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  • Yoko Ono

旅の女 オノ・ヨーコ |PAPERSKY インタビュー

, 2013/10/14

オノ・ヨーコについて我々が抱くイメージは2つ。ひとつは、気まぐれで自由奔放な一面、もうひとつはミステリアスな一面。アーティスト、また活動家として、自身の内面を大胆な身振りを交えて包み隠さず語るかと思えば、まるで彼女のトレードマークであるサングラスの奥に消え去ってしまったかのように意識的に物事を曖昧にすることもある。これは、特に想像力の欠如した相手と対峙したときに起こる特徴だ。ヨーコは、これまで彼女に対する辛らつな批判と立ち向かってきた。そして、誰もが彼女の存在を否定しなかったのだ。彼女自身が制定したピース・プライズの授与を行なうことになっているロンドンまで、彼女を追い掛けた。

※ このインタビューは『ペーパースカイ』No.11(2004年)に掲載されたものです。取材・文:ローランド・ケルツ

ローランド・ケルツ(以下R):僕自身、これまで本当に沢山旅をしてきたと思うんですが、ヨーコさんが今まで経験されてきた、文化や性別、アート、そして精神的なものの領域さえも越えた旅を考えると・・・時間や場所は別にしてですが、なんだか僕の旅の経験なんて、たいしたことではないなぁなんて思うんです。

オノ・ヨーコ(以下Y):私にとって一番興味をそそられた旅は実質的な旅行ではなくて、精神的でスピリチュアルな旅です。今まさにこの時も、私は旅を続けているのです。まだ、この旅を集約して、かいつまんでお話する時期ではありませんが。

R:おそらく、ようやくみんながあなたの精神的な旅の領域に追いついてきたのだと思います。アジアでも欧米でも、あなたの作品は賞賛されています。今度の上海ビエンナーレでは、特集が組まれるそうですね。

Y:ええ、そのように聞きました。

R:でも何年もの間、あなたは社会のステレオタイプ的なものと戦ってきましたよね、たとえば女性、アジア人、それとジョン・レノンの妻として人々が抱く概念に対しても。最近のあなた自身、及びあなたの作品が受け入れられている事実は、疑いようもなく明白な真実であるとお考えですか。

Y:疑いもなく明白だなんて、そこまではいいませんが… 疑いようもない明白なものなんてこの世に存在しないでしょう。

R:ああ、そうですね… そんなものはありませんね。でも、いまあなたはもはやアウトサイダー的な存在ではないと思うんです。その事実について、今後何か新たな展開が起こるのではないかと思っているのですが。

Y:そうかもしれませんね。

R:日本を後にしてアメリカで暮らすということは、少なくとも最初の数年間は、文化的にも日本人としてもあなたをアウトサイダーにしたと思うのですが。

Y:私は日本を後にしたとは考えておりません。同時に、自分自身、アメリカで暮らしていくと決意したわけでもないのです、私は、今まで行ったすべての場所、また今まで一度もいったことが無い場所でも暮らしているという感覚でいます。

R:2、3年前、ニューヨークの日本協会でお話をされたときあなたは、度々日本を訪れて、そのたびごとに彼の地の文化が健全な方向に変化してきている、とおっしゃっていました。

Y:ええ。どんどん解放された社会に変化していると思っています。みんなが自分の意見を躊躇せずに言える環境に。素晴らしいことです。

R:ブロンクスのサラ・ローレンス・カレッジでは、あなたはピアニストから作曲家に転身して、鳥のさえずりを音階にまとめようとされていましたよね。

Y:文字通りの意味でいえば、それは不可能なことでした。でも、そうしたいと私が切望したことが意味のあることだったのです

R:僕は、あなたのアート作品や音楽からは、ありきたりの視点、聞き方、物事に挑んでいく姿勢が感じられるのですが。

Y:それがアーティストとしての姿勢であると思います。

R:どうしても僕は、実験的で自由奔放で、業界の人間のうるさい指図を受けることのない領域をアーティストたちが追い求めていた、1960年代という時代性と色々関連付けて考えてしまうのですが… あなたは、今のアーティストたちも同じものを求めていると思いますか。

