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  • Papersky No.15

立ち現れる風景|角田光代 インタビュー

, 2013/11/27

直木賞受賞作家という肩書きもなければ自らの名前もない旅のなかへ。「場所と人の関係というのは、恋愛にひどくよく似ていると思うときがある」と、自身のエッセイ『恋愛旅人』で語るとおり、角田光代さんはまとまった時聞がとれるとそそくさと荷物をまとめ、恋人に会いにいくがごとく旅へとでかける。彼女のスタイルは、とにかくよく歩くこと。自分が住んでいる町でも迷うほどの方向音痴だからなのか、何日もかけて町中を歩きまわって観察する。それはまるで、そこで暮らす人の生活や習慣、匂い、音といった町そのものを体の中に染み込ませていくかのように。路地や家の中、屋台といった、今、見えるものだけでなく、時間を越えた普遍的な空間そのものを見つけるかのように。そうして夜は土地の酒を飲んで、さらに町との距離を縮めていく。そこで彼女は丸い目をじっと見開き、新しい友人の顔をのぞき込みながら、興味深げに話しに耳を傾ける。そんな観察者であり表現者である角田さんの、視線の先にあるものは…。

 
“初めての男”がタイだった

——角田さんの小説を読んでいると『キッドナップ・ツアー』や『対岸の彼女』 、『ギャングの夜』などに、印象的な子供時代の旅の話しが出てきますよね。実際、角田さんは小さい時からよく旅行していたんですか?

角田: いえ、あんまり(笑) 。親が共働きだったので、夏休みに行けるかどうかで、行けたとしても関東近県。すごく近場の伊豆や鎌倉、長野ぐらいでしたね。あまり外に出なかったので、どこに何があるのかっていうのも、そもそも知らなかったんです。世界がすごく狭かったんで。

——その後、大学も出て、小説家としてデビューをしたあと、のめり込むようにして旅することを始めたんですよね?

角田:学生時代にも行ってはいたんですけど、その土地に詳しい女友達とだったりツアー旅行だったりで、まぁ楽しかったんですが、夢中になるほどではなかったんですよね。それが24歳の時、何も決めないで男友達とタイに1 カ月半行って。今までのツアー旅行や女友達との旅行とは全然違ったので、すごくのめり込むようになった。で、次の年、ひとりでタイからマレーシアまで南下するっていうのをやったんです。

——『いつも旅のなか』などのエッセイで、よく旅を恋愛に例えていますよね。タイが初めての男って(笑) 。

角田:そうですね、衝撃的な恋でした。1991年に行ったんですけど、まだタイがものすごく貧しかったんですね。街を歩くと物乞いがいたし、ご飯を食べていると物乞いの少年が来たり。全体的に汚かったんです、バンコクの街が。市場に行くと、肉をかっさばいて血が流れてハエが飛んでいて、それを売っているとかね。そういう汚い部分が、その時の日本にはもうすでになかったんです。日本はみんな隠すじゃないですか。匂いも隠すし、血も隠す。どんどん隠していったものが、タイでは全部表面に出てたので、…何ていうか、すごくリアルだと思ったんですよね。それがいちばん大きかったですね。

——その後、いろいろなところへ旅をするようになって、訪れた国は全部で28カ国くらい。やっぱり、それは恋するトキメキを求めて(笑)?

角田:なんかね、やっぱり最初の男の影を追い求めている気がしないでもないですね。ああいう直に入ってくるショックみたいなものを、どこかで求めている。同じところに行くんじゃなくて、行ったことがないところへ必ず足が向いちゃうのも、だからかなあって思ったりします。

 
過去と現在、時間を丸ごと手に入れる快感

——旅を始めた当初と今とでは旅のスタイルが変わってきたとのことですが、始めはいわゆるバックパッカーだった?

角田:いちばん最初は違ったんですけど、あの24歳の旅の時は完全なバックパッカーです。

——バックパッカーのバイブルと呼ばれている本がいくつかあると思うのですが、角田さんにとってそういう存在はあった?

角田:私はね、金子光晴が好きで。『どくろ杯』ですね。それから開高健が書いたもの。すごく好きなのが『地球はグラスのふちを回る』っていう旅行にまつわるエッセイ集と、やっぱり『輝ける闇』。こういうちょっと昔の時代の、海外旅行がまだ一般的じゃなかった時に行ったものっていうのが好きですね。それで、ついこの前、林芙美子の『下駄で歩いた巴里』っていう文庫を読んだら、彼女こそまさに元祖バックパッカーだったなぁと思って。

——あれ旦那さんをおいて出掛けちゃったんですよね。

角田:そうそう、お金は全部彼女が持ってね(笑) 。

旅先には本を持っていくんですか?

角田:はい、持っていきますね。2週間の旅行だと文庫本3冊で、1カ月だと5冊くらい。その土地について、昔、書かれたものがあれば1~2冊入れて、あとはなかなか読めなかったものとか。

——その土地にまつわる本って、例えばどんな?

