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いつまでも持ちつづける旅心|ポール・スミス

ファッションデザイナ一、ポール・スミス。彼はおおらかで誠実、そしてちょっと風変わりなハードワーカーだ。すみずみまで手を抜かないその仕事ぶりは、1週間単位で世界中を飛びまわるという超多忙なスケジュールにも表れている。そうし […]

10/19/2011

ファッションデザイナ一、ポール・スミス。彼はおおらかで誠実、そしてちょっと風変わりなハードワーカーだ。すみずみまで手を抜かないその仕事ぶりは、1週間単位で世界中を飛びまわるという超多忙なスケジュールにも表れている。そうした生活のなかでも、彼は旅と人生を最大限に楽しんでいるように見える。ハードなビジネススタイルに見合うワールドトラベラーとしてのコツや心構えとは、いったいどういうものなのだろう。その秘訣をほんの少し、教えてもらえたら。東京・青山のトータルコンセプトショップ「ポール・スミス・スペース」オープニングのために来日したポールに、旅の話を聞いた。
(このインタビューは『PAPERSKY』No.18 (2006)に掲載されたものです。)
ライフスタイル・トラベルスタイル
── これまでさまざまな国を訪ねていると思いますが、かなり多くの旅を日帰りで実現しているというのは本当ですか?
ポール・スミス(以下P):行きたくてたまらない場所は世界中にたくさんあるのですが、厳しいスケジュールに忙殺されて、なんせ時間が取れなかったんです。80年代前半、私はどうしても中国に行きたかった。とはいっても年に2度東京へ、4度パリとミラノへ出張することが決まっているような身で、プライベートの旅をする時間はありません。そこで「そうだ、1 泊で帰ってくればいいじゃないか!」と思いついたんです。夜中に北京に到着、翌朝に万里の長城へ出向き、それから天安門広場などを周遊して、その足で夜中に飛行機に乗り込み帰宅しました。それ以外に中国行きを実現する方法がなかったんです。たとえばインドに旅行するとしますね。しっかり観光するには少なくとも2〜3日、願わくは2週間は必要だと思うんです。でも、そんな時間は取れるわけがない。そこで私は、けっこう楽しめる旅行法を編みだしたんです。それは、まず前もってその土地の情報を完璧に調べあげる。そして人に会う段取りをつけ、旅行資金を用意して、あとは現地で使うだけ、という方法です。このやりかただと、1日でたくさんのことがこなせます。ベトナム、カンボジア、LA、サンフランシスコへの旅は、こんな感じでうまくいきました。眠ることなんか考える暇もないので、時差ボケにすらなりませんよ。
パリ、ファッションショー黎明期
── ところでデザイナーになる前、パリのオートクチュールのショーを見にいっていたということですが。
P:妻のポーリーンは、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでファッションデザインを学び、27歳のとき、私の故郷であるイギリス中部のノッティンガムにファッションを教えにきました。彼女は年に2回、ショーを見るために生徒たちを連れてパリに行っていました。それに、私も同行していたんです。最近のオートクチュール・ショーは巨大なホールで開催され、2,000 人もの観客を動員する大がかりなものです。昔は、単なるサロンか店のなかでショーがおこなわれていました。BGMなんていうものはなく、モデルもけっして美しいわけではなかった。でも、彼女たちはすごく個性的な顔立ちで、とてもエレガントでした。発表される品数もまだ少なくてね。ハウスマヌカンが「次は31番です!」なんて叫ぶと、観客は膝の上のラインシートを見て、その番号の服の特徴や布地をチェックする、なんていう具合です。たった15人から30人の観客しかいない、かなり親密度の高いショーでした。なぜなら、約2週間の問、1日に2回ショーがあり、あらゆるクライアントが来るんです。ショーを企画したパリ・クチュール組合学校は、生徒たちにショーを見にいかせていました。当時の客層はなかなか愉快でしたよ。生徒たちに加えてお金持ちの老婦人とダイアナ・ロスのようなポップ・スターまでが混在していたんですから。修道院で仕立て屋になるために勉強中の少女の付き添いで、尼僧が来ていたりもしたんですよ。
── 当時のショーで印象に残っているものはありますか?
P:そうですね、思い起こせばいろんな貴重な経験をしました。ショーであのシャネルを見かけたことがあるんです。彼女が、亡くなる直前でした。驚きましたよ、目の前で、座っていたのですから。それから、サンローランの「オール・ブラック・コレクション」も見ました。ベトナム戦争に対する抗議の強いメッセージが込められていて、感動しましたね。それと、彼が初めて手がけたシースルーのシルク・シフォンのトップスを使ったショーのことも憶えています。モデルがタキシードの下に薄手のトップスを着て現れて、ジャケットを脱ぐと観客が驚きのあまり、はっと息を呑んでいました。キャットウォークで胸が露出されたのは、このときが初めてでしたね。いまやファッション産業はあまりに巨大になってしまって、人間的なぬくもりに欠けています。以前は、すぐ傍にいるデザイナーに会えたし、作品に触ることもできたのに。
変わりゆく日本の印象
── ずいぶん前から日本にはいらっしゃっているんですよね?
P:現在は年に2度ほどですが、以前はもっと頻繁に来ていました。1984年から定期的に来日しています。80年代は、自分が外国人であることをよく痛感させられたものでした。みんなが私を見て「わー、外人だ!」なんて言うんです。あるとき、金沢から大阪まで電車で旅していると、子どもたちが私のところに寄ってきました。どうやら英語を話してみたかったようなんですが、イギリスの切手を送ってくれとねだられたのを覚えています。
