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「生む場所」としての山 – 文章や絵の「素材」を探しに

なぜ山に登るのか――? 人っ子一人いない山の中、ガスに巻かれながら苦しい急登を登っていると、率直にそう思うことがある。こんなに苦しい思いをしながら、なんで山を歩いているのだろう、と。「そこに山があるから(Because, […]

06/28/2010

なぜ山に登るのか――? 人っ子一人いない山の中、ガスに巻かれながら苦しい急登を登っていると、率直にそう思うことがある。こんなに苦しい思いをしながら、なんで山を歩いているのだろう、と。「そこに山があるから(Because, it is there.)」と答えたジョージ・マロリーの言葉は有名だが、自分自身はどうなのか。「なぜ山に登るのか?」これだと目的が「登頂」に絞られている感じがするので、もう少し広義にとらえる。「なぜ山に行くのか?」
山に行く理由は人それぞれだ。誰も成し遂げたことのない困難なクライミングを成功させるため、健康維持のスポーツとして、山の写真を撮りたいから、見たことのない景色を見てみたい、自分を変えたい・・・・・・。
自分の場合、山を歩いて文章や絵を描いているので、その「素材」を探しに山に入る。それでは「素材」とは何か。現実に見えている風景や出会う動植物はもちろん、山に分け入り、山で時間を過ごすなかで見えてくるものがあると思う。社会(日常)から山の世界へと近づいていく感覚。そしてその狭間にある「境界」。こちら側とあちら側、そのどちらでもない場所。その「境界」を行き来することができるようになったとき、山の奥深くにある、混沌としたもののなかから「自然の秘密」を掴み出すことはできないだろうか。「自然の秘密」を「境界」へと掴み出したとき、それは「境界」から湧き立つ霧のように、言葉となり、絵となる。あるいは写真となり、詩となり、歌となり、物語となるのだと思う。「自然の秘密」=「素材」。「境界」を「生まれる場所」とするならば「山」は(「素材」を)「生む場所」と言えるかもしれない。「生む場所」としての「山」。そのように山を捉えたとき、山が、また違って見えてくるような、そんな気がしている。さて、どうしたら「素材」を掴み出し、表現へと紡ぐことができるのか。それが大きな課題である。