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水に囲まれた別荘地、ティグレ・アイランドへ|アルゼンチン

ブエノスアイレス北東約30km、デルタ地帯の群島「ティグレ・アイランド」は自然のなかでの暮らしを求める人々が集まる水辺の別荘地。島に住まい、その姿を撮りつづける写真家を訪ねた。 ブエノスアイレスを地図で見ると、大きな入江 […]

04/03/2014

ブエノスアイレス北東約30km、デルタ地帯の群島「ティグレ・アイランド」は自然のなかでの暮らしを求める人々が集まる水辺の別荘地。島に住まい、その姿を撮りつづける写真家を訪ねた。
ブエノスアイレスを地図で見ると、大きな入江に面した街であることがわかる。その入江は北西から大西洋へと注ぐラプラタ川の多くの支流が流れこむ河口であり、ブエノスアイレスの北東部にはそれらがつくるデルタ地帯が広がっている。ティグレ市はそうしたラプラタ川水系のパラナ川河口のデルタ地帯に面した街。「ティグレ」はスペイン語で「虎」を意味しており、19世紀の開拓期にこの土地で虎やジャガーが捕獲されたことに由来するそうだ。この街は「メルカド・デ・ラス・フルータス」(果物市場)という大きな市場があることで知られている。といっても現在は果物だけでなく、革や籐製品、家具、食料品、土産物などさまざまな店が集積する一大ショッピングタウンであり、博物館や遊園地、カジノなどの施設も擁する人気の観光地でもある。週末になると多くの人々でにぎわうこのエリアに、じつはもうひとつの顔がある。デルタ地帯の小さな群島(ティグレ・アイランド)に、週末やバカンスを過ごすためのセカンドハウスが集まっており、それぞれの小さな島で静かな暮らしを営んでいるのだという。メフンヘの友人のフォトグラファー、イグナシオ・イアスパラもこの島内に家族とともに過ごす住まいをもつひとり。彼の「別荘」を訪ねることにした。
市内レティロ駅から鉄道に乗り、ミトレ線でティグレまで約1時間。そこから「ランチャ」と呼ばれる定期船に乗り換える。このフェリーはこの島々に住まいをもつ人々の唯一の公共交通手段であり(島内に道路はなく、車で乗り入れることはできない)、島には観光施設はないので、乗客はほぼこの島の住人かその関係者ということになる。幅30mくらいの穏やかな流れの水路を、のんびりと進む船やボートが行き交う。窓から見えるのはワイルドな島の自然だ。管理されていない木々や草花がぼうぼうと生え放たれている、その姿はなかなか気持ちがいい。これもひとつの「アルゼンチンらしさ」だ。それぞれの島に建ついろいろなスタイルの別荘を興味深く眺めながら1時間ほど経ったころ、イグナシオの家のある島に到着した。彼は2005年から週末用の別荘としてここに住みはじめ、いまは奥さんと2歳になる娘のクレアと多くの時間を過ごしているという。
桟橋から歩いてすぐの住まいとその庭は木々に囲まれていた。小さくかわいらしい小屋は電気は通っているものの、必要最低限の設備しかなく、日本人の多くが「別荘」と聞いて想像するものとは大きく異なっている。聞けば、家賃もとても安いのだそうだ。じめじめとした沼地の多いこのエリアは、お金持ちの人々が好む場所ではないらしい。「昔からこの島は、はぐれ者(Outcast)みたいな人たちが多く住んできた歴史があるんだ。都会での暮らしを捨てた、ちょっとした世捨て人みたいな人たち、たとえば、左翼の活動家みたいな人たちとか。そこがおもしろいんだ。だから、この島に住む人々は、プライバシーを保ってつきあいしている人が多いね」。
家ごとに桟橋があり、家と家の間隔も広いので、たしかに隣近所を気にすることもない。都会の喧騒を離れてゆっくりと過ごすにはもってこいの場所だね、と話すと、「ただし、大量の蚊と戦わなくてもいい時期なら、ね」とイグナシオはにやりと笑った。
庭でバーベキューをしようと、みんなで準備を始めた。「火をつけるのは、伝統的に男の仕事さ」とイグナシオは手慣れた手つきで炭に火を熾す。女性たちは牛肉に塩とニンニクで味つけをする。フルーツは、庭のマンダリンの木からもぎ取った果実。「マンダリンとマテ茶はバッドコンビネーションだよ。一緒に飲むと、お腹を壊すよ」とイグナシオ。肉、チョリソーと一緒に、「モルシージョ」と呼ばれるブラッドソーセージも並べた。濃厚で塩気があり、うまい。
庭でくつろぎながら、イグナシオが自分の写真作品を見せてくれた。彼はこの島で過ごすようになって以来、ずっとこの島の各地を撮影するプロジェクトをおこなっているという。
「この島の自然に惹かれて写真を撮りはじめたんだ。Juan Laurentino Ortizという、自然のなかで暮らしながら詩を書いたアルゼンチンの詩人がいて、彼にも影響を受けた。日本の俳句にもね。だけど、僕の作品はいわゆる『ランドスケープフォト』ではないよ。僕が撮る写真は『それがどこであるか』がはっきりとわからないようになっている。場所がもっている経歴よりも、そのフィーリング、とくに光のありかたに興味があってね。島を歩いて、じっくり観察して、なんでもない、特別でない場所のなかに美しさを見つける。この島は小さいけど、だからこそ細かい部分がわかるようになってくるんだ。光は季節によっても、時間によっても変わるからね」。
島のさまざまな場所を撮ったイグナシオの写真は、たしかにどこであるかわからない、匿名的なモチーフになっているけれど、その美しさや明るさ、暗さ、そのすべてが日々移りゆくこのティグレ・アイランドの自然の記録でもあるといえる。「僕の写真はシンプル。なにも手を加えたりしない。光と影だけを使って表現する」という彼の作品はドキュメンタリーのようでもあり、どこか抽象絵画のようにも見えることもある。
「僕の父はフォトグラファーだったんだ。僕はブエノスアイレスから3時間くらいの田舎で育った。市内の大学で経済学を学んでいたけど、20歳のとき、将来を決めなくちゃいけなくなって、自分になにができるかと考えて、やっぱり写真をやることにした。田舎に帰りたくなかったからね(笑)。7年間、ワークショップなどをやったり、いまはエキシビションや写真集の制作、ギャラリーのキュレーションの手伝いなどもしているよ。ここで暮らすようになってから、じっくり考えることが多くなって、わかってきたことも多い。それにつれて、写真もよくなるし、やりたいことも増える。毎年、いろいろと考えながらやっているんだ」
ティグレ・アイランドはまったく豪奢な別荘地ではない。グロサリーショップもなければカフェもない。しかし、そこには光と影があり、たっぷりの木々と水がある。この島に「なにもない」と感じるかどうかはその人しだいでしかない。そして、一見「なにもない」ように見えるからこそ、そこに美しいものを発見するという楽しみが生まれる。それを享受するのは、アーティストたちのように自由な精神をもった、現代の「はぐれ者」たちなのかもしれない。
 
This story originally appeared in PAPERSKY’s ARGENTINA | ART Issue (no.43)