角田:昨年キューバに行った時は、へミングウェイの『海流のなかの島々』。今年は中国のウルムチに行ったんですが、その時は林芙美子の『下駄で歩いた巴里』。ウルムチは出てこないんですけど、北京からずっと電車で旅行していくので中国つながりで。あとはマレーシアには金子光晴の『マレー蘭印紀行』。

——やっぱり古い本が多いんですね。

角田:好きですね。金子光晴の本で思ったんですけど、もう何十年も前に書かれている言葉から立ち現れる風景っていうのと、何十年後かの今、自分が歩いて見ている風景とが、ふっと重なる瞬間があるんですよね。それがものすごいんですよ。時間を自分のものにしたような快感があって。実際にキューバではヘミングウェイの邸宅に行って、そこからタクシーでハバナの街へ降りていき、彼がよく通っていたフ口リディータという飲み屋に行ってみると、当時とはもう全然光景は違うのだろうけど、あっ、ってわかる瞬間があるんです。何がここに書かれているのか、どの空気を書いているのかっていうのが。それはもう本当にうれしいことですね。

——それは行間を読んで感じることも含めて?

角田:そうですね、でもやっぱり言葉が見せる風景。へミングウェイがキューバの家から車に乗って、ずっと街まで降りていく道が坂道なんです。その坂の途中にすごく貧しい老夫婦が住んでいる掘建て小屋があるっていう記述が小説にあって、でももうそんな小屋もなく住宅がズラっと並んでいる。けれど、その丘の上からハバナの街の景色と掘建て小屋があったであろう雰囲気というのが、タクシーの中からわかるというか…。

——言葉から時代を超えた時聞が立ちのぼって、自分と重なっていく…。

角田:そう、時聞を丸ごと手に入れちゃったような、自分のものになったような快感があるんですね。

——手に入れるのは場所ではなく、時間。

角田:そうですね。光景ってずっと変わっていくじゃないですか。たぶん今見ている光景も20年後には違うと思うんです。だからその場所というよりもやっぱり、変わっていくこと。景色が変わっていくことと、でも、何か変わらないものがあるっていうことを、変化も不変もひっくるめた意味での時間というものとして捉えちゃうんですけどね。

 
旅先のショックで生まれた小説

——旅先で仕事することはあるんですか?

角田:はい、あります。最近はとくにいつもそうです。必ずパソコンを持っていって、夜に打っていることが多いですね。

——それはプロットとかではなく…。

角田:締め切りが迫っているものを(笑) 。

——旅先だからこそ生まれる小説もあるんですか?

角田:昔はあったんですよね。24歳で初めてタイに行った時に、ものすごくリアルで生きるっていうことがむき出しになっているのが、すごいショックで。それって小説のテーマとすごく近しいというか、受けたショックの反動で、それまで考えもしないことを考えて小説が書けてしまったことがあったんですね。ただそれが30歳前後くらいになって、小説が書けなくなった時、逆に海外に行けば書けるだろうって、どこか旅に頼っているところがあって…。でも、それで行っても小説は書けないんです。もうそうそうショックも受けないし、受けたとしても、刺激の種類がわかっちゃっているので。

——むき出しになっているものにショックを受けて書けてしまった小説というのは?

角田:タイに行ったあとに書いたのは『ピンク・バス』という小説なんですけど、タイとか外国とか一言もでてこない日本での話し。汚いものや不必要なもの、自分にとって邪魔なものを排斥するというテーマなんです。排斥するというのはどういうことなのかというのが、その時私が書きたかったことで、それはもうタイ旅行に行かなければ書けなかったことですね。

 
自分をさらけださない最後の砦が“旅”だった

——『いつも旅のなか』のあとがきに、これまでは旅について絶対に書かないようにしていたとありますが。

角田:正確に言うと、この本の前に『恋愛旅人』という本を2001年に出してはいるんですね。なので、旅について書いてはいるんです。けれど、もともとひとり旅を始めた頃は、これを書くことはやめようって自分に言い聞かせていたところがあって、だから『ピンク・バス』も、舞台設定をわざわざ日本にして書いているんです。

——なぜ、それほどまでして書かないように?

角田:やっぱりねえ…、書くことってもともとプライベートと仕事の区別が、すごくつきにくい。ほっとくと全部一緒くたになるんで、旅だけは最後の砦みたいに守っておきたいなと思っていたんですよね。例えば恋愛も、結局書いてしまう。自分のことをそのまま書くわけじゃないですけど、自分が恋愛をして何を思ったか、内側のノンフィクションみたいなものをやっぱり書いちゃうわけで、そうすると自分をさらけだしているような感覚がすごくありますよね。で、絶対にさらけださなくてもすむものをひとつ持っていようと守っていたわけです、20代の頃。

——それが書いてもいいと思うようになってきた。

角田:多分、30歳過ぎた頃かなぁ。何かすごく大きなことがあったわけではないんですけど、やっぱり人が書いた紀行文が好きだっていうのもあるし、あと、どんどん遠ざかっていきますよね、過去の旅が。それを書いておくことで、覚えておきたいなっていうのがありましたね。

——実際書いてみて、さらけだす感覚は?

