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レナ・レベンコ~旅のあいだに見つけた「自分」

, 2010/10/15

イスラエル人のアーティスト、レナ・レベンコ。ヘブライ語で「לנה רבנקו」、ロシア語で「Лена Ревенко」。英字の他に、ヘブライ語とロシア語でウェブサイトに記された彼女の名前。その事が示す通り、もともと彼女が生まれたのはイスラエルのはるか北にある旧ソ連の地だった。
「私が生まれたのは旧ソ連(現ベラルーシ)のミンスク。毎年夏になると、街を離れておばあちゃんやいとこ達とダーチャ(別荘)で過ごしていたわね。でも、ひとりっ子だし、両親は離婚していたのでいつも一人で過ごす事が多かった。」

6歳になり、ミンスクの美術学校に通い始めたレナだったが、やがて母と祖母と共にイスラエルに移住する。
「14歳の時、私はイスラエルに来て、また新たに美術学校に通った。まだヘブライ語ができなくて、なかなか友達ができなかったけどね。それから18歳で兵役があって、2年間軍のグラフィックデザイナーとして働いたけれど、とっても変わった場所だったわ。そこで私たちは、学校向けに子供達のアラビア語学習に役立つコンピューターゲームを作っていた。」

兵役を終えたレナは、エルサレムにあるベツァレル美術デザイン学院の視覚コミュニケーション学部で4年間学び、卒業してグラフィックデザイナーとして働き始める。「でもそれが本当に自分がやりたいと思っていたことだったのか分からなくなって」1年で仕事を辞め、彼女は東南アジアへの長い旅に出た。
「そこで、私はインドの細密画(ミニチュアール)に出会って、ものすごい刺激を受けた。翌年、帰ってきてからアジアの細密画について色々調べたわ…インドや日本、アラブそして中国。それで、私はその旅で受けたインスピレーションを基に、自分の作品を描きはじめ、デザイナー、そしてアートディレクターとして仕事にも戻った。」

**

近年のレナの作品は、そのほとんどが古紙、もしくは古書に描かれている。少しくすんだ重い色彩、端正でありながらどこか歪んだ造形。絵に登場する人物や生き物達は彼女のごく身の回りにあるものを象徴しているが、そのメッセージは絵の具の奥に沈み込み、簡単に読み取れるものではなくなっている。長い時間の蓄積と「絵にしか込められない自分」をはっきり感じさせる作品だ。

「私はひとりで過ごしている時が本当に多かった。多分、私が絵を描き始めたのは、そんな孤独を紛らわすためだったんでしょうね。何時間も座って、レコードで流れるロシアの童話を聞きながら、とにかく…とにかくたくさん絵を描いた。今でもよく覚えてるわ。6歳になって、母が私をミンスクの美術学校に入れることを決めた時には、私が描いた絵はもう山のようにたくさんあったもの。」
「その頃、私が描いてたのはほとんどどれも『幸せな家族たち』の絵。お母さんがいて、お父さんがいて、5歳から10歳ぐらいの子供達がそのまわりにいて…」
「それからも私は、いつでもどこでも、どんなものでも描いていた。授業のノートにも、テーブルにも描いたし、軍にいた頃も相部屋だった女の子達を描いてた。それから講義の最中にも、もちろん旅行に持って行ったスケッチブックにもね。」