── 当時とくらべて、どのように日本は変わりましたか?
P:海外旅行をする日本人がとても増えたので、文化はかなり変わったと思います。昔のように古いしきたりに縛られることがなくなった印象があります。でも私が気に入っている、目上の人を敬うという慣習は変わっていないのではないでしょうか。知恵と経験がとても尊重されているのはいいことです。
── 日本ではほかにどこを訪れましたか?
P:初めのうちは、日本中をたくさん旅しました。福岡や名古屋、京都、沖縄、北海道などいろんなところに。でもこのごろは、それほど観光はしません。今週もほとんど、このホテルにこもっていると思いますよ。
縦横無尽に地球を駆けまわる
── 今回の来日前はどちらにいらしたんですか?
P:じつは休暇を取っていたんです。たった8日間でしたが、こんなチャンスはなかなかないんですよ。今回はカリブ海に浮かぶセント・バーツ島に滞在していました。ここは何度も訪れています。私はカリブ海が大好きなんですが、カリブ海といったら通常はおいしい食べ物や行き届いたサービスは期待できないんです。でも、セント・バーツ島はフランス領なので、この問題が解消される。つまり、彼らと待ち合わせしたら、約束したその時間に来てくれますよ。でも、ほかの島だったらおそらくこうなるでしょう。「遅れてすみません! ビールを飲んで一服していたので」ってね!
── 旅行に持っていくものは?
P:iPod、雑誌、本。でも、心休まる時間がなんだか嬉しくて、触れずじまいになることもたびたびですけれどね。それから、ノートもいつも持ち歩いています。常日頃から、アイデアが浮かぶとノートに書き留めているんです。
── なにか旅するうえでの工夫のようなものはありますか?
P:私はこういう仕事柄なので、服に関してのアドバイスをひとつ。もしスーツがシワになってしまったら、パスルームに吊るして、お湯を張って、蒸気でシワを伸ばすんです。きれいになりますよ。ただし、パンツが、風呂桶に落ちてしまわないように、注意しないといけません。これでビジネストリップもばっちりです。
── 次はどちらに行かれますか?
P:来週、工場視察のためにフィレンツェを訪れます。というのも、私のブランドのレディスはすべてフィレンツェ近郊でつくられているからです。イタリアには、私の家もあるんです。サルディニアの海辺と、夏を過ごすために、トスカーナの田舎にね。
── ほかのヨーロッパ諸国には行かれますか?
P:ウィーンとベルリンにはたまに行きます。ベルリンは活気に満ちていますね。ベルリンの壁が崩壊し、街が再構築されて、大幅に変わりました。ミュージックシーンもエキサイティングで、いいクラブもあるし、有能なグラフィックデザイナーもいます。ロンドンに家具の店をオープンしたので、バイヤーと一緒にパリへ買いつけに向かいます。パリのクリニャンクールの蚤の市や、ウィーン、バルセロナ、マドリッドやストックホルムに買いつけに出かけることもあります。これは長年、私が温めてきた計画でした。ただ、あまりにも楽しいんでアブナイですね。とはいっても、本業を忘れているわけではありませんよ。年に2回、13コレクションのデザインも怠りませんから。
やっぱり旅はやめられない
── 旅で危険な目に遇ったことは?
P:リトアニアに行ったことがあるんです。最近は旅行者が多いようですが、私が行ったときは、まだ旅行者も少なかった。なかなかタフな場所でしたよ。なにしろ当時は、ボディガードが必要でしたから。雇ったドライバーの車はおんぼろでしたが、もちろん彼は銃を持っていました。35年前には、モスクワにも行きました。これもなかなかの経験でした! あろうことか外国人の部屋はつねに盗聴されていて、各階には警備員が配置されていた。通りでは、リーバイスのジーンズやスニーカーを履いていると呼び止められるんです。私の後をつけてきて、スニーカーが欲しいとせがんできた集団もいましたね。とにかく大変だった。ほかに靴を持っていないからと断ると、「僕の帽子をあげるから、どう?」なんて言って、さらに迫ってくるんです。すごく怖かったですよ。あれはひどかったなあ。
── では今後、訪れたい国は?
P:オーストラリアと南アメリカには行ってみたいですね。ベネズエラとアルゼンチンにもとても行きたい。しかし考えてみるに、ずいぶんといろんなところに行ったものです。モロッコやエジプト、スペインも。スペインではマドリッドとバルセロナが好きですね。真夜中に食事をする習慣はいただけないけれど。でも、また訪れたい場所です。
── いちばんくつろげる場所はどこですか?
P:私の家はロンドンにありますから、やっぱりロンドンにいると落ち着きますよ。でも、そんな旅の苦い経験があり、ロンドンという安息の場所があったとしても、旅に出ることはやめられない。歳をとってくるとなんとなくぶらぶら歩きまわるのが嫌になると言いますが、私は人に興味があるので、身のまわりで起こることすべてを楽しく見つめているんです。だからその意味で、さまざまなことが起こる旅もくつろげる場所のひとつなのだと思います。
 
ポール・スミス Paul Smith
ファッションデザイナー
1970年にノッティンガムで最初のショップをオープンして以来、イギリス人デザイナー、ポール・スミスは、いまもなおファッション業界で名を轟かせ、もっとも成功を収めているデザイナーのひとり。彼は、組織をたえずクリエイティブな存在にすることに関して、いっさいの妥協をせず、みずから世界中のショップに赴き、スタッフと話しあい、さまざまな顧客との対話を交わすことに多大な時間を割いている。疲れを知らないエネルギッシュな姿勢と飾らない性格は、彼の会社が業界のトッププランナーでありつづける大きな要因のひとつだ。http://www.paulsmith.co.jp/
インタビュー&構成:マーティン ウェッブ
Interview & Text: Martin Webb