノヴァの響きが以前とは異なる感触で耳に届くようになっていった。洒落た響きをもつ旋律は、不協和音の集積であったり、突飛な転調の連続であったり。ナチュラルで心地よいと感じていたメロディラインが、じつは斬新な音符の選択や曲全体の複雑なデザインによって構成されている。よく聴き込めば、リズムだってサンバやジャズをにおわせるパターンが感じられるし、音の流れのなかにはクラシックの要素さえ垣間見える。乱暴にまとめれば、ボサノヴァとは混沌としたさまざまな断片を芸術的なまでに融合させ、心地よく仕上げるという美学そのもの。僕らの出会ったすべてのミュージシャンが、この音楽の複雑性とミニマリズムを強調し、ナチュラルで人間味溢れるその曲調を、カリオカらしい音楽、と表現した。
ともに旅した伊藤ゴローさんもボサノヴァの不思議な香りに誘われ、キャリアを積み重ねてきたミュージシャン。10代前半のころにこの音楽に初めて触れ、以来、自分だけのオリジナリティを求めて続けてきた。
「中学生のときに僕のなかでブームが起きて。学校で自分にあだ名をつけるという機会があって、僕はそのとき、ボサノヴァと名乗ったくらい(笑)。明るい曲調なんだけど悲しくもあるし、なんだか泣き笑いのよう。タイトルにしても『おいしい水』なんて少し変わってるし、歌詞の耳障りもいい。なんだか全体の不思議な空気に惹かれたんですよね」
その後、クラシック、ロック、ソウルやケルトなどの伝統的な音楽やさまざまな音に触れ、演奏を続けてきたゴローさん。社会人になってしばらくは音楽と縁のない仕事をしていたものの、20代後半、本格的に音楽の道へ入っていく。
「ボサノヴァの世界を知りたい、解明したいという純粋な気持ちからスタートした。人に教わるのが嫌いなので、ひたすらレコードを聴いてね。そんな時間のなかで、最初の印象はビーチで聞く気軽な感じだけど、じつはハーモニーが緻密で繊細だなとか、トム・ジョビンの曲からはクラシックやジャズも感じられるなとか、結果的に音楽の基本的なことをボサノヴァから吸収し、再確認していったんです。たとえばジョアン・ジルベルトは自分のギターと歌だけでひとつの世界をつくろうとしていた。しかも普通の音楽家の何倍も時間をかけて仕上げていく。それはまるで木をコツコツと彫り続けて、行き着いたのはまったく予想のつかなかった彫刻といった感じ。誰に聞かせるともなく、少しずつ曲を自分のものにしていくのが僕も好きだったから、彼のようなスタンスに共感できた。ブラジル音楽をそのままなぞろうとは思ってなかったし、自分だけの音楽を突きつめたかった。だからブラジルに初めて来たのも40歳を過ぎてからなんですよね」
リオを訪れたのは今回で4度目。毎回、この街のミュージシャンとジョイントし、レコーディングするための旅だった。ブラジルのミュージシャンとのセッションでは、いつも多くの気づきが舞い降りるというゴローさん。とりわけ大きな影響を受けたのは、リオに住むギタリストのマリオ・アヂネーだった。ジョビンやジョアンの精神を受け継ぎながらもオリジナルの音楽を模索するその姿勢に、刺激と確信を得たという。
「彼の家で一緒にギターを弾く機会が何度かあった。ここはこうして弾くんだとか、なんでそんなことができないのかとか言われながらね(笑)。まるでサッカーのパスまわしのような時間が続いて僕が感じたのは、自分ならこうやって弾くというマリオの強い気持ち。彼らブラジルのミュージシャンは自分らしい表現には妥協しないし、そこにこそすべてを懸けている。そして、サッカーと同様、人のできないことをスマートにスピーディにやるという彼らの美学を、リオでの演奏ではいつも感じるんです。特にボサノヴァにはそういう精神が色濃く反映されているんじゃないかな。どこにもない新しいものをシンプルにつくっていくという意志。それを達成できた人を賞賛するというのがブラジルの文化ですよね」
そんな会話を交わしながら、僕らは次から次へとミュージシャンに会う。待ち合わせは決まってそのエリア自慢のカフェだった。注文するのは、たっぷりの砂糖を加えて飲むブラジル特有のエスプレッソ、カフェジーニョ。とびきりの甘さを感じながら、店内で演奏するバンドの音に聴き入る。編成はフルートにギター、タンバリンのようなパンデイロ、そしてカヴァキーニョと呼ばれる弦楽器だ。彼らが奏でるのはリオで誕生した音楽、ショーロ。19世紀にポルトガルから伝来したクラシック音楽をもとに、カリオカたちがつくったひとつの発明だ。コーヒーを口にしながらゴローさんは言う。
「リズムを感じればわかるけど、ボサノヴァの誕生にはショーロもヒントになってる。リオでは世代を超えて今でも聞かれているよね。カリオカたちはボサノヴァだって、サンバだって、この街で生まれたいい曲なら時代を問わず、共有してる。それも誇らしげに。そういう部分がうらやましいし、リオにいるといっそう、自分らしい音楽、日本人にしかつくれない曲を追求しなきゃと、自分の方向性を確認できる」 
そして僕らはリオの喧噪を離れ、車で約1時間30分、ペトロポリスの丘を目指した。19世紀、コーヒー生産の中心地として繁栄した古都。ジョビンが別荘を構えたことでも知られる森の奥深くへ。カリオカたちは何を見て、聞いて、感じ、革新的な創造を成し得たのか。リオの街が発する鼓動をたしかに意識しながら、旅は続いていった。
 
伊藤ゴロー | Goro Ito
音楽家。青森県生まれ。ジョアン・ジルベルト直系と言われるボサノヴァデュオnaomi & goroとして、また、ボサノヴァフィーリングを感じさせる独自の音楽を追究しながら、クラシック、ロックと幅広くジャンルを横断。自身の楽曲だけでなく、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏らとの共演や映画音楽、原田知世他のプロデュース、詩人・平出隆との活動も行う。ブラジルのミュージシャンとも親交が厚く、ジャキス&パウラのモレレンバウム夫妻との共演は海外でも話題を呼んだ。
» PAPERSKY #50 Rio de Janeiro | Bossa Nova Issue