以前、彼女が自宅の書棚にずらりと並んだスケッチブックを見せてくれたことがあった。その1ページ1ページに、ロシア語やヘブライ語の文章とドローイングがびっしりと描きこまれ、時には旅先で見つけた色々な包装紙やパッケージがスクラップされている。その密度にあっけにとられている僕を見て、彼女は「貴方も描いてみたら?」と笑いながら、まだ白紙のブックを僕に差し出した。
「ソビエトとイスラエルの美術教育のやり方は全然違うのよ。私はその両方を経験できて本当にラッキーだったと、今になって実感してる。
ソビエトの美術学校のやり方はとにかくアカデミックで、伝統的・古典的な技法についてみっちり勉強させられる。暗い色を使って静物や風景を描いたり、男性の裸体の石膏像や人間の骨格、ヌードのモデルをデッサンしたり。今でも私はその当時教わったように、水彩絵の具とアクリル絵の具の白を混ぜて絵を描いているのよ。」
「でも、イスラエルではそうした技法の類は全く教わらなかった。ここで教わったのは、自分の感じていること、感情を表現しなさい、ということ。どんな色を使って、どんな風に描くか、自分のやりたいようにやりなさい、と。”Freedom of Expression”が、第一のモットーだった。それがどんなにショックなことだったか貴方も想像できるでしょ?私からすれば、クラスメイト達はまともに絵が描けないとしか思えなかったし、他の人達からすれば、私は昔ながらの静物デッサンしかできない、ロボットみたいな人に見えたでしょう。でも、どちらが間違っていたわけでもなかったのよ。」

「思うに、イスラエルのアートは私の好みや指向とはかなり違ったものだったんでしょうね。ここでは、政治的な状況や中東情勢を作品の題材にすることが本当に多い。イスラエル=パレスチナの紛争とか、もしくはユダヤ教の信仰に関する事柄とか…ビデオアートや写真は特にそう。それは貴方も知っている通り、私たちが置かれている状況ゆえにね。」
「でも、私の作品にはそうした社会的なメッセージはほとんど無いでしょう。それに私の絵に出てくる主人公達は、イスラエル人というよりも東欧の人々に近い。私はロシアのおとぎ話が本当に好きでね。例えば、よくおばあちゃんが古びた分厚い本を広げて読んでくれた「孔雀石の小箱(Малахитовая Шкатулка)」という物語。その本は、ウラル地方にある古い採掘場の周辺に住んでいた人々や生き物についての伝承をもとに書かれた童話の短編集で、中にはきれいな挿絵が沢山描いてあって。それと、ロシアのイラストレーターもすごく好きで、イヴァン・ビリビンには特に影響を受けたと思う。」
「でも、イスラエルの若いアーティスト達はとても面白い活動をするようになっているとも思う。例えば私が大好きなイスラエル人アーティストで、友人のZoya Cherkasskiとかね。」

確かにイスラエルでは政治的・社会的なメッセージを持つ作品が多く、特に上の世代になるとそれが顕著になる。一方ではそうした状況と反比例するように「独特」としか例えようのない、強烈なオリジナリティを感じさせる新しい作品もよく見受けられる。また近年は限られた規模の市場でアーティストを志す若者がひしめき合う中、「どう見せるか」を強く意識した作品も増えつつある。
そんな混沌とした状況にあって、レナは周囲と自分との間にすっぱりと折り合いをつけているように見える。おそらく、彼女がイスラエルのアートから受けた一番の影響というのは、「自分自身である」という概念そのものではないのだろうか。
「そう、その通りよ。東南アジアへの旅から帰ってきて、私がこうして今のような作品を描き始めた時『私は自分自身と向き合うためにこの絵を描いてるんだ』ってことが分かった。他の誰かに分かってもらうためじゃなくてね。別に私が政治的な題材を扱う必要もないし、イスラエルのアートシーンに受け入れられやすい抽象画を描く必要もない、とも思った。私にとって大事なのは自分の感じたこと、感じていること、そしてこれまでの記憶。それらを絵の具に混ぜあわせて、本当に個人的な世界…「私自身」について描いていきたいのよ。」