Y:他の人の事は解りません。私に関して言えば、わたしの芸術的な模索はサラ・ローレンスでスタートしたわけではないし、終わったわけでもありません。

R:「ローリング・ストーン」誌に書かれた、あなたの短い記事を読ませていただいたのですが、アメリカ軍による東京大空襲の思い出を綴られていて、心を揺さぶられました。丁度僕の母も、9月11日、ボストンの自宅に車を走らせていたときに、やはりあの出来事を思い出して、こう言っていました。「ローランド、こんな感覚って二度と無いことだと思ってたわ。特にアメリカではね」と。

Y:そう、そのことはあなたにもお話したはずですよね。第二次世界大戦の話を持ち出した理由の一つは、アメリカ人に他の国がどれだけテロの犠牲になっているかを知って欲しかったのです。そして、全ての軍事活動がテロの構成要素となることも。

R:現状について、周期的な戦争や報復を排除した新たな枠組みが、社会で構築される望みは叶えられると思いますか。

Y:疑いを抱いたり、思案したり、混乱したりしている場合ではないと思います。この期に及んでネガティブな気持ちを持つことは許されないと思います。生きていく人類として我々は一丸となり、まず考えをまとめ、行動を起こし、平和な世界を構築しなければならないのです。私は、それが可能であると信じています。

R:あなたは裕福な家庭で育ちましたが、戦時中は食うや食わずで非常に大変な時期を過ごされました。あなたの作品の多くは、日常的に思える品物の中からあなたが何かを感じたもの、たとえば傘や毛糸の玉などを素材として使用しています。あなたが作品で使われる素材は、明日にも消えてなくなってしまうかもしれないものを守りたい、という気持ちが伴ってるとも言えますか?

Y:クリエイティブであるということは、あなたの回りにあるものを使って、最高の表現をすることです。それ以上のものではありません。

R:東京からニューヨークまでの機内で、世田谷区に住んでいる21歳の女の子が僕の隣の席に座っていましたが、彼女は2週間ハーレムでぶらぶらしてくるらしいんです。英語もほとんどしゃべれないんだけど、なんだか大学生が、休みに実家に帰るみたいに、リラックスして堂々としてるんです。

Y:60年代、私たちは世界がひとつの国際的な村になると思い描いていました。いまやそれが現実のものとなってきているということが言えるでしょうね。でも、その情景を思い描いていた私たちは、それが現実の世界となることを信じて、ずっと生きてきたのです。時が経つごとに、そんな我々の同胞が増えてきているということです。

 
オノ・ヨーコ
1933年に東京で生まれ。洋子(日本語で大洋の子の意味)と名付けられたことが関係しているのか、わずか2歳にして、当時サンフランシスコに赴任していた銀行家の父親と暮らすために太平洋を渡った。その後、第二次世界大戦の真っ只中に日本に帰国すると、戦火に見舞われた東京を家族と共に離れ農村に疎開。父やヨーコがピアニストになることを望んでいたが、彼女自身は作曲家を目指していた。親への反抗心からニューヨークに渡ったヨーコは現地で美術と音楽を学び、60年代のフルクサス(ジャンルを問わず様々なアーティストが参加した特異な芸術運動)の中心的なメンバーとなった。60年代の後半、ロンドンで行われた彼女の展覧会のオープニングで、後に夫となるジョン・レノンと出会う。彼らは音楽ほかさまざまな活動を共に行ない、世界平和と全世界の人々が一心同体となって協力しあっていくことの重要性を訴えた。現在も、かつてジョン・レノンと生活を共にしていたマンハッタンのアパートに暮らし、彼女の音楽、アートは世界中の人々の注目を浴びている。

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