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ノルウェーの風土が生んだ音楽家|ゲイル・イェンセン

ゲイル・イェンセンは、34日目に登頂に成功した。彼の登山隊で山頂を制覇したのは、彼と、同行したシェルパだけだった。早朝、朝日が東の空を照らしはじめたころ、ゲイルは、世界で6番目に高い標高(8,201m)を誇るチョ・オユー […]

01/17/2012

ゲイル・イェンセンは、34日目に登頂に成功した。彼の登山隊で山頂を制覇したのは、彼と、同行したシェルパだけだった。早朝、朝日が東の空を照らしはじめたころ、ゲイルは、世界で6番目に高い標高(8,201m)を誇るチョ・オユーの頂きからはるか彼方のエベレスト山を見つめていた。腰を下ろすと、バックパックを開けてMDとマイクを取り出し、空気の薄い山頂で、風の音、氷雪が砕ける音、そして、自分自身の声を録音した。
5年後の2006年、ゲイル・イェンセン(アーティスト名は「バイオスフィア」)は、『チョ・オユー』と題したアルバムをリリースした。このアルバムには、チョ・オユーの登山中にサンプル音源としてレコーディングしたものと、登山中に彼が書いた日記をもとにしてつくられた12曲が収められている。
「自分の思いどおりに録音ができるようになるまでは時間がかかったね。コンセプトやアイデアに沿って作品をつくりたいから、自分のルールをつくって、音を落としこむ作業が必要なんだ」。
イェンセンは、80年代半ばから音楽活動をしてきた。トリオ編成のユニット、ベル・カントのメンバーであった彼は、自分のスタイルを追求するために、セカンドアルバムをリリース後にユニットを脱退。1991年、バイオスフィア名義での最初のアルバム『Microgravity』を、1994年には『Patashnik』をリリース。3年後にリリースした『Substrata』は、アンビエント・テクノ・ミュージックの傑作アルバムと絶賛された。内面の奥深くに浸透していくような曲調で、メランコリックなサウンドスケープが、リスナーをサウンドの渦に巻きこんでいく。ゲイルはノルウェー北部のトロムソの出身で、彼の音楽は北極圏的な音楽、ミニマル・ミュージック、また、北欧系音楽など、さまざまなジャンル分けがされているが、彼自身は自分の音楽をカテゴライズすることには無理があると感じているようだ。
「同じタイプの音楽を繰り返し発表するのは退屈だから、毎回違った音楽をつくるようにしている。アーティスト名は、アメリカのSF雑誌に載っていたアリゾナのバイオスフィアの記事から拝借したんだけど、バイオスフィアとは、すべての生命体を含む大気圏の一部という意味。それで、この名前をつけたんだ。数年前、ある男が僕のスタジオを訪ねてきて、スタジオにいっさい窓がないことを指摘したんだ。すばらしい景色が見渡せるスタジオだと思ったんだろうけど。で、彼がこう尋ねたんだ、「あなたには外向きの窓は必要なく、内面を見る窓が必要なんですね」って。ある意味、彼の分析は正しいと思った。僕はいつも頭のなかにあるイメージをもとに創作しているし、それこそが僕自身の内なる窓から見えるものなんだ」。
イェンセンの最新アルバムは今年2月半ばに完成、『N-Plants』というタイトルがつけられていた。インスピレーションとなったのは、日本の原子力発電所だった。アルバム完成から数週後の3月11日、東日本大震災が日本列島を襲い、津波と福島第一原子力発電所のメルトダウンが発生。イェンセンは言葉を失ってしまうほどの衝撃を受けた。
「気味の悪い偶然だった。アルバムは3月に発売予定だったけど、どう考えてもこの時期にリリースするべきではないと思った。それで発売日を延期したんだ。この作品は、原子力ではなく、建築にインスパイアされてつくったもの。70年代初頭に起こった刺激的な事象をモチーフにしたアルバムを制作したかったんだけど、ちょうどその時期に日本の原子力発電所のことを知ったんだ。写真を何枚も見ているうちに、この建物にとても興味を惹かれた。美しいブルーの海、白い砂浜、そして椰子の木が立ち並ぶ場所にある発電所が印象的だったんだ」。
イェンセン自身は、80年代にベル・カントのツアーで日本を訪れて以来、来日はしていない。だが、旅とハイキングは彼の生活のなかで大きな比重を占めているようだ。
「ハイキングを始めたのは14歳のころ。標高8,000m以上の山に登ることを夢見ていたんだ。最近、トロムソ島から30分ほどの場所にある山を散策したけど、そこは人がいなくて、前人未到の山の頂まで登ることもできる。だけどこのエリアに発電所を建てようと電力会社が押し寄せているから、将来的にはこのエリアも破壊されてしまうだろうね。渓谷に道路が敷設され、パイプがあちこちに散らばっている状態…。悲しくなるね」。
ゲイル・イェンセン Geir Jenssen
1962年ノルウェー生まれ。北極圏のサウンドスケープを表現するアーティストとして知られるアンビエント・エレクトロニカの音楽家。1994年に『Patashnik』、1997年に『Substrata』をリリースし賞賛された。最新作は2011年に発表した『N-Plants』。現在、ポーランドのクラコフを拠点に活動している。http://www.biosphere.no/

Biosphere: Genkai-1 (official video by Egbert Mittelstädt) from Geir Jenssen / Biosphere on Vimeo.
※この記事は『PAPERSKY No.37』に掲載されています。
Text: Max Alexander Berg