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硯石の洞窟|望月玉泉|雨畑硯 1

雨畑は山間の小さな村だ。いたるところに野生の猿が生息している。この地は、光沢があり、硬く、水持ちのよい粘板岩の産地として知られている。この岩の歴史は古く、約700年前にこの村の洞窟から初めて切りだされて以来、日本屈指の品 […]

09/07/2011

雨畑は山間の小さな村だ。いたるところに野生の猿が生息している。この地は、光沢があり、硬く、水持ちのよい粘板岩の産地として知られている。この岩の歴史は古く、約700年前にこの村の洞窟から初めて切りだされて以来、日本屈指の品質を誇る硯の材料として使われてきた。
硯石の洞窟
岩に触るとひんやりとしていた。表面は粒子が細かく、なめらかである。暗闇のなか、その感触を手で確かめる。たったひとつかけられていた電球が灯った。ここは山梨県早川町。うっそうとした森のなかにあるこの硯坑は、日本文化にとって重要な材料のひとつ、雨畑の石の最後の採石場だ。ここの岩壁が崩れるか、望月玉泉がこの地質層から最後の原石を切りだすかしたとき、日本の文化史のひとつが幕を閉じることになる。望月は雨畑村にただひとり残る硯職人だ。平らに切りだした材石を、固形の墨を擦りやすい形に整えていく。この硯のなかに水(昔の人は朝露を入れていた)を何滴か入れて擦れば、濃い墨になる。和硯は古代から(日本では8世紀の硯の破片が、中国ではそれより古いものが出土している)生活に欠かせない道具だった(硯がなければ書道はおろか、文字さえ存在しなかっただろう)。
「日本にはほかにも硯づくりに適した石の採石場がありますが、雨畑の硯石ほど評価が高く、長い歴史をもつものはありません」。言い伝えによると、ある僧が昔、この山間の土地に来たときに、めったにないほど硬く光沢のある粘板岩を見つけた。この岩で硯をつくったところ日本中に評判が行きわたり、各地で硯がつくられるようになったという。現在、雨畑石は硯の職人や収集家のあいだで絶大な人気を誇っている。いまから約100年前の最盛期には、村に20人ほど硯職人がいて、青い水をたたえた雨畑川沿いの工房で硯をつくっていたという。いまでは職人は望月ひとりとなり、川沿いにぽつりぽつりと残っている廃屋と雨畑硯の歴史を伝える博物館だけが当時の名残を伝えている。望月は山から硯石を切りだして、ベルトコンベアに使われているがっしりしたベルトでつくったカバンに入れて運ぶ。「素材がこれだけ頑丈だと、石が重くても腰が楽なんだ」と言う。工房では、採ってきた石をひとつずつ磨きながら、切りだしたときに入った細かいひび、をチェックする。これだという石が見つかったら、彫りの作業に入る。「父がつくっていたものよりやさしい形にしたいのです。この仕事を長いあいだやっていますが、完壁な硯ができたと思えたことはありません。『いけ』の部分がいちばん難しい」。「いけ」とは池であり、墨汁を溜めておく部分である。望月はこれまで生きてきた時間の大部分を、最高品質の硯にふさわしい均衡のとれたなだらかな傾斜と曲線を完成させることに費やしてきた。この傾斜の部分がしっかりしていないと、粘りのあるよい墨はできないという。
村にはほとんど人影はなく、望月は人間よりも石と多くの時間を過ごしているようだ。「硯抗のなかにずっと入っていると、変な気分になります。身体をなにかに締めつけられているような。外に出ればそういう感じはなくなりますが、穴のなかはエネルギーに満ちています。以前、硯石にはすごい力があると祈祷師に言われたことがありますが、どうなんでしょうね。使わなければ、べつに意味のないただの石。そうとしか思えないでしょう」。