角田:思ったほどないですね(笑) 。

——書くときはどのような思いで書いている? もう一度、その場所を旅するような感じ?

角田:そうですね。思い出しながら書いていると、景色が目に鮮やかに浮かんできます。

——本当に。読んでいても角田さんの心情を通した風景描写がものすごく克明に浮かんできました。旅の間の記録はどうしているんですか?

角田:ノート1 冊買って持っていって、お小遣い帳と食べたものと感想を一日ごとに書いていくっていうのは毎回やっています。詳しく書いてある日もあれば、食べたものを書くだけだったり。

——すると、風景の描写っていうのは手帳に書いているわけでは…。

角田: ないですね。風景は書いていない。その日記で何を食べたとか、何を買ったとかを見ていくと、ウワーっと思い出してきますね。びっくりするくらい鮮やかに。

——今まで普通に生活していて思い出さなかったこととかも…。

角田:思い出します。日本でもそうで、家計簿をつけているんですけど、家計簿の最後にその日に会った人と食べたものを書いておくんです。で、10年前からつけていて、当時のものを見ても、食べ物と人を見ただけで思い出すんですよね、その日のことを。すごいですよ、人間の記憶力は(笑)

 
60歳までに“紀行文”を書いてみたい

——実際、旅について書くのと、小説を書くっていうのは、違うものですか?

角田:全然違いますね。今、私にはすごい野望があって、紀行文を書きたいんです。開高健や金子光晴が書いたものって紀行文だと思うんですよ。ただ今の時代、もう誰でもがその場所に行ってその風景を見られるようになってしまうと、紀行文ってすごく成立しにくい。旅のエッセイはみんな書けるし、私も書けるんですね。でも紀行文というものを今、書く人がいないとずっと思っていて、できればいつかは私も紀行文を書きたい。60歳くらいになるまでに書けたらいいなぁと思います。

——エッセイではなく紀行文…。角田さんのいうエッセイと紀行文の違いって?

角田:『いつもの旅のなか』はやっぱり旅のエッセイだと思うんですね。エピソードがあって、風景が浮かぶこともあるけれども、浮かばないこともある。多分あれを30年後とか50年後とかに読んだ時に、その同じ場所を旅している人が、同じ光景を立ち上がらせて50年後の今と合わせて見ないと思うんですよね。あぁ、50年前はこうだったんだ、こんなことがあったんだって読むと思うんです。もしそれが、紀行文だとしたらどうか。紀行文っていうのはエピソードがなくても成立して、そしてさっき“読み手が時聞を手に入れられる”って言ったけど、どれだけ時聞が経っても変わらないその場所の本質っていうのを書いてしまうことができる。

——変わっているのに、変わらない本質。

角田:ええ、それがやっぱり紀行文だと思うんですね。今、具体的に話しがあるのがメキシコで、メキシコから始まって、チリ、アルゼンチンと中南米で紀行文にトライするっていう約束をしていたのが反古になってしまって。来年行くよとは言ってあるんですけど、実際行けるかどうか、まだわからない。

——なぜメキシコに?

角田:あっち方面に行ったことがあまりないっていうことと、色彩がすごくキレイだってよく聞くんですよね。光が強いから。その色彩を見てみたいなあって思って。

——紀行文となると、やはりエッセイの書き方とは違ってきますか?

角田:ちょっと違うような気がしますね。私も何となく読んで思うだけで、これという定義があるわけではないのでわからないです、書けるかどうか。ムリかもしれないって、ちょっと思います。でも、例えば60歳くらいになって、10年前の旅、20年前の旅を思い出して書くことで、今できないことが将来できるかもしれないとも思う。

——それにしても、こんなに旅の回数を重ねているのに、いつになっても旅慣れしないってエッセイに書いていますよね。

角田:ガイドブックの“犯罪と手口”とかをすごい読んでいきます(笑) 。腹巻き型のお金入れるやっとか、首から下げる肌着みたいなものとかも持っています。お金を分けて持ち歩くのは基本ですよ(笑) 。

——そういうのに無頓着なのかなって思っていました。

角田:いやぁ、恐いですよ。外国というだけでやっぱり恐いです。常識が通じないだろうし、人間も違うから。

——だからこそ、おもしろいのでしょうね。とはいえ、いつも緊張しているのに、そこまでして旅へ行く原動力というのは?

角田:やっぱり好奇心ですね。見たことがないところを見たいという好奇心、そして無知。…やっぱり無知もあると思うんですね。例えばメキシコっていっても、何も想像できない。知っている人は、ほら、テオティワカン遺跡とか言えるけれども、私はそういうのも知らないので、何も想像できない。だから行って見るしかないっていうのが大きいんじゃないのかなぁと思いますね。

 
角田光代|作家
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞、96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で第132回直木賞を受賞。近著は『いつも旅のなか』(アクセス・パブリッシング)、『この本が、世界に存在することに』 (メディアファクトリー)など。

このインタビューは Papersky No.15に収録されています。
Interview & Text: Mayumi Okada

角田光代さんのコラムは『PAPERSKY』本誌「Travel to Your Mind ペーパーバック思考旅行」で連載中です。

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