イスラエル滞在の最後の日、テルアビブのカフェでコーヒーを飲みながら、レナは僕に学生時代の授業がいかに辛いものだったかを話してくれたことがあった。多くの先生の教え方はまったく「先生」らしいものではなく、激しい叱責と容赦ない批評を受ける毎日。いま彼女が所属しているデザインスタジオに入れるのは、そんなベツァレル美術デザイン学院の中でもごく一握りの優秀な学生だ。
「学校を卒業してから、私は大手のデザインスタジオでデザイナーとして働き始めた。卒業する前までは、その仕事を始めるのが本当に待ち遠しかった。今まで私が学んできた事すべてを発揮する最高の舞台になるんだろう、きっと何かものすごいことができるに違いない…学生の頃ってそういう憧れを皆持ってるでしょ?私もそう思ってた。」
「でも、いざ働き始めたら全くそんなことはなかった。たぶん、最初は仕事に対して多くを期待し過ぎていたんでしょうね。作り手として『やりきった』って思えるような時って、多分私がそれまでやっていた事の中に既にあったんだ、と思ってしまったの。私が学生時代に心血を注いで作り上げてきた作品の中にね。そう思ったら、自分がこれから何をしたいのか分からなくなってしまって…私はどこかできるだけ遠くへ、まったく違う世界に行ってしまいたくなったの。それで、仕事をやめて、ボーイフレンドも残したまま、ニューデリー行きの航空券を手にひとりで旅に出た。」
「よく覚えてるわ…最初の日、ニューデリーでメインバザールのど真ん中に一人立ち尽くしていた時のこと。街の騒々しい音、ごちゃごちゃに混ざった匂い、街中に溢れる見たことのない色彩、人々の顔。ものすごく怖かったけど、とっても満たされるような気持ちになった。そしてその瞬間、自分の中にあったインスピレーションの源がふっと戻ってきたのが分かったのよ。」
やがて旅を終えたレナは同じ職場に戻り、再びデザイナーとして働き始める。
「旅を続けてる間にふと自分の仕事のことが気になった。単純にね。それで旅先であるインド人のグラフィックデザイナーに会った時、彼に聞いたもの。『貴方のコンピューターを借りてちょっと仕事させてくれないかしら』って。で、それが結構楽しかった。仕事に戻ってきた時にはもうすっかり私の考え方も変わっていたわ。なるべくいい仕事をしていい作品を作りたいって、それだけ。そうしたら仕事もすごく充実してきたわね。」

言葉も、気候も、人々の気質も全く違うイスラエルでの生活。彼女がここに移住してからもうすぐ20年が経つ。

「そうね、もちろんミンスクでの暮らしがとても恋しかった。移住したばかりの頃はまるで夏休みみたいな感覚で、すぐにミンスクの『わたしの家』に戻るんだと思ってたもの。友達とか親戚はもちろん、夏に降る雨、冬の冷たい雪、空を覆う雲…色々なものが恋しくなった。」
「イスラエルに来てから3年間、航空券を買うためにお金を貯めて…初めて生まれ故郷に戻ってみた。そして分かったの。私の心にいつもあるのはミンスクを恋しく思う気持ちなんだって。実際にミンスクの街に戻ってみても、もうあの日々は帰ってこない。いつの間にか友達は成長して変わっていったし…私ももちろん変わったでしょう。ミンスクの人々は冷たかったし、街は雨ばかりで、何だかいつもどんよりした雰囲気だったわ。」
「今なら、行こうと思えば毎年だってミンスクに帰れる。でも、私はあそこで過ごした子供の頃の思い出を、そのままとっておきたい。何もかもが鮮やかで、まぶしかった頃の思い出をね。」

 
【キャプション】
Photo1: its mine.jpg.jpg… “it’s mine!”
Photo2: old-Alice.jpg… “old Alice”
Photo3: portrait.jpg…彼女がイスラエルで一番好きな砂漠の景色
Photo4: sketchbook1.jpg…2000年頃、ベツァレル美術デザイン学院での学生時代に描いたスケッチブック
Photo5: sketchbook2.jpg…1998年、パリに長期滞在した頃のスケッチブック

【リンク】
Lena Revenko: http://www.lenarevenko.com/
Zoya Cherkasski: http://www.rg.co.il/artists_prt.asp?ArtID=7
Ivan Bilibin: http://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Bilibin
Bezalel Academy of Arts and Design: http://www.bezalel.ac.il/